殺すか否か

秋村ふみ

殺すか否か

 ネズミが掛かっていた。

 元旦の朝、伸びをしながら台所の前を通ったら、毎晩台所を荒らしまわっていたと思われる子ネズミが、粘着タイプのネズミ捕りに張り付いていた。両手両足の自由を奪われ、もがいている。

「やったわ!これで台所を荒らされずに済むわ!毎晩毎晩、物音で眠れなかったのよね。新年初日からついてるわ!」

 後ろから、嬉しそうに妻が話しかけてきた。

「ああ、そうだな…」

 確かに、ネズミが引っかかったのは喜ばしいことだ。しかしいざ、ねずみとりの上で、苦しそうに鳴きながらもがいているネズミを見ると、なんだか可哀想に思えてくるのだ。

「さあ、逃げ出さないように、息の根を止めないとね…」

 妻は、近くに置いてあった漬物石を手にし、ネズミの方に再び目を向けた。俺はこれから目にするであろう残酷な光景を思い浮かべると、妻の腕を掴んだ。

「やめろ!!」

「…どうしたの?あなた」

「お願いだから…その石でそいつを潰すのはやめてくれないか?」

「なに言ってんのよ?そもそもネズミ捕りを仕掛けたのはあなたでしょ?毎晩毎晩、台所を荒らされて嫌になる、早く引っかかって欲しいと願っていたじゃないの!」

「そうだ!たしかにそうだが…でも、その石で潰すのはやめてくれ!」

「じゃあ、ライターの火で火あぶりの刑にでもすればいいかしら?」

「そ、それもやめてくれ!」

「じゃあどうすればいいのよ…。あなた、カメムシは潰しても平気なくせに!このままじゃ今に逃げ出しちゃうわ!」

 頑張っている。子ネズミは今にも逃げ出しそうなくらい、元気にもがいている。

「まあいいわ。それじゃあ、あなたがそのネズミを始末しなさいよ」

 そう言うと妻は、朝食の準備に取り掛かった。

 もしこのまま子ネズミが逃げてしまったら、また台所を荒らすだろう。また毎晩、眠れない日々が続くのかもしれない。そしてまたネズミ捕りを仕掛けることになる。同じことの繰り返しだ。そうなるならいっそ、これ以上苦しむことのないよう、一撃で楽にしてあげた方がいいのかもしれない。それもひとつの優しさなのかもしれない。

「よし…」

 俺は漬物石を手にした。そして子ネズミの真上で、石を持った両手を振り上げた。

 その瞬間、居間のテレビから軽やかなBGMが流れてきた。、娘が毎朝観ているテレビアニメのテーマ曲だ。『ネズミのちゅうたろう』という、都会で必死に生きるネズミが主人公のアニメ。娘がいつものように、テレビに合わせてテーマ曲を歌いだした。


 チュウチュウチュウチュウちゅうたろう

 ぼくはまいにち生きている

 チュウチュウチュウチュウちゅうたろう

 ぼくは必死に生きている

 僕らはちっぽけ みにくいネズミ

 だけど生きたい 生きてゆく

 みにくくてもいい 生きてゆく


 「ネズミさんも、一生懸命生きているんだね」

 娘のそのひとことに、ますます目の前でもがくネズミを殺すことができなくなってしまった。

 ネズミの立場からしてみれば、年が明けたばかりなのにいきなり生命の危機に直面し、さぞ不運なことだろう。伝わってくる。生きたいと願う子ネズミの感情が、痛いほど私の心を刺激する。逃がしてやりたい。生かしてやりたい。台所を荒らされるのが何だ!ネズミだって生きるのに必死なんだ!


「ちょっと出てくる」

 私は決意した。引っかかった子ネズミを、ネズミ捕りごと外へ持ち出した。どこか安全な場所へと逃がすために。

 近所の公園までたどり着くと、私は子ネズミを、ネズミ捕りから剥がしてやった。

「ほら、お前は自由だ。行きたいところへ行け。ただしもう俺の所には来るなよ」

 子ネズミは、俺に礼を言うかのように鳴き、走り出した。

 しかしその瞬間、野良猫に尻尾をつかまれ、そのまま…。

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殺すか否か 秋村ふみ @shimotsuki-shusuke

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