第5話 六郎の首 その三



 しばらく待つが、千雪は帰ってこない。もしかして、離れまで行ったのだろうか?


「変だな。何かあったのかな? おれ、ちょっと見てくるよ」


 龍郎は千雪を探しに離れへむかった。

 今日は龍郎たちの帰るのが遅くなったから、千雪の家族はすでに食事を終えて、それぞれの部屋に戻っている。離れには千雪の妹の千春と千波がいるはずだ。一人のところを落武者の霊に襲われたわけではないだろう。


「千雪さん、いますか? 入りますよ」


 声をかけてから一階の千雪の部屋の障子をあける。が、無人だ。すると、となりのほうからガタガタと音が聞こえてきた。縁側に出ていくと、物置の戸があいている。


「千雪さん?」


 今度はいた。

 千雪が上のほうの棚から何やらダンボール箱をおろそうとして四苦八苦している。床にあれこれ置いてあるから足場が悪いのだ。

 龍郎が入ってきたので驚いたのか、千雪はバランスを崩した。「きゃっ」と声をあげてダンボールもろとも倒れそうになる。あわてて、龍郎はかけよった。ギリギリのところで、どうにか支える。


「だ……大丈夫ですか?」

「すいません……」


 青蘭も小柄だが、いちおう男だ。千雪はさらに華奢なので、抱きとめると、すっぽり腕のなかにおさまる。

 つかのま、硬直していた千雪が、急に真っ赤になって龍郎の胸に両手をあてた。

 龍郎は急いで手を離した。


「あっ、すいません。とっさに、つい」


 だが、今度は千雪が自分からすがりついてくる。


「ごめんなさい。少しのあいだ、こうしていても、いいですか?」

「えっ? ええと……」


 なんだろう。

 急にビックリさせてしまって、怖かったのだろうか?


 戸惑っていると、千雪の両眼から透きとおった雫がこぼれだす。いわゆる涙というやつだ。いよいよ、龍郎はあわてふためいた。


「あの? ほんとに、すいません」

「優しいんですね。龍郎さん。青蘭さんが羨ましい……」


 千雪の瞳が妙な熱を持って、龍郎を見つめてくる。

 あれ、ひょっとするとマズイぞと、龍郎も思わないではなかった。あわてて一歩ひきかけたときには、ふっと唇がふれあっていた。ただそれだけの淡いくちづけ。


「……これが六花叔父さんの日記です。母屋のほうに持っていっておきますね」


 言い残して、千雪はすばやく縁側から庭へおりていった。つっかけの音が遠くなっていくのを、龍郎は呆然と聞いた。


(こ、これは……青蘭にバレると、殺される?)


 ヤバイ。

 早く帰らないと、怪しまれる。

 大急ぎで母屋へ走っていった。


 だが、すでに遅かった。

 龍郎の顔を見ただけで、青蘭の目が冷たくなる。千雪の家族がいなくて、ほんとに助かった。いきなり青蘭は龍郎を板の間につきころばした。そして、馬乗りになって、龍郎の胸のあたりをくんくんとかぎだす。


「せ、青蘭……」

「アイツの匂いがする!」と言って、さきにそこに戻っていた千雪を指さす。

 恐ろしいほどの勘だ。悪魔の匂いをかぎわける能力が高いのは、もともとの嗅覚の鋭さのせいなのかもしれない。


「えっと、いや、これは、その……不可抗力なんだ。彼女が倒れかけたとこを支えたから。それだけだよ。何もない」


 青蘭は地獄の業火のなかで火炎の息吹を吹きだす竜のような目で、龍郎をにらみつけてくる。


「龍郎さん。僕の目を見て」

「み、見てるよ?」

「目が泳いでる! なんかあったねッ?」


 怒り狂った青蘭が、龍郎の胸を両手で連打してくる。以前もやられたが、これはかなりの大打撃なのだ。あばら骨を全部、持っていかれるんじゃないかと思う。


「い……痛い。青蘭。痛い」

「龍郎さんはズルイよ! 僕があなたしか愛せないの知ってて、なんで、ほかの人のことなんか見るのッ?」


 ズキンと胸が痛んだのは、叩かれたせいじゃない。青蘭の両眼から、みるみる盛りあがってこぼれおちてくる透明な液体のせいだ。


 ああ、こんなに可愛い人を泣かせてしまった。それは許されないことだ。


 周囲に外野が四人もいようと、おかまいなしで嫉妬をむきだし、修羅場を披露ひろうする困った恋人だが、それだけ青蘭の愛情は激しいのだと実感する。


 龍郎も外野を気にかけず、こぶしをふるってくる青蘭の背中に両手をまわし、むりやり抱きしめた。

 青蘭はそれでも龍郎の腕のなかで、しばらく暴れていたが、龍郎は力をゆるめなかった。むしろ、拘束をきつくしていく。


「青蘭。好きだよ。おまえが好きだ」

「ほんと……?」

「うん。宇宙一、愛してる」

「…………」


 龍郎の胸を涙でぬらしていた青蘭が、ようやく、おとなしくなった。どうやら許してくれたらしい。


 龍郎は視界のかたすみで、そっとノートを置いて立ち去っていく千雪を認めた。かわいそうだが、しかたがない。もともと、こっちは千雪のことを特別には思っていないし、愛情を持たれても困る。


 龍郎は青蘭を抱いたまま起きあがった。そして、真正面に立つ清美と目があった。清美はスマホのカメラをこっちに向けている。


「……清美さん。撮影、やめてくれませんか?」

「えっ? でも、今からチューするんですよね?」

「しませんよ。だから、やめてください」

「ええッ? なんで? なんで、しないの?」

「やめてくれないと、スマホ、とりあげますよ?」


 ブツブツ言いながら、清美がスマホをポケットに入れた。修羅場をずっと撮っていたらしい。どうせ消してくれと言っても聞いてはくれないだろう。


 穂村は黒い手帳に何やら書きこんでいる。こっちは河童と蝦蟇仙人の同率性がどうのこうのと言ってるので、たぶん、龍郎たちのことは目に入っていない。


 神父は表面上、気にしていないそぶりだ。見てもいないし、興味もないという顔をしているものの、指で自分の膝を叩いている。ちょっとイライラはしているようだ。


(まともな神経なのは、フレデリックさんだけだな)


 龍郎は嘆息して、床に置かれた古びたノートを手にとった。表紙が色あせ、なかの紙も黄ばんでいる。


「これが六花さんの日記ですね」


 龍郎がそう言うと、みんなの視線がそこに集中した。

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