揺れ動く心、攻めの休日

霜月秋旻

揺れ動く心、攻めの休日

 シンジは、ある日を境に『疲れた』という言葉を発さなくなった。言いたくなっても、心の奥底に留めておいた。シンジは人一倍、体力が無く、疲れやすい。しかし自分はまだまだ頑張りが足りない、世の人間は自分以上に仕事をしている、『疲れた』などと自分が言ったら世の人間から『その程度で疲れたのか』と言わんばかりの冷たい目で見られるに違いない、という思考が常にあった。


「はぁ…、つっかれたなぁ…」

 シンジの同僚のアスカは、毎日仕事が終えるとシンジの前で堂々と背伸びをしながらそう言い放つ。自分も本当は『疲れた』と言いたい。しかし『言ったら負け』というルールが自分の中であった。

「ねぇ、シンジくんって休みの日、いつも何して過ごしてるの?」

「え?僕?ええと…友達と映画観たりドライブしたりかな」

 シンジは嘘をついた。本当は休日は何もしないで、自室のベッドに寝そべって物思いにふけるか、あるいは近所の古本屋で本を立ち読みするのが主である。そんなことを言ったら、きっとアスカに『つまらない奴』だと思われるに違いない。

「シンジくん、明日休みだったよね。明日の予定はもう決まってるの?」

「いや、決めてないけど」

「じゃあさ、明日私も非番だから、ドライブ連れてってよ。シンジくんがいつも行ってるところまで」

「…え?」



 シンジは誘いや頼みごとを断れない性質である。断ることによって、相手を不快にさせるのが嫌だった。よって今回も、アスカの誘いを断ることが出来ず、ドライブデートを了承してしまった。

 シンジは焦った。運転免許を取得してから約一年、シンジは今まで自分の家から二十キロ以上離れた場所まで運転したことがない。外食もロクにしたことが無いから、美味しい店を知らない。携帯電話もガラパコスの安い料金設定で、ネット遣い放題ではない。車にカーナビも付いていない。その状態で、未知の領域へ踏み込まなければいけない。彼女に恥をかかせないよう、服装にも気を遣わなければならない。あらゆる不安がシンジの脳に襲い掛かり、パニックを起こさせた。洋服屋に新しい服を買いに行き、近所のコンビニに行ってグルメやファッション、マップ等あらゆるジャンルの雑誌を買い漁って、家で必死に読んだ。


 翌朝。目の下にクマを作って、シンジは車でアスカの家まで向かった。しかし向かう途中、アスカから断りの電話が入った。急用が出来たらしい。


 シンジは腹を立てた。しかしアスカの断りの電話に対して『わかった』の一言返事だけで、彼女に対して怒りを露にはしなかった。相手を不快にさせることをシンジは嫌った。


 しかしシンジは収まりがつかなかった。わざわざ服や雑誌まで買って、ランチの場所まで調べたのに、このまま帰ってしまっては何もかもが無駄になる。シンジは一人で、自分で組んだプランを楽しむことにした。今まで行ったことのない場所を色々とまわり、入ったことの無い店、食べたことのない料理を楽しんだ。



 夜になって家に戻ってくると、シンジの心は潤っていた。まるでいつも同じ曲をリピート再生で聴いているのを、久々に解除したような気分。脳の働きが活発になり、心が潤った。自分を覆っていた壁を、自らぶち壊したような感覚を、シンジは味わうことが出来た。


 かつて人一倍疲れやすいシンジは、休日に体を休めることに、自分の体を守ることに重点を置いていた。しかしシンジは今日の事で、考えを改めた。体を守ることも大事だが、心を潤すことも大事だということを、学んだ。新しいことに挑戦して、経験を積んで、心を強くする。余計な負担を無くす。今までの『守りの休日』から『攻めの休日』へと切り替える。シンジはそう決意した。アスカに対する怒りなど、いつのまにか消え失せていた。


 それ以後シンジは、ちょっとやそっとのことでは不安を感じなくなり、心の負担も軽くなった。行動の幅が広がり、知り合いが増えた。常に新しいことに挑戦したくて仕方が無くなっていた。



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揺れ動く心、攻めの休日 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke

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