第2話 雑談日記 2 ウリミバエ 後編 

 次の日、早速昨日のメンツで集まり自然と同じ位置に座る。

 昨日同様お茶と菓子を用意し光さんが喋り始めるのを待つ。


「ふぅー。美味しかった」

「お粗末様です」

「さ、ツッキーのお茶も飲んだし、昨日の続きね」

「ウリミバエが本島本土上陸までは時間の問題というところまでですね」

「そうだね。じゃ、早速続きね。


 本島本土上陸までは時間の問題、発見されたウリミバエの勢力を把握するために調査チームを組んで久米島に向かう与儀嘉雄一行。


 そこで見たものは悲惨な光景だった。とあるスイカ農家のスイカの中身がすべてミバエの幼虫に侵されており原型を留めてなかったの」


「仁、スイカって結構でかいよな?」

「品種によるんじゃね?」

「一般的なやつを思い浮かべればいいよ」

「…………きもい」

「勿論すぐに行動にでたわ。植物防疫官総出で殺虫剤を持ちこんで島中に散布したものの、殺す数より増える方が多いので全く意味を成さなかった。


 対策考案のために与儀嘉雄は同じ植物防疫官の先輩である中里健三に託したが、琉球政府は本土復帰目前でそちらに予算を割いており、ウリミバエ対策に予算を出してもらえる可能性は低かった。


 そこで、中里健三は考えた。沖縄だけの問題ではなく、日本中の問題なのではないのかと。


 日本政府の中央官庁に陳情書を提出しました。


 当時農林省植物防疫官の岩本毅の目に止まり自体を重く見るや否や農林省のトップに直訴したわ。


 流石に偉い人の訴えだけあって、すぐに対策に乗り出すことになりました。


 しかし、肝心の対策がなかったの、生息地は昨日話した通りで日本には元々いなかったせいか生態にかんする資料は全くなかったの。


 岩本毅は資料室にこもって手掛かりが見つからないまま一ヶ月が経った。


 探して探して、ある日のこと、アメリカの学者のレポートを見つけるの


 内容は繁殖能力を落とす不妊虫放飼について書かれていたわ。

 不妊虫放飼によりアメリカのロタ島で世界で唯一ミバエを根絶できた実績があるけど、やり方が複雑で


 野生のミバエの卵を回収、幼虫を蛹にしてがん治療で使用される(コバルト60)という放射性物質を当てることで生殖能力を失った状態で成虫になる。


 この生殖能力がないウリミバエを不妊虫というわ


 この成虫と交尾をしても卵を残さないし、交尾を繰り返すほど繁殖能力が少しずつ弱まり数が減っていく。


 これを幾重にも繰り返し行うのがこの不妊虫放飼作戦の全貌よ!」


「はーい。質問でーす」

「はい。釧路君」

「それって、一匹が1000匹産まなくなるってだけで一体何匹育てれば撲滅出来るんですか?」

「ふふーん。それもこの話に在るからその時まで待つのよ」

「はーい」

「解決策がわかっても飼育・放射性物質取り扱いの施設、継続的な放虫と問題は山積みよ。


 それにこのときこのレポートには50の島で実験を行ったが、このロタ島以外成功していない為に本来なら分の悪いかけになるけど、これ以上時間を費やすことは出来なかったからこの作戦をチョイスしました。


 岩本毅の巧みな芝居によって当時1億円の予算を準備し、日本中から昆虫学者・科学者・研究員が集められて、対ウリミバエ特命チームが作られた。


 この出来事は当時の新聞にも載ることになり、与儀嘉雄は勿論その記事を読んでおり、特命チームに入りたいと上の人と相談し、交渉の末、特命チームに転属したわ。転属というのは沖縄が本土復帰したら国の職員で特命チームは県の職員という位置付けだったためね」


「というか、その与儀という人はなんでそんなにミバエを根絶やしにしようと必死なんですかー?」


「与儀嘉雄は農家の息子で、農家の苦しみを知っていた。それに防疫に携わる者であれば、ウリミバエがどれだけ脅威なのか、誰もが知っている悪魔のようなハエ。だからこそこれだけ必死なんです。


 別名ミバエの鬼とも言われるほど熱心な方なんです」


「へぇー」


「つづきね、ウリミバエ対策の施設やコバルト60を運び込みアメリカの唯一成功したレポートを半信半疑の状態で進めって行き、1972年5月、待ちに待った沖縄が正式に日本の一部として本土復帰を果たしました。このとき同時に野菜の出荷が始まりました。


 しかし、1972年9月、沖縄本土でウリミバエが発見されました。


 約2年で久米島から上陸しました。

 さて、発見された為野菜の出荷が止まりました。何故でしょうツッキー」


「防疫法です」


「はい。正解! 経済的打撃を軽減するために特命チームはミバエがその程度の勢力になっているのか調べるために、久米島に赴くわ。


 本来なら絶滅危惧種の動物がどれくらい生存しているかを調べるマーキング法を逆手に取り、ミバエに目印を付けて時間を置いてからまた再度目印をつけたミバエのもとにやってきて、周辺のミバエの数をチェックするという方法を取ったの。


 さ、問題です。一体何匹居たでしょう。釧路君」


「え、3ヶ月で1000匹生む計算として、一年で4000、1匹換算だし、400万くらいですか?」


「おー。近い。推定500万匹よ」

「思ったより近かった」

「グラフにしたらとても面白い事になりそうなくらい増殖したウリミバエ、それだけ沖縄の野菜が豊かとも取れますが、それはさておき、与儀嘉雄が久米島で調査している間に別のメンバーにはある重要な仕事を割り振っていたわ。


 元となるウリミバエの大量飼育する仕事よ。競争力、寿命を計算し、根絶に野生のハエの10倍の数の不妊ハエが必要であることがわかったわ。


 大体週に100万匹放飼をする必要があったの。

 でも飼育は困難を極めたわ。ハエの生命力があれば環境と餌を与えておけば勝手に育ってくれるとチームが結論をだして、餌を与えて様子を見に行くと、死臭がしたの。

 しかも、飼育する建物の外まで臭うような強力な臭いがね。

 私もあまり言いたくないけど、孵ったウジの体液と餌の腐敗臭が入り混じっていて想像を絶する臭いだったそうよ」


「硫黄が可愛く思えるレベルだな」

「そうね。その後もシロアリ対策の駆除剤が染み込んで幼虫が全滅したり、気温が少し変わっただけで死んだりと、生態としてまだまだ未熟であることがわかったの。


 日本に居ないが故に資料もないという今では考えられないことね。


 さて、壁に何度もぶつかり指揮が低下していたチームの中、当時最年少であった中盛広明という人は諦めず、ウリミバエと共に生活をし始めるという行動をきっかけにメンバーも交代交代でウリミバエの生態を調べることになったの」


「その中盛ってのは凄いな。俺ならパス」

「優夜、きっとそいつにはなにかあるんだよ」


「そうね。仁君。これは検索しても出てこないけど、彼の家族がマラリアを持った蚊に殺されたの。だからこそ殺意であり執念、復讐心が彼の心の中に潜んでいて、絶対に」


「駆逐してやる! この沖縄から一匹残らず!」

「はい。釧路君ありがとうございます」

「まさに口にすることを知っていたかのように返された」


「このことを知れば、彼が熱心に害虫を駆除しようとしてそのような行動に出るのは理解できるわね。


 この行動のにより、今まで知られていなかったウリミバエが夜から朝にかけて活発に動く時間帯に室温が上昇することを突き止めたの。


 そして、ようやく成虫まで育てる事ができるようなったけど、コバルト60の放射を当てすぎると野生の雄との競争に負けてしまう事があったり

 施設の外にいるウリミバエは夕方に交尾をするけど、人工の飼育で育ったウリミバエは夕方に交尾をしないなどの問題が発生したけど、実験体はいくらでも居るので解決にはそこまで時間はかからなかったわ。


 勿論だけど、このウリミバエは品質管理され、防疫に適した個体を作り続ける必要があり、防疫による必要数も多く、人手が足りない状況でどんどん工程が簡略化されていったわ。


 野外では野菜を食べるけど、工場内ではふすまに砂糖と水を混ぜてバットにして餌にしていたけど、人手では手が回らないので自動的に飼育室に移動するラックで育てるなど、完全にミバエの工場という様相。


 そして、どんどん人工飼育と放射線により不妊虫ウリミバエを製造していくわ。


 この時、ウリミバエの総数は推定3億匹。


 1975年2月、製造が安定してくると不妊虫ウリミバエが久米島で初めて放たれることになり、何百万匹という不妊虫ウリミバエを放ち続けて約一年半で久米島の野生ウリミバエがゼロになったの。


 放飼もはじめは蛹を入れたバケツを提げておいたり、手でまいた。数が多くなると、冷蔵コンテナで虫を冷やし、冷えて寝ている虫を入れて自動的に虫を落とす装置をヘリコプターのの両側に付けて空からまいたりして放飼も効率重視になっていったわ」


「人類やべぇ」

「さ、思い出して、今現在も存在する沖縄の基地。さ、これは日本でしょうか?」

「アメリカでしょ」

「そうね。この当時もあったの。で、県内なのに県外扱いであり、一国でもあり交渉が必要不可欠だったの」

「ん? ウリミバエを殲滅するなら放飼しまくればいいんじゃ」

「例えば大量発生している珍しい個体がゲーム上の特定の位置にあったらどうする?」


「あー使えるかどうかは置いといて倒すか捕まえるかしますね」

「そうね。ウリミバエが大量発生しているのがアメリカ基地の領土内だったら?」

「あーなるなる」

「与儀嘉雄はアメリカ軍基地の森林地帯に目をつけたけど、軍事基地が故に簡単にヘリからの放飼が出来なかったの。


 でも、何度も交渉の末、1976年1月、調査という名目で罠を仕掛けることには了承を得たけど、それでは抜本的な解決には至らなかったわ。

 勿論同時に調査もしたわ。結果は与儀嘉雄が思った通り、発生源となっていたわ。

 その発生源である森林地帯の奥には重火器、弾薬などがあってアメリカ軍もヘリを飛ばすことを許されなかったところだったの。

 だから罠を設置する以外手がなかった。

 そんな中、母国で昆虫学を専攻している研究者でもある、エハート大尉が与儀嘉雄の活動に興味を示し、沖縄戦から約30年という月日を経て、対ミバエという同盟を組んで日米で対策をし始めるの」


「エハート大尉ぃ」

「でも、罠だけではダメでヘリからの放飼により根絶でないと効果がないのに、軍の上層部はなにかあったらどうするんだ却下という姿勢を貫いたわ」

「ヘリが墜落して重火器とか巻き込んだら基地としての役割は果たせなくなるし、万が一の確率でも払拭しておきたいのは当然ちゃ当然か」

「そうね。何度も何度も掛け合い、ようやく1977年6月、最高幹部の一人であるロビンソン氏に飛行許可が託された。資料、エハート大尉の進言によりGoサインが出された。

 これにより基地の上からヘリが放飼することが出来、ウリミバエはその数を減らしていく。

 その実績を認められ、1984年ウリミバエ工場施設は完成。

 この工場の生産能力は週に1-2億匹を作り出すことが可能で、職員の人件費を除いて約204億円かかったわ。


 この間に放飼されたウリミバエは500億匹以上に登るとされるわ。

 そして、1993年10月、農林水産省はウリミバエが南西諸島全域から完全に根絶されたことを発表したの。


 こんな経緯を経てゴーヤーチャンプルが沖縄以外で食べれるようなりましたというわけです」


「凄い。そしてもう別になんでゴーヤが1993年堺に沖縄以外で食べられる様になったとかわりとどうでもよくなった」

「この不妊虫ウリミバエは定期的に放飼しており、沖縄で、その個体を見ることができますが、8ミリって結構意識していないと追い払おうとするから難しいかもね。

 では私の話はこれで終了です!」


「いきなり濃い内容だったな……」

「仁。どうする? あれより濃い内容ってできそう?」

「無理だろ」

「ですよねー」

「まぁ、こんな感じで雑学だねぇって感じで話してね」

「「無理ゲー」」

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