第6話 蔵のなか その五



 青蘭が見つからない。

 必死になって、あたりじゅうを走りまわり、光司に頼んで稲葉家の家のなかもすべて見せてもらった。敷地内の庭から、周囲の田んぼ、雑木林なども。

 でも、見つからない。


 龍郎は急いで、神父に電話をかけた。

 ふだんは敬遠しているくせに、やっぱりいざというときには頼ってしまう。


「青蘭が……青蘭がいないんです! 数分、ちょっと離れただけなんですが、戻ったらいなくて……」

「なんで目を離した! わかっていたろう? 彼が悪魔につねに狙われていることは」


 いきなり怒鳴りつけられた。でも、それはしかたない。ほんとに、なんで油断してしまったのか。自分自身が情けなくて、龍郎は歯噛みした。


「すいません……とにかく、六郎の首は買いとる約束をしたので、早く青蘭を見つけないと」

「……そうだな。時間が惜しい。状況を説明してくれ」


 龍郎は青蘭がいなくなる前後のようすを話した。そのあいだ、神父は黙って聞いていた。


「それで、今、君はどこにいるんだ?」

「稲葉さんのお宅の門前です」

「重ねて聞くが、稲葉さんの自宅にはいなかったんだな?」

「いません」

「わかった。手分けして探そう」


 神父たちがやってくるまで、龍郎は青蘭のスマホに電話をかけてみた。もちろん、つながらない。さっきから何度もかけているのだ。青蘭は電話の音に気づいていないか、気を失っているのか……。


「青蘭。ぶじでいるのか……?」


 まさかすでに悪魔に殺されたなんてことはないだろうか?

 まったく、青蘭が悪魔を惹きつける体質だと知っていて、なぜ、片時でも一人にしてしまったのか。


 龍郎が自己嫌悪と焦燥にまみれて、ヘドが出そうになっているとき、自動車のエンジン音が近づいてきた。

 稲葉家の前の道をまっすぐ、こっちに向かって走ってくる。わりと高級な車だ。そして、龍郎の横でピタリと止まった。パワーウィンドウがおり、五十代くらいの男が顔を出す。だいぶ髪が薄いが、想像力を働かせると、光司の三十年後の姿が見えた。光司の父だろう。


「ちょっと、そこ、どいてくれますかね。車入れるんで」

「すいません」


 話し声を聞きつけたのか、なかから光司がやってくる。


「あ、やっぱり。親父か。この人が、さっき話した本柳くん」

「ああ、この人か。陶吉の茶碗が欲しいんだそうですね。なか入ってください。茶碗なら持って帰ってくれていいので」

「あ、でも……」


 それどころじゃないのだが、押しの強いおじさんに、むりやり車のなかへ押しこめられ、敷地のなかへつれもどされてしまった。


 車から降りると、次は「いっしょに晩飯を食わんかね?」などと言いだすので、龍郎は正直に断った。


「つれがいなくなってしまったので、探しているところなんです。すみませんが、お金はあとで持ってきます。今、財布のなかに三万しか入ってないので」

「あんたも物好きな人だねぇ。あんな汚い茶碗のどこがいいんだか」


 鷲尾の作品の仲介で生計を立てているくせに、骨董にはなんの興味もないらしい。鷲尾の作品だって、あれと大差なかったと龍郎は思う。


「金はいつでもいいから、茶碗、持っていっていいよ」と親切にも言ってくれるので、龍郎は遠慮なく持って帰ることにした。というより、そうしないと、この家から出られそうにない。


「じゃあ、お言葉に甘えます」

「いいよ。いいよ。高屋敷さんとこのお客さんだって言うから」


 だから信用されていたわけだ。

 たしかに村人が保証人になっているようなものなので、品物だけ持ち逃げはできない。


 龍郎はふたたび、座敷蔵に案内された。蔵の扉をあけると、暗闇のなかで、あの茶碗が光っている。昼間に見たときには、それでも茶碗の形が見えた。しかし今は六郎の首にしか見えない。生々しい少年の首が青白い光を放ち、悲しげな目で龍郎を見あげていた。


(ほんの少しだけど、青蘭に似てる)


 たしかに、とても綺麗な少年だ。

 だが、青蘭にというよりは別の誰かに似ている気がした。

 それが誰だったろうかと考えているうちに、稲葉家の当主の手で、首が持ちあげられ、桐の箱に入れられた。稲葉には茶碗にしか見えていないのだろう。


「はい。これね」


 稲葉に手渡された箱を受けとったとたん、龍郎は幻視に襲われた。

 赤い振袖を着た十三、四の娘が見える。髪を現代では見ないような形に結っている。時代劇の町娘役の少女が結うような形だ。

 おそらく娘は庄屋の——つまりは稲葉家の子どもだ。着物も真新しく、裕福ないでたちをしている。


 娘は縁側に座っていた。

 一人ではない。

 同じ年ごろの少年と笑いながら話している。六郎だ。ならぶと、どっちが女の子かわからない。


 二人はとても楽しそうだ。

 それに、幼い恋心が、たがいを見つめる瞳の内に感じられる。

 手をにぎりあって、何事かささやきあう。きっと、大きくなったら夫婦めおとになろう——そう言っているに違いない。


 幸福そうな少年と少女。

 しかし、そのようすを陰から見つめる人物があった。服装や年齢から言って、少女の父親だとわかる。父親の顔に浮かぶ表情は苦々しげだ。六郎と娘が親しくするのを快く思っていない。


 しばらく子どもたちのようすを見ていた庄屋は召使いらしき男を呼んだ。何やら、こそこそと話している。


 よくないことが起こりそうな予感はあった。


 すっと映像が暗くなり、場面が変わる。

 竹林のなかのあばら家をさっきの庄屋が訪れている。つれの男に持たせたご馳走や酒の入った瓶を渡しているのは、あばら家に住む落武者たちだ。困ったときはおたがいさまですからとかなんとか言っているようだ。

 武者たちは喜んでご馳走を飲み食いしているうちに、すっかり寝入ってしまった。


 馬小屋のような粗末な家の外に何者かが近づいてくる。小汚いかっこうをした百姓か、あるいは山賊のようなものかもしれない。手に手に刀を持っている。ギラギラと刃が光る。

 ツギのあたったみすぼらしい着物の男たちが数人、抜き身をさげて家のなかへ駆けこんでいく。


 武者たちは、したたかに酔っているから、家屋のなかに人が侵入してきても誰も目を覚まさない。ただ、六郎だけが気がついて、父親だろうか。仲間の一人を必死にゆり起こそうとする。


 しかし、惨劇は始まった。

 百姓たちはすでに何人も殺したことがあるらしい。慣れた手つきで次々と武者たちをほふる。


 悲鳴と鮮血がとびかう。

 あっというまに事は終わった。

 武者たちの素性を隠すためか、百姓たちは、さらに武者の首をはねた。一つずつ裏にある井戸のなかへ落としていく。


 六郎だけは刀を手にして抵抗しようとした。まだ少年ではあるが侍である。元服前の前髪姿とは言え、泣きわめいて仲間が殺されるのを見ていることなどできなかったのだ。


 でも、あっけなかった。

 しょせんは屈強な成人と、か細い少年の力の差は歴然としている。それも相手がすでに人殺しであるならば、なおのこと。


 追いつめられて、六郎もこときれた。六郎は体ごと井戸に投げこまれた。

 井戸の底で、しだいに冷たくなる自分の体を、六郎は感じていた。丸い井筒から白く月が見えていた……。

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