妻の弁当は屋上で

霜月秋旻

妻の弁当は屋上で

 場所はとても重要だ。誰の目も気にすることなく昼間、弁当箱のふたを開けられる安全な場所。人目を避けるなら御手洗いが無難なのだろうが、さすがにそんなところで弁当を食べる気にはならない。

 私は毎日、会社の屋上でひとり、弁当を食べている。理由は些細なことだ。妻が毎日つくってくれるデコ弁を、会社の同僚に見られたくないからだ。ただそれだけの理由だ。

 ごはんの上に鮭フレークをハート型に盛り付け、更に私の名前や『だいすき』などのメッセージを昆布の佃煮や海苔で描くのはほぼ毎日のこと。ゆで卵の切れ目を丁寧にギザギザにしたり、タコさんウインナーにきちんと顔を描いたり、デコ弁づくりに関して妻は手を抜くことを知らない。私が出勤のとき必ず妻は早起きして弁当を作る。結婚してから一年強。自分にも保育士という仕事があって大変なはずのに、今までサボったことは一日たりともない。

 弁当箱の中には彼女の若さと個性がたっぷり詰まっている。食べるのが勿体無いくらいに可愛い弁当なのだ。私はいつもそれを、屋上でしばらく眺めてからゆっくりと味わって食べる。

 しかしそれをいつまでも、会社の同僚は放っておいてはくれなかった。毎日昼休みになると屋上へ行く私を不振に思い、こっそり私の後をつけて、私が弁当箱を開けるのを同僚は私のすぐ後ろから見てしまった。

 ごはんの上には『LOVE』と海苔で描かれていた。そして鮭フレークでできたハートマーク。

「すげえ弁当だな。愛に満ちてるっていうか…」

 私の弁当を見ると同僚は去っていった。ニヤニヤした顔で去っていった。私は見られたショックで弁当を味わうことをわすれ、ただ事務的に口へと運んだ。

 そして次の日から、私の弁当を見るギャラリーが増えていった。弁当を褒めているのかけなしているのかわからない同僚の視線がうっとうしくて、私はまるで食べた気がしなかった。

 そんな日が続いたある日の晩、寝室でついに私は妻にそのことを告げた。もうあんな弁当は作らないでくれ、せめてもう少しまともな弁当にしてくれと頼んだ。すると妻は反論しなかった。

「いままでごめんね…」

 妻はそのひとことだけ告げ、それから私が眠るまで、お互い一言も口を利かなかった。

 真夜中に私が目を覚ますと、となりから妻のすすり泣く音が聞こえた。私を起こさないように、私に気付かれないように、声を殺して泣いていた。

 罪悪感が私を襲った。ここでひとこと謝ろうと思った。しかし、こっそり泣いている妻の気遣いが台無しになってしまう気がして、そのまま私は気付かぬふりをして、ふたたび眠りについてしまった。

 翌朝、目が覚めると妻の姿は無かった。もう仕事に行ったのだろうか。台所のテーブルの上には私の分の朝食、そして千円札が一枚置かれていた。結婚してから初めて、妻は弁当作りを放棄した。

 私は朝食を食べながら、ふと台所の引き出しに目をやった。紙のようなものが少し引き出しからはみ出ている。

 その引き出しを開けると、そこには何十枚もの、弁当のデザインや献立を記された紙が重ねられて入っていた。おそらく妻は毎晩、翌朝の弁当のデザインを考えていたのだろう。保育園の子供達の相手をして疲れているなか、手を抜かずに毎晩、私を喜ばせようと。それを私に否定されたとき、妻はどんな気持ちだったのだろう。言葉はたやすく人を傷つける。妻のこころを私は、言葉の槍でチクチクつついて最後には突き刺してしまったのだ。


 私はその日、彼女が台所に置いていった千円札でコンビニから弁当を買って、会社の作業机の上で食べた。会社の同僚達は、どこか残念そうな顔をしていた。そのコンビニ弁当は、それなりに美味しかった。しかし何かが物足りなかった。味はもちろん、見た目も違うのは当たり前だ。しかしそんなことではない。別の何かが不足していた。


 その晩、私は妻に謝罪した。謝罪しても、私が妻を傷つけた事実は消えない。そんなことはわかっていた。しかし謝る以外に方法は考えられなかった。たとえ同僚に笑われようが、私には妻がつくった弁当が必要だった。そのことに今日、改めて気付いたのだ。


 それから私はずっと、会社のデスクで堂々と妻のつくった弁当を食べている。やがて同僚の目も気にならなくなった。

 妻のつくった弁当にあって、コンビニ弁当には無いもの。それはきっと…。

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妻の弁当は屋上で 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke

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