私、心配しないので
霜月秋旻
私、心配しないので
「なんか違うんだよなぁ、うん。なにかが違う」
先生の仕事場を訪ねると、暗い部屋の中で、先生は机に向かって、頭を掻きむしりながら何かを考えている。
「何をそんなに悩んでおられるのですか?」
私が尋ねると、先生は振り向いて笑顔を見せた。
「やあ志村くん。相変わらず美しいな。いやなに、次の連載会議に出す予定のさ、新作漫画の主人公の決め台詞を考えていたんだよ。しかしいいのが思い浮かばなくてね」
私は、自分がいま担当している、週刊誌『少年ジャポン』専属の漫画家、坂田銅八先生の書斎を訪れている。新作を考案中の先生の書斎の床には、ぐしゃぐしゃになった紙があちこちに散らばっている。私はそのうちのひとつを拾い、広げて見てみた。その紙には、こう書かれていた。
『私、心配しないので』
どこかで耳にしたようなフレーズだ。どういう意味かは知らないが、どうやら床に散らばっているのは、先生が捨てた、その主人公のボツになった決め台詞達のようだ。
「…先生、いったいどんな漫画をお考えなんですか?」
「ん?ああ、家族ものだよ。ホームドラマ。主人公は子育てに追われているお母さんでね。旦那が留守の間、あらゆる出来事から我が子を守るというストーリーさ。いま、世の中物騒だろ?変な詐欺の電話がかかってくるかもしれないし、怪しいセールスの人が尋ねてくるかもしれない。もしくは逃走中の凶悪犯罪者が窓ガラスを割って侵入してくるかもしれないだろう?そういう我が家の平和を脅かす、あらゆる悪事と戦う母親を、僕は描きたいんだ」
「へえ。ちょっと面白そうですね」
私は、床に捨てられてる別な紙をもうひとつ広げてみた。その紙には、こう書かれていた。
『お前ら全員、吸い尽くしてやる』
掃除機か?主人公の武器は掃除機なのか?でも家庭を守る主婦としては、ありかもしれない。
「先生、その主人公である母親の武器は、掃除機でお決まりなんですか?」
「いや、違うんだ。実はその主人公、人間じゃなくて吸血鬼なんだ。人間の血を吸って生きている…」
ああ、なるほど…って、え?じゃあ吸い尽くしてやるって、まさか血のこと?家に来た泥棒とか変なセールスの人とかの血を吸い尽くすってこと?そんなことしたら死んじゃうじゃん!恐い!なんかグロテスクだよ。
「あ、あの先生。さっき拾った紙に書いてあった『私、心配しないので』というのは…」
「ああ、あれは気にするな。ただのらくがきだ。昨夜やってたドラマ観てたら、いつのまにか書いてたんだよ」
やはり。どこかで聞いたことがあると思ったらそういうことだったか。
私はもう一枚、床に落ちている紙を拾って広げた。その紙にはこう書かれていた。
『卵が私を待っているのよ』
私はその紙を先生に見せて、どういう意味なのかを尋ねた。
「ああ、それは主人公が家で、怪しいセールスマンと戦っているときのセリフだよ。主人公が時計を見ると、時計の針は三時五十分を指していた。近所のスーパーではその日、四時からのタイムセールで卵がひとパック八十円で売られるんだよ。はやく悪者を倒さないと、タイムセールに間に合わなくなる。そこで必死になって、そのセリフを吐きながらセールスマンに向かっていくわけだよ。しかし結局ボツにしたがね」
うん。ボツでよかった。『卵が私を待っているのよ』って言いながら、セールスマンに襲い掛かっての血を吸うんだろうな。卵を安く買いたいがために。それ、少年誌の主人公としてはどうなんだろう?セールスマンが可愛そうだよ。卵の為に命を落とすって…。
私はその後さらに数枚、床から紙を拾っては書かれているボツセリフを確認した。
『あなたの血液、頂戴!』
これじゃあ、もうわが子を守るとかじゃなく、完全に血を吸うのが目的だよ!頂戴しちゃだめ!
『ごちそうさま』
血のこと?
『血っ!しくじった』
なにを?
『血っくしょう!!』
………。
いままで私は編集者として、坂田先生の作品を担当してきたが、必ず登場人物のなかに、吸血鬼が出てくる。しかも吸血鬼の感情描写が、妙にリアルなのだ。なぜ先生は、そこまで吸血鬼にこだわるのか。
「志村くん…」
先生は、突然席を立って、私に近づいてきた。先生の口から、なにやら牙のようなものが見え隠れしている。
「先生…?」
「すまない志村くん!!」
いきなり先生は、私に飛び掛ってきた。口から牙をむき出しにし、私の首元にかじりつこうとした。
「ぐああああ!!」
その瞬間、私が首につけている十字架のチョーカーを見て仰け反った。その隙をみて私は逃げ出した。
「まて志村くん!君は、君は僕のことが心配じゃないのか!僕に血を恵んでくれ!」
「私、心配しないので!」
そう言い捨てて、私は先生の仕事場を後にした。
「血っくしょう…!!」
私、心配しないので 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke
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