第7話 夜更けは静粛に

 日暮れ。夜の帷が降りた城内を、独り歩くクロウ。駆け抜けたい気持ちとは裏腹に、赤い絨毯の上を滑るようにして、静かに回廊をひた進む。


「人間どもめ。かような時に……!」


 ジレンマから、呪いにも似た言葉が溢れ出る。それもやはり、足音同様に圧し殺したものだ。今ばかりは騒がしくしてはいけない。魔王の右腕たる彼は、十分すぎるほど承知しているのだった。


 窓の外が明るい。城壁の上に、数多くの篝火が焚かれているからだ。その灯りの側を兵士が駆ける度、城内にチカチカ明滅を生み出している。向こう側の喧騒が漏れ伝わっていない事は幸いだが、国難の到来を思わせる不吉さばかりは隠しようがない。


 そんな不穏な気配の中、彼は主の籠る部屋に辿り着いた。ノックはせず、声を極端なまでに低くし、扉の前で口上を述べた。


「魔王様。クロウにございます」


 無音だけが返ってくる。ノックで小突きたくなる衝動に駆られるも、しばし堪えた。すると扉が薄く開き、エイデンが体を滑らせるようにして現れたのだが、その容貌はさながら病人のようであった。


 頬はすっかり削げ落ち、眉間のシワは深く、目元にも疲れがありありと浮かんでいる。相当に消耗している事は疑いようもない。


「クロウか。重大事……なのだろうな」


 その問いに、腸(はらわた)を鷲掴みにでもされた気分になり、冷や汗が流れ落ちた。だが堪える。たとえ不興を買ったとしても、報告をしなくてはならない。


「恐れながら申し上げます。使い魔より火急の報せが入りました。人間共の大軍勢が、こちらへ向けて進軍中との事です。城が攻囲されるのも時間の問題かと」


「なんだと? おのれ……。よりによって夜襲を仕掛けるとは……ッ!」


「手下だけでは、守りを破られる恐れもございます。確実に打ち払うには、陛下の御力を」


「……ならん。今この場を離れる訳にはいかぬのだ」


 エイデンの顔が一層暗いものとなる。それでもクロウは、ひとまず状況は理解して貰えたのだと、見当をつけた。


「御意。さすれば当面は全軍で当たり、陛下のお戻りを待ちましょう」


「済まぬ。極力早くそちらへと向かう」


「では私はこれにて……」


 クロウはその場を辞すと、城門の方へと足を向けた。階段を降る最中、自分の足が震えている事に気付く。不機嫌を露にしたエイデンが恐ろしくて堪らなかったのだ。魔王の片腕たる彼は臣従して長く、それ故に主人の様々な顔を知っているのだが、怒りだけはいつも胆を冷やされてしまう。


(ともかく、逆鱗に触れてはならぬ。憤怒により本来のお姿を取り戻されたら……それこそ人も魔もない。最悪、世界が破滅しかねん)


 それから階下に降り、エントランスホールにまでやって来ると、将たちのけたたましい号令が耳につくようになる。その中で兵士長グレイブの声を聞き分け、そちらへと足を向けた。


「クロウ殿。陛下は何と仰せで?」


 開口一番の言葉に対し、首を横に振るしかなかった。


「むぅ……致し方なし。こうなれば、我らだけで敵を打ち払うのみ!」


「待て、何も押し返さずとも良い。時を稼げば、やがて魔王様も御出陣くださる」


「承知した。では専守防衛を心がけよう」


 グレイブは話を終えると、手下に向き直り、高らかに声をあげた。


「聞け、者共! 今は守りに徹し、反攻の時を待つのだ! 分かったら拳を掲げよ!」


 戦の習いから鼓舞を切り出そうとした。それに顔を青ざめさせたのはクロウである。


「全ては偉大なる魔王陛下の……」


「待て待て待て、大声はいかん。それだけは止めよ」


「クロウ殿、何ゆえ止めた。戦意を高めるには、特に籠城時には必要不可欠であろう」


「忘れたか、今は騒がしくしてはならんのだ。叫ぶ気持ちを胸に留め、ただ粛々と動くよう計らえ」


「ふむ……。それも策としては悪くない。士気が低いと、敵の眼を欺けるやもしれぬ」


「そうだろう、そうだろう」


「では者共。声ひとつ漏らさず、持ち場に着くように」


 こうして兵達は各所に散った。歩兵隊200人は城壁守備を担い、総員が弓兵と化している。魔法隊の50人は城壁の内側に一列横隊となり、攻撃や援護と幅広い役割を担う。この両隊は、狭間窓と呼ばれる城壁に設えた隙間より、射撃などの作戦行動をとる事となる。


 そして独立強襲隊。彼らは曲者気質だが、いずれも際立って強く、魔族100人が束になっても敵わないという猛者揃いだ。ここではエイデンに次ぐ実力者であり、当然この場において活躍が期待されるのだが。


「むっ? 他の連中はどうした?」


 城壁まで顔を見せたのはマキーニャただ1人であり、残りの隊員3名がどこにも見当たらなかった。クロウは雛鳥でも探すように、あちこちに視線を飛ばした。しかしどれ程見回したとしても、ないものはない。


 そうして、しきりに動く蒼白顔に向けて、唯一の隊員であるマキーニャが声をかけた。その表情は普段通り、目元口元に感情を微塵も浮かべずに。


「死に損ない様。残りの社会不適合者でしたら、昼からの酒盛りが原因で高いびきをしております」


「……誰か、叩き起こしてこい」


 それを聞いたグレイブが、そこそこ鋭利な横槍を入れる。


「クロウ殿。それは無理な相談だ。末端の兵ごときを向かわせても、虚しく死なせるだけだ」


「ではマキーニャ。そなたが……」


「お断りします。私の心は親衛隊にあるのです。あのような飲んだくれ供の仲間と思われては心外です」


「何を言い出すかと思えば……今は窮地であることが分からんのか?」


「では、死に損ない様が行かれてはいかがでしょうか。連中の怒りを買って首でももげれば、手間が省けるというものです」


「何の手間か……、もう良いわ!」


 クロウは奥歯を噛み締めつつ、視線を城壁の外へと移した。闇の中から迫り来る軍気を感じ取ったのである。相当に近い。そのくせ物音が少ないのは、奇襲を意識しての事だ。


 クロウは手始めに、魔法隊へ照明を命じた。戦場を照らすのに、壁上の篝火だけでは心許ないというのもあるが、本当の狙いは別にある。人族の企みが露見した事を知らしめる為。


「照明、放て!」


 部隊からいくつのも光る球体が飛び出すと、それらが戦場の方々を、遠くまで照らした。すると浮かび上がったのは、整然と行軍する歩兵。その数だけでも三千は下らないだろう。騎兵の姿が見えないのは、いななきを心配して待機させたか、それとも一時的に離脱しているだけなのか。遊軍として動くようなら、そちらも頭に入れておかねばならない。


 クロウの頭が、素早く戦況を読み取ろうとフル回転する。人族は夜襲が発覚した事に狼狽え始めるが、魔王の右腕は楽観しない。数の上では依然として不利のままだ。このまま力押しされれば、一挙に窮地へ陥る事も十分に考えられる。


「クロウ殿。あの攻城兵器と思しきものは、何であろうか?」


「むぅ……。見た事もないが、恐らく、発射装置の類であろう。門扉の守りを固くすべきかもしれぬ」 


 歩兵隊の背後に大型の車が見える。それは巨大な槍が備えつけられたもので、その穂先は、沈みゆく太陽を指すかのように宙を向いている。扉を破るものとしては不自然な角度だが、ひとまず城門への防護魔法を厚くし、城壁にも前方面にのみかけておいた。


「人間共め。夜襲がバレたとあって、随分と狼狽えているようだ。そのままトンボ帰りでもしたら良いものを」


「そうは考えぬようだぞ、グレイブ殿。総員に臨戦態勢をとらせよ」


「心得た」


 敵襲が確実と見るや、2人も散った。グレイブは最前線の塔へ、クロウは後方の最も見晴らしの良い塔へと詰めた。作戦司令部とも呼べる後方のものは、既に同族の烏人が何人も控えていた。作戦立案の補佐や、全軍への通達を担う為である。


(いよいよ始まってしまうのか……)


 クロウは覗き窓から敵軍を睨みつつ、重たい胸の内から息を吐いた。単なる防衛ならどれだけ気が楽だろう。これを騒がしくする事なく防げというのだから、生易しい話ではなかった。


 人族の軍は最前線にて、歩兵を横長にして陣を作り、待機した。そのまま大人しくしてくれと思うが、数に驕る軍が止まるハズもない。


「敵に動きあり! 例の攻城兵器!」


 部下の声が示す通り、敵軍の最後方だけが慌ただしい。そこには魔法兵が集まり、何らかの術を発動させると、件の機械は巨大な槍を射出した。


 重たい風切り音が、誰もいない夜空を切り裂いていく。止める術を探る暇すら無かった。その文明の暴力とも呼べる飛来物は、見事に城壁の一角へと命中してしまう。


「直撃しました! ですが、防護魔法により被害はありません!」


「あれはマズイ、次は何としても止めよ!」


 壁に一切の損失は無いのだが、相当にやかましくはあった。衝撃や破壊から守る為の魔法も、音までは防いでくれなかったのだ。割れ鐘を叩くのにも似た轟音が、果たして城内にまで届かずに済んだのか。そうである事を祈るしか無かった。


「クロウ様、第2射が来ます!」


「全魔法兵に通達! 発射前に、何としても敵兵器を破壊せよ!」


「ダメです、距離が離れすぎていて魔法が届きません!」


「な……なんたる事か!」


 クロウの心労など知らずに、巨槍は幾本も空を舞った。城壁に直撃するたび『ゴイィーン』という、尾の長い音が轟いてしまい、壁ではなく自身の胃に穴が空きそうになる。


「クロウ様。敵が動きを変えました。歩兵による突入を狙うようです」


「それは良かった……。魔法兵はスケルトンの召喚を、歩兵には射かけさせよ」


 これでようやく爆音からは解放される、と思ったのだが、早合点であった。兵器を使わずとも、騒がしいものは騒がしい。


 敵陣より、耳をつんざくような銅鑼(どら)や、鉦(かね)の音が鳴り響く。それも一度ではない。くどいと思える程に、何度も何度も繰り返し鳴らされる。人族軍は音によって指揮系統を構築しているので、戦場では多用されるのだ。


「むむむ、あのやかましい連中を撃ち殺せ! 即刻だ!」


「承知しました!」


 弓の中でも、強弓を引くものに命令が飛んだ。彼らは渾身の力をもってして、参謀部の期待に応えようとした。そのうちの半数は成功し、銅鑼本体を撃ち抜くなどしたのだが、倒れ際に凄まじい音が鳴り響いてしまった。クロウは何か、泥沼にでも踏み込んだような気分に襲われる。


 そして極め付けは最前線だ。敵歩兵は、召喚された300体ものスケルトン部隊を前にして、あらんかぎりの声で吠えた。戦意高揚の為である。それ以降も同じだ。切り結んで吠える、痛打を浴びせて叫ぶ、傷つき倒れる仲間を抱えては泣き叫ぶ。戦場では珍しくもない光景だが、今のクロウにとっては背筋も凍りつく状況であった。


「マズイな……。このままでは突破を許してしまう」


 人族軍の精強さも問題だ。こちらは数で劣るとはいえ、想定よりも深く押し込まれていた。魔法兵も必死だ。あらんかぎりの魔力を送ってスケルトンに強化を施すも、練度の高い敵を相手にするには貧弱すきた。


 やがて壁に取りつかれるのも時間の問題に見える。その次に待っているのは城内への乱入だ。こればかりは何としても防がねばと、クロウはしきりに策を思い巡らすが、一方で配下の者たちには余裕すら見える。最悪の場合、エイデンに打ち払ってもらえば良いと高(たか)を括っているからだ。


「ふぅ、ふぅ、心臓に悪い……。この騒がしさ、大丈夫であろうか」


「クロウ様。少し過敏になりすぎでは? 静かにせよとのお達しですが、戦中では限界もあります。その結果、たとえ魔王様の不興を買ったとしても、諦めるべきなのでは?」


「お前達は若いから知らぬのだ。エイデン陛下の、本当のお姿を……」


 最後まで語る事が出来なかった。というのも、突如として空に雷鳴が走り、各所で稲妻が落ちたからだ。続いて聞こえたのは、怒りに満ち満ちた、攻撃的な言葉の数々。クロウはいよいよ虎の尾を踏みつけにしたばかりか、タップダンスまで踊り尽くしたような気になり、胆を氷点下にまで凍らせた。


「やかましい! いま何時だと思っている!」


 空には、人影がひとつだけ浮かんでいた。瞳の位置に輝く赤い光は、遠くまで射抜くようであり、灼熱の太陽すらも焦がしてしまいそうだ。色の判別がついたのはそこまで。あとはシルエットが分かるのみで、頭頂から装いに至るまであらゆるものが漆黒に染まっていた。


 これが叡知の王と呼ばれるより遥か昔、魔界すらも震撼させた、暗黒の覇者エイデンの姿なのであった。戦場は思わぬ人物の登場により、不思議な静寂に包まれた。しかし、口をつぐんだとしても今更である。


「お前らのせいで、ニコラの寝かし付けが出来んだろうがァーーッ!」


 怒れる王は罵声と共に、両の手を夜空に向かって掲げた。即座に空前とも言うべき魔力が、ひと所に集められる。


 覗き窓から眺めていたクロウは腰を抜かし、転げるようにしてその場から逃げ出した。


「総員に通達! 全力で退避!」


「は、はいッ!」


「窓から離れよ、巻き添えを食うぞ!」


 クロウは反対の壁まで這いずると、頭を抱えて突っ伏した。手下たちは、要領を得ないながらも、その様子に倣う。後は命がある事を祈るばかりだ。


「消え失せろ! 痴れ者どもがーーッ!」


 エイデンの絶叫とともに、ひとつの魔法が発動した。それは猛烈なる突風を生じさせ、人族軍の全てに吹き付けた。もちろん唯の風ではない。魔王による手加減無しの魔法は数千規模の軍隊も、重厚な攻城兵器すらも容易く吹き飛ばしてしまう。


 そして、話はそこで終わらない。怒りの鉄槌たる暴風は、治まるのに時を要したのだ。永遠とも思える時間が、地に這いつくばる全てに訪れた。


「ひぃぃ! 飛ばされるッ!」


「大丈夫か、オレに掴まれ!」


「みんな固まるんだ! 手を取り合って風を凌げ!」


 この力を畏れぬ者は一人として居ない。途方もない力を目の当たりにした事で、新参者は元より、古参の者さえも改めて痛感したのだ。


ーーやはり、我らが王は次元が違う!


 皆が畏怖の念で胸を満杯にしたころ、ようやく風が止んだ。恐る恐る窓の向こうを眺めてみると、そちらには一切合切が消失していた。城前を埋め尽くす大軍や攻城兵器はもちろん、点在していた林や巨岩に至るまで、あらゆるものが吹き飛ばされていたのだ。


 さらには、城壁までもが所々に崩れを見せていた。余波程度の威力でさえ、防護魔法を貫き、破壊した。規格外にも程があるというものだ。


「クロウ様、各隊より報告。総員無事との事です」


「そうか。この程度で済んだのは、ニコラ様のお陰であろう」


「と、仰いますと?」


「魔王様は優しくなられたのだ。怒りに我を忘れても、心根には労りの感情が芽生えておられる」


「労った結果が、これですか……」


 この日からしばらくの間、エイデンの配下たちの間に溝が生まれた。誰もが恐れおののく為に、まともな会話すら危ぶまれる事態となってしまう。生ける伝説たるシエンナですら、どこかぎこちない対応であったと言う。


 しかし、魔王がいつもの様に叫ぶのを聞くうちに、次第に君臣の間柄もなだらかなものへと移った。子煩悩な絶叫おじさんでは、威厳を保つことも難しいのである。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る