第十話 轆轤の井戸
第10話 轆轤の井戸 その一
龍郎が青蘭を抱きおこすと、青蘭は目をさました。
「龍郎さん……」
「ケガはない?」
「大丈夫。ビリッときたから、スタンガンかな」
青蘭は立ちあがり、千雪の遺体を見ると、何か言いかけてから口をつぐんだ。罵倒しようとして、やめたのだろう。尊大な青蘭でも、さすがに死者の尊厳は守るべきことを知っているらしい。
「青蘭。清美さんは?」
「龍郎さん、ガマガエルなげたよね?」
「うん」
「あれを探しに行った。僕もついていこうとしたけど、そのとき、ビリッて」
「なるほど」
ということは、清美はそのへんにいるはずだ。しかし、ショゴスに守られているし、蝦蟇仙人は清美になついている。ただの亡者に取り殺されることはないだろう。
「さきに行こう。蝦蟇仙人によれば、ツァトゥグアはまだ完全に、この世界に出現したわけじゃないらしいんだ。今のうちに不意打ちできれば」
「うん。行こう」
龍郎は千雪の遺体に衣服をまとわせると、青蘭とならんで、さきを急いだ。
熊吉の住居のあった山のなかではなく、村の方面へと続く道を進んでいく。
「あっ、青蘭。左手、出してごらんよ」
「こう?」
「ほら。これ」
龍郎はポケットに入れておいたペアリングの一方をとりだすと、青蘭の指にはめた。
青蘭は嬉しそうに指輪を目の高さにかざす。
「ありがとう。大切なもの、なくすとこだった」
「なくしても新しいの買うけど」
「ダメ。これじゃないと」
「……そうだね」
話しているうちに、雑木林をぬけた。
村のようすが一望できる。
村は一変していた。
今朝、出立したときには平和で牧歌的な村だったのに。
渦を巻く黒雲が空から村を圧迫し、その下を無数の首が飛んでいる。
そして、村のいたるところで、数えきれないほどの死体が土の下から続々と這いだしていた。村の人口より、亡者どものほうが、はるかに多い。
生きている者の姿が見えないが、やはり家のなかに閉じこもっているようだ。
そのときだった。
龍郎は信じがたいものを見た。
村の上空にある渦巻きの中心から伸びる竜巻が、一段と大きく発達し、地上に降りると、そこにいた亡者の群れを吸いこんだのだ。亡者は一瞬で消えた。渦巻きの中心が、どこかにつながっているのだとしたら、そのさきのどこかへ……。
するとそのあと、黒雲の渦巻きが不気味に回転した。奇妙な紫色に光りさえする。雲がふくらんだり縮んだりして、なんだか吸いこんだ亡者を食べているかのようだ。
青蘭が口元をひきしめ、天を仰ぐ。
「龍郎さん。クトゥルフもそうだった。やつらは召喚される前後、奉仕者を喰う。召喚のためのエネルギーを要するのか、単に
「だとしたら、もしかして、亡者はヤツのための餌としてこの世に呼びだされたのか?」
「きっと、そうだ」
つまり、亡者を喰えば喰うほど、ツァトゥグアの力になるということだ。
一刻も早く、亡者が増殖する現状を打破しなければ、のちのちキツくなる。
「急ごう。青蘭」
「うん」
それにしても、村の車道や農道も、どこもかしこも亡者が大移動しているので、進んでいくのに邪魔でしかたない。なぜなのか、龍郎は気づいた。亡者たちはこの村から逃げだそうとしているのだ。死んだ者にそういう感覚があるのかわからないが、この村にとどまっていれば喰われることを察しているのだろう。
どうしても、ここでも流れに逆行していく形になる。ただ、さっきの村の出入口付近の車道ほどではない。あそこは村から出ていくための唯一の幹線道路だから、村から脱出しようとする亡者が、とくに集中していたのだ。
「あれを借りよう」
龍郎は近くの民家の玄関先に置かれた自転車に目をつけた。しかも、電動だ。ありがたいことに鍵がかかっていない。
「青蘭。うしろに乗って」
「こう?」
いわゆるママチャリだ。荷台に青蘭を乗せて、龍郎はペダルに足をかけた。電動アシストで、いっきに加速する。坂道を登っていくような抵抗感はあったが、徒歩より遥かに楽に進めた。
「速い。速い。龍郎さん」
「しっかり、つかまっててくれよ」
灰色の波間を縫うように、細い農道を自転車で暴走する。
亡者たちが邪魔で前は見えないが、道のまんなかを走っていれば障害になるものもなかった。なにしろ、住人が家のなかにこもっているので、村のなかを走る車が一台もいないのは助かる。
つっ走っていくあいだにも、竜巻はベロベロと舌を伸ばして、亡者を渦のなかにひきずりこんでいく。何度かは家屋の屋根もつきやぶった。このままでは生きている人間も危ない。いつ、竜巻につかまれて食料にされるかわからない。
立ちこぎの人力フルスロットルで、亡者たちをさんざん、はねとばしていった。
やっと、山手の神社が見えた。今日も生首が飛びまわり、あの民謡らしきものを歌っていた。
「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」
「ろくろをまわせ」
「ろくろをまわせ」
「ろくろのさきにろくどはあるか」
「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」
その歌を聞きながら、龍郎たちは自転車をおりた。雑木林のなかは整備されていないから、自転車は邪魔になる。
「行くぞ。青蘭」
「うん」
このさきに、清美の両親を殺したアイツがいる。
ツァトゥグア——
決戦の時だ。
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