観光世界

しあわせゆめめ

赤ポスト





「元観光スポット『赤ポスト』と、勇敢な一人の観光客について…ここに記す。」





「なんでかなあ。」

ごく普通の会社員として、日々働くだけの生活を送る女、ゆきな。毎朝歩きで通勤し、髪を後ろに一本結んで、常に猫背、人と特に仲良くするということもない。ぱっとしない女がいた。この日もいつものように、何をしているのかもわかっていない怪しげな会社へと通おうとしていた。

そんなゆきなにも、人生何が起こるかわからないもので。一通のラブレターを手にすることになる。しかし、ゆきなはラブレターに対してあまり良い印象を持たなかった。ゆきなが部屋の隅にでも居るかのように暮らすのは、明るい雰囲気はゆきなの学生時代のトラウマを思い起こすからである。

ゆきなは活気のある生徒として有名であったが、それゆえに、一部の生徒からは恨みを買ってしまったのだ。そうして歳を取るごとにゆきなを常に憂鬱な気分へと誘っていった。そこで起きた事件は、もうゆきなを明るい気分へと導くことはない。

ゆきなは自宅の玄関を出ると、しわがつくまでラブレターを握りしめ、「よし、」と少し気合を入れるように一歩一歩を踏み出した。馴染みのあるご近所さんに挨拶をしながら、少しぶつかっては「すみません!」とお辞儀をする小学生を横目に、子供はかわいいな、なんてことを考えてはこれから相手をするであろう大人達のことを思い出して、深くため息をついた。

「このラブレター、どうしようかな」

カツカツと歩きながら、丁寧に封をされたそれをまじまじと見ていた。が、視界の左からのびてきた手に、取られてしまった。


取られたのだ。


「え?」

突然のことに頭の処理が追い付かないうちにぱっと左を見た。そこには、しわの増えたラブレターを、丸くて小さな手でぎゅっと握った、小さな少女がいた。少女はラブレターを色々な角度からちらちら見た後に、おおきく口を開けて一気に放り込んだ。そして満足そうにもぐもぐと食べている。私がもらった、まだ封も開けていないラブレターを。

「ちょっと待って!待って待って!」

ようやく頭が追い付いてきたゆきなは、少女の肩をわしとつかみ、ぐわんぐわんと前後に思いきり揺らした。

「何してるの!それ私の!私の!」

必死にラブレターを取り返そうと試みるが、少女はついに、ごくんと飲み込んでしまった。それを見たゆきなは今までにないほどの深く長いため息をつき、「なんなの」と地面を見ながら頭を抱えた。意味が分からない、この少女はなんだ?何がしたいんだ?そう思って少女をもう一度しっかり見つめると、疑問だらけだった頭が一気に晴れた。

(ああ、そうか。これが……観光スポットというやつか。)

「観光スポット」。それはこの世界に存在する、いつから現れたのかも、いつ消えるのかもわかっていない、不思議な力を持つ者たちのことである。そしてゆきなのような特に特徴もなく自然に産まれてくる者たちのことは「観光客」と呼ばれる。

少女は何かしら自分が間違いをおかしたことに気が付いたのか、ゆきなの方を見て困った顔をした。ゆきなの見る限り、その少女はどこから見ても異質な姿をしていた。今は混乱していたからこそ気が付かなかったが、いったいいつからここにいるのだろう。長くてふわふわとたっぷりした髪の毛を垂らし、白いワンピースだけを身に着け、頭に悪魔を思い起こさせるような曲がった角を生やし、わずかに開いた口の中には獣のような尖った牙が並んでいるのが見える。そして、何より少女が他とは違う面は、


真っ白なポストの上に、ちょこんと座っていることだった。


ここにこんなポストがあっただろうか。まじまじと少し大きくつやのあるそれを見、少し触れてみた。

「ああ君、何も用が無いならちょっとどいてはくれんかね。」

「あ、はいっ!」

呼びかけられて声が裏返った。目の前の出来事に気を取られていたゆきなは、後ろに中年男性が立っていることに気が付かなかった。どうやら何かの順番を待っていたらしい。

ゆきなのような観光客は、生まれると同時に政府から「観光パンフレット」を渡される。観光スポットには底知れない力がある。訪れた観光客にこれ以上ない幸福を与える者もいれば、観光客に何らかの不幸や障害を与えたり、その観光客だけでは済まない死者が出ることもある。幼いうちから観光スポットについて理解しておかなければ、無事に生きていくことは出来ない。個々のパンフレットにはいくつかの観光スポットがランダムに紹介されており、パンフレットに紹介された観光スポットを全て訪れると、また一つグレードの上がった観光スポットが紹介されたパンフレットが政府より渡される。パンフレットに載っている観光スポットは、そのパンフレットを持つ者しか訪れることしか出来ない。更なる幸福を求めて観光を繰り返し、グレードを上げるのは決して良いこととは言い切れない。グレードが上がるほど、危険度も高いのだ。

その点ゆきなは、観光スポットの存在を忘れるほど観光について触れてこなかった。周りの人もこの少女を認知していることを考えて、この少女はパンフレットに載っている観光スポットではないらしい。

「今日も頼むね。」

中年男性に話を聞いたところ…この子は、手紙を食べるのが特技らしい。

「君も何か書いてみたらいいよ。相手には届かないけどね。」


そう言われて一夜明けた次の日の朝。特に書きたいことは思いつかなかったが、適当に書いた手紙をあの少女のもとへ持って行こうと少し緊張しながら玄関を出た。昨日少女がいた場所へと早足で向かう。これでいいのだろうか。初めての観光に不安が大きいまま、うつむいて歩いていた私の頭に何かがゴツンとぶつかった。

「痛!」

目の前を見上げると、ぶつかったのは少女の頭だった。痛そうに頭を抱えている。

「あ、ご、ごめんね!えっと、あの…これ、書いてきてみたんだけど、どうかな?」

あまりに痛かったのか涙目のまま手紙を見た少女は、手紙と不安そうなゆきなの顔を何度も見返した後、ぱあっと明るい表情を見せ、とても嬉しそうに持ってきた手紙をほおばった。その様子を見てゆきなは、詰まった何かが取れるように安心し、ふう、と息をついた。

「よかった、喜んでくれて嬉しいよ。」


それから、毎日仕事から帰ると、何かしらの手紙を書いては、少女の元へと持って行く。その度に少女は喜んでくれた。私も嬉しかった。




そんな日々の中、いつも通りポストの前へとやって来たゆきなは、目の前の光景に、膝から崩れ落ちた。ポストから無数のとげが生えて、それらが、少女の身体を貫いて、少女は死んでいた。大量の血液が、白いポストを赤く染めている。

「あー、今日赤ポストの日だった。来て損した。」

後ろで若い女性が踵を返して行く。

「ま、待ってください!」

納得が出来ない。こんなに凄惨な現場を見て、なぜこの女性は不満そうにしているのか。少女にはいったい、




どんな力があるっていうんだ。




少女についてわかってきたこと。

少女は他人の憂鬱な気持ちや怒りの感情など、負の意識が詰め込まれた手紙を、書いた本人の代わりに昇華する。手紙を書いた人々は暗くなることなく毎日を明るく過ごすことが出来るのだ。そして先日の残酷な光景。あれは少女の座っているポストに負の意識が溜まっていった結果、その意識達を、少女を貫くという形で昇華しているものだという。


私は少女に問いかけた。痛くないのか、と。

少女は薄い声でつぶやいた。


「とても痛い」







作者コメント

評価によって続きを書きます。読んでくださりありがとうございます。

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