第7話 無限の成長

  1


 気が付けば俺は、森の中にいた。


《霊魂化》を解き、異界から戻ったのだ。

 ふと見れば、近くに人一人分の衣服が落ちている。まるで着ていた人間が煙のように消えたかのように。


 その衣服がジレッドのものであることは容易に想像がついた。

 俺は本当に一つになったのだ。


「俺の名は……? ジレンなのか? ジレッドなのか?」


 自分と《融合契約》することが可能だとは思っていたが、実際に行うとどうなるかはさすがに想像がつかなかった。


 とりわけやってみるまで分からなかったのは、俺の人格だ。


 俺の人格は俺のままなのか、それともジレンとジレッドを足して二で割られたのか、そうなった俺は本当に俺と言えるのか。


 だがやってみた今なら分かる。俺は俺だ。いや違う、ジレンもまた俺なのだ。俺と俺が融合したのだから、俺は俺なのだ。


 今やジレンとジレッドという二人分の記憶は一つになっていた。二人の記憶が一つになると、俺は一体どうなるのか。


 結果は――脳による取捨選択だ。

 たとえば誰だって今日の朝になにを食べたかぐらいは覚えているだろうが、10年前の朝になにを食べたかなんて覚えていない。覚えているのは過去にあった印象深い出来事だけだ。


 そのせいか、ジレンとジレッド二人分の年齢が加算されというような自覚はない。むしろ三〇半ばという年齢になっていたジレッドが、15歳になったのだ。脳も体も若返ったような気さえする。


 厄介なのは、今の俺には二つの“最近の記憶”があるということだ。ジレンにとっての昨日と、ジレッドにとっての昨日はまったく同じ時間帯ということになる。だが時間的には同じであっても、俺の中では完全に別々の出来事として認識されており、大変ややこしい。


 とはいえ「昨日なにを食べてなにをしたか」などという些細な記憶は、時間が経てば脳により取捨選択されるだろう。この戸惑いも今の内だけだろう。


「ようするに、俺は俺だ」


 こうなったら戸惑っている場合ではない。今すぐにやるべきことを思い出す。

 それは《精霊感知》を行い、時空を司る精霊クロノスを探し出すことだった。


 もちろん、本来ならそれは不可能だ。《過去転移》を行った時点でクロノスとの契約は因果律によって断ち切られ、二度と探し出せないというのだから。事実、俺が《過去転移》して以降、クロノスの存在を感知できたことはない。


 だが、今の俺はクロノスと契約し、ジレッドとなった俺ではなく、この世界に元々存在したジレンである。クロノスを探し出すことはできるはずだった。


 そう考える根拠はある。思考実験として、仮に《過去転移》した瞬間に俺が死んでいたと考えてみればいい。俺という存在は《過去転移》したものの、誰にも影響を及ぼすことなく消滅したと仮定するのだ。


 その場合、この世界のジレンは順調に成長し、やがて歴史通り時空の精霊クロノスと接触を果たさなければならない。因果律が存在するからこそ、ジレンである俺がクロノスと接触できなければおかしいのだ。


「……見つけたぞ」


 俺の考えは正しかった。ほどなくして、時空の精霊の存在を感知することに成功したのである。あとは俺が《霊魂化》してクロノスの元へ赴くだけだったが、その前にすることがあった。


 俺がただ召喚術を極めようとしていた頃のジレッドであれば、そんなことはしなかっただろう。だが今の俺は、この世界で15年を過ごしたジレッドとジレンの一つになった姿なのだ。


  ◆


「あら、ジレン。どうしたの? こんな時間に」


 俺が向かったのは、シスター・ノアのいる孤児院だった。

 子供たちの世話というのは本当に大変で、彼女は今日も子供たちの夕食を作るために大量の食材と格闘していた。


 そして、無言で俺は彼女を抱きしめていた。


「ちょっと、どうしたの?」


 彼女は動揺一つ見せなかった。


「なにか嫌なことでもあった? 昔みたいになでなでして欲しいの?」


 温和な笑顔さえ浮かべて言う。それは完全に子供に接する保母の仕草だ。今の俺は彼女に育てられた15歳のジレンなのだから当然だろう。


「いや、なんでもない。驚かそうと思っただけだよ。それよりティアナを探してるんだ。どこにいるか知らない?」


「この時間なら外よ。洗濯物を取り込んでるんじゃないかしら」


「分かった、ありがとう」


 いつも通りのシスターだった。どうせならジレッドとして、《融合契約》する前に彼女と最後の別れを済ませるべきだったと少しだけ後悔する。どうせすぐまた会えることになるのだが、少なくともこの世界で共に過ごしたシスター・ノアとはもう二度と会えない。そう考えるやはり寂しくもあった。


 そしてもう一人、俺がどうしても会っておきたかった人がいる。シスターの手伝いのためこの孤児院に来ていたティアナだ。


「あ、ジレン。どうしたの? いつもより早いよ?」


 孤児院の傍で、大量の洗濯物を取り込んでいたティアナを見つけることは容易だった。

 ジレンとしての俺がこの世界で長い時間を共にしたのが彼女だった。本来は死ぬ運命にあった彼女は、今の今まで生き抜き――そして美しく成長していた。ジレンという俺が好きになるぐらいに。


 だから俺は、無言で彼女を抱きしめていた。


「な、なに、どうしたの!? そういうのは夜に……」


「すまない、ティアナ。しばらく会えなくなるからこうしておきたかったんだ」


「え、どういうこと!? 嫌よ、会えなくなるなんて!」


「大丈夫、ティアナにとっては一瞬だ。でも俺は……2年は会えなくなるから」


 それは不思議な感覚だった。ジレンとしての俺は当然のことをしてるだけだ。だがジレッドとしての俺が、驚きを隠せないでいる。俺は、いや、ジレンはティアナのことが好きだったのか――と。恐らくこの違和感は当分消えないだろう。なにせジレッドにとってティアナは娘のようなものだったし、そもそも色恋沙汰にも疎かった。


「じゃあ、またな」


 これ以上戸惑うティアナを見ていたくはない。俺はこの場で《霊魂化》し、時空の精霊の元へと向かった。


  ◆


「やあジレン。また会ったね」


 15年前とまったく同じ不思議な空間で、その少女のような見た目の不思議な精霊と再会する。正確には言えば初対面なのだが、前に出会ったという記憶がある以上は、再会と呼ぶべきだった。


「久しぶりだな、クロノス。15年も経ったというのに、変わりなさそうだ」


「ボクにとっては昨日も今日も明日も同じものだからね。ボクの存在を感知できたキミにはなんとなく分かってるんだろうけど」


「まあな。なら俺がここへ来た理由も分かっているだろう?」


「もちろん。《過去転移》したいんだね? でも《過去転移》は一人一回だけだって言っただろう?」


「ああ、確かにそう言われた。だが《過去転移》したのは未来の俺であって、今このときの俺はまだ《過去転移》していない」


「はははっ、すごい理屈だね。確かに、少なくともキミの世界においてはその通りだ。ただ、どのみちもう一度過去転移するのはオススメはしない」


「分かってるつもりだ。因果律によって俺がどうなるか分からないからだろう?」


「その通り」


 クロノスは俺の返答に満足したように微笑んだ。


「キミがもう一度過去転移したとしよう。転移先の世界には、もともとその世界に存在する赤ん坊時代のキミがいる。これをジレン1と呼ぼうか。そして、その世界には前回過去転移したキミ、つまりジレン2もやってくる。今のキミをジレン3とすれば分かるだろう、もしキミが《過去転移》を繰り返せば――」


 その言葉の先は、俺にも分かっていた。


「一つの世界に3人の俺が存在することになる。それを因果律が許さないんだろう? もしその方法が許されるなら、最終的に無限の俺が存在することになるからな」


「そういうこと。前に言ったかもしれないけど、ボクにとって《過去転移》は大した術じゃない、息を吐いてホコリを飛ばすようなものだ。因果律が存在する限り、《過去転移》してもなにもできないしね。ただ、因果律が決して許さない《過去転移》もある」


「親殺しの矛盾を生みかねない《過去転移》と、俺でもなんでもいい、無限にモノが増殖する可能性が生じること――だな?」


「そういうことだよ」


 だから《過去転移》には制約があったのだ。自分が生まれるより前には転移できず、そして《過去転移》できる回数は一人一度という制約が。


「分かってる、だからその対策は考えた。前回俺が《過去転移》したのは、フェロキア暦200年初春の月15日の日の出の時刻だ。だからほんの数秒でいい、今回はそれより少し前に《過去転移》させてくれ」


「へえ。するとどうなるって言うの?」


「それなら過去の世界に存在するのは、赤ん坊――おまえの言うジレッド1と、未来からやってきた今の俺――ジレッド3の二人になる」


「でも、数秒経てば前回過去転移したキミ――ジレッド2がやってくるはずだよ?」


「いや、来ないはずだ。俺の世界の歴史は一本の線で、過去が改変された瞬間未来も変わるんだろう? つまりジレッド3である俺が《過去転移》した時点でジレッド2が《過去転移》する未来は変わる。そうでなくとも、同じ人間が3人以上存在することは許されないんだろう? ジレッド2、つまり前回の《過去転移》は因果律によって行われないことになるはずだ」


「面白い考え方だね。でもそれってジレッド2が行った行為はすべて消滅し、歴史が改変されるってことだよね? その場合、ジレッド2の影響を非常に強く受けたキミがどうなるかは分からないよ?」


「そうだな。だがそう影響が出るとは思えない。ジレッド3である俺がこれから《過去転移》しようとしている時間は、塗り替えられる以前の歴史だからだ。ジレッド2の《過去転移》がなかったことになって改変される歴史があったとしても、それ以前の時代にいれば関係ないだろう」


「そうか、色々考えてはいるんだね」


 クロノスは一度頷いてから言った。


「一つ教えておくことがある。ボクはね、キミの未来を知ってるんだ。教えてあげよう、キミの未来には―――――が待っている」


 不思議なことが起こった。クロノスはなにかを口にしたが、その言葉が認識できなかった。言葉が聞こえなかったとか唇が読めなかったとかそういう類のものではない。ただ認識できないのだ。


「分かるかい? 今のも因果律の影響なんだ。ボクが未来を教えれば、歴史に大きな影響が生じかねない。だからボクが誰かの未来を語ることは、因果律によって禁止されているんだ」


「……興味深い現象だな」


 因果律の存在については薄々感じてはいた。だが目の前で実践されるのはなんとも不思議な光景だった。


「ようするに、ボクには制約を守った方がいいよ――という助言しかできない。その結果、キミがどうなろうとなにも言えないんだ。キミの浅知恵が因果律に通用するかは分からない。もし歴史への影響が大きいと判断されれば、最悪消滅したっておかしくはない」


「多分そんなことなはらない。過去に戻って人を殺すことは、歴史に大きな影響をおよぼしかねないんだろう? 因果律に目を付けられたとして、俺個人を消滅させることが簡単にできるとは思えない。最悪でも《過去転移》に失敗するだけのはずだ」


「それとてキミの推測に過ぎないんだけどね。まあいいよ、キミがそこまでやる気なら使ってあげよう。ボクにとってはどうでもいいことだしね」


「異存はない。やってくれ」


「よし。じゃあ《過去転移》にともなう3つの制約について説明しよう」


「またやるのか。もう知ってる話だぞ?」


「何度も言うけど、ボクにとっては昨日も明日も同じモノだ。だから《過去転移》の度に必ず説明する必要があるんだよ」


「分かった分かった。仕方ない、最後まで聞こう」


 それは15年前に聞いたのとまったく同じ内容である。

 クロノスの長い説明を最後まで聞き終える。


「待たせたね、じゃあ契約しよう。ボクの真名はクロノスだ」


 俺という魂が彼女と結びつく不思議な感覚が生じる。15年前と同じだ。俺は15年前と同じように、《過去転移》すべき時間を思い出した。フェロキア暦200年初春の月15日の日の出より一秒前だ。


「契約に応じ、力を貸してくれ。時空の精霊、真名クロノス」


「いいとも異なる世界の召喚士、また会えるといいねよ」


 次の瞬間、俺の体は光に包まれた。足、手、胴、顔。すべてが白い光で塗りつぶされていき、そして――。


  ◆


 目が覚めたとき、俺はどこか見覚えのある野原にぽつんと立っていた。

 自分の体を見直す。なにも変わりはない。所持品もだ。


 ふと足元を見る。そこには、生後間もないジレンが捨てられていた。まだ泣いてはいないが、しばらく見ていると泣き出した。だが、もう一人の俺――最初に《過去転移》したはずの俺がやってくることはなかった。


「……やはり思った通りだ」


 前回の《過去転移》が行われた時間帯は修正が加えられた、あるいは削除されたのだろう。だが俺がこの世界に来たのは、修正が行われた時間帯の前である。因果律の修正対象になることはなかったのだ。


 つまり、《過去転移》を行い過去の自分を教え導き、そして一つになることを繰り返せばいくらでも精霊と契約できる。俺の考えは間違っていなかったのだ。


 もっとも――。


 ずいぶん後になって分かることだが、俺はこのとき勘違いをしていた。


 なぜ俺が二度以上の《過去転移》に成功したのか。なぜ俺がどれだけ歴史に干渉するようなことをしても、因果律の修正対象とされなかったのかという、その真の理由を。

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