第10話 轆轤の井戸 その四
全身を鋼でつらぬいていくような、痛みをともなう衝撃波だった。巨大なチェーンソーで全身を輪切りにされるように痛い。
来る——
まちがいなく、ヤツが来る。
「危ない! さがれッ!」
龍郎は青蘭を抱いて、井戸端からとびのいた。神父や穂村もあわてて、あとずさる。
まもなく、空の黒雲が巨大な竜巻となって、亡者を巻きこみながら井戸につきささった。そのさまは太い柱のようだ。空全体を覆っていた黒い渦巻きがすべて、井戸に吸いこまれる。
そして入れかわるように地鳴りが激しくなり、何かが井戸をつきやぶって、そこから出現した。またたくまに三十階建ての高層ビルほどに伸びる。
その姿を見るのは数ヶ月ぶりだ。
あいかわらず、醜い。
ツァトゥグア——
下半身のぼってりした巨大なヒキガエル。その全身を短い獣毛が覆い、腹は異様にふくれあがっている。
そして何よりも、全身のイボ。そこから小さな蝦蟇が無数に顔を出し、赤い舌をチロチロゆらす。ツァトゥグアが身動きするたびに、小さな蝦蟇がとびだしそうになって、グラグラ踊り狂う。
それだけでもおぞましいが、今回のそれは、さらに嫌悪感をもよおす姿に変じていた。
陶吉だ。ツァトゥグアの頭部が陶吉の顔になっている。井戸の底に陶吉が落ちたとき、その体をとりこんだのだ。老醜の陶吉のおもてにイボがふきだし、皮膚も蝦蟇のような色に変化している。蛙と人間の中間だ。
老人がケケェーッ、ケケェーッと奇声を発すると、龍郎は体が内側から熱くなっていくのを感じた。みるみるうちにインフルエンザにでも
青蘭が叫ぶ。
「マズイ! ツァトゥグアはターゲットの血管に硫酸を流しこむ技を持ってる。やつは僕たちを全員、溶解させるつもりだ」
そうだ。その恐ろしい技で、清美の両親は殺されたのだ。全身が内側から焼けただれ、溶けくずれ、すさまじい苦痛に悶絶しながら死ぬ。
神父が応えた。
「青蘭。ロザリオだ。星流の形見の品を持ってるだろう? かかげろ。ロザリオを!」
「ロザリオを? どうして?」
「いいから、やるんだ!」
神父にせかされて、青蘭は内ポケットから、父の形見のロザリオをとりだした。すばやく、神父も自分のロザリオを出し、二つをかさねる。
すると、やわらかい風が龍郎たちの周囲を包んだ。
汗がしたたりおち、片膝をついていた龍郎は、すっと体の熱がひくのを感じた。
「結界だ……ツァトゥグアの魔法攻撃を防いでいる」
つぶやくと、神父がうなずく。
神父のひたいには、それでも、まだ汗が浮かんでいた。熱というより、ツァトゥグアの攻撃をしのぐ結界を張ることに苦戦しているようだ。
「ああ。だが、私は青蘭の浄化の力をひきだしているだけだ。長くはもたない。今のうちに、やつをやれ」
神父は星流と恋人だったというし、長らくバディを組んでいた。ロザリオを重ねることで特別な力を発揮するのだろう。
龍郎は瞬間、青蘭を見た。
これまで、たいていのときは青蘭とともに戦ってきた。青蘭と手をつなぎあっていれば、自分のほんとの力量の十倍も百倍ものことができる。
でも今は、そんなことを言っている場合じゃない。それは、わかる。
龍郎は決心を固めた。
戦う前からアドレナリンは充分すぎるほど放出されている。行く、と決めただけで、手の内に剣が現れた。澄んだ光を放つ退魔の剣。
なんだか、青蘭は心配そうだ。
「龍郎さん。気をつけて……」
「ああ」
目と目を見かわし、龍郎は駆けだした。
三十階建てのビルに人間がつっこんでいくようなものだ。まずは足元を切りくずし、やつを地面に倒さなければ。
龍郎はくずれた井戸の石組みの上に立ち、目の前にそびえたつ邪神の腹に神剣を叩きこんだ。意外なほど、ザクリと食いこむ。剣をつきたてた肉のまわりには青白い炎が噴きあげた。
陶吉の顔をしたツァトゥグアの口から咆哮があがる。龍郎の攻撃は効いている。
(これなら、行ける!)
龍郎が確信した、そのときだ。
頭上から何かが降ってきた。あわててよける。ジュッと音を立てて、足元の草が黒く焦げた。悪臭が漂う。酸だ。
見あげると、ツァトゥグアの体に埋没した蝦蟇が、いっせいに口をひらき、長い舌のさきから酸を吐きだしていた。
奉仕種族だ。
今になって気づいた。
ツァトゥグアの体に埋めこまれたヒキガエルは、蝦蟇仙人と同じものだ。ツァトゥグアは自分の体表面に、自分の奉仕種族を寄生させている。
その一匹一匹が、強酸を吐く魔物だ。
(くそッ。これじゃ、近よれない!)
それだけじゃない。青蘭と神父の作る結界に強酸がかかると、負担が大きくなるらしい。神父の顔色がだんだん青ざめていく。もう、それほど長くは結界がもたない。
あと数分が勝負だ。
(どうする? どうすれば、やつに近づき、致命傷を負わせられるんだ?)
考えるあいだにも、強酸が襲ってきた。
龍郎は必死によける。
ケエエエエエエエエェーッ!
キエエエエエエエエエエエーッ!
頭上でツァトゥグアが勝ち誇って笑っている。
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