137.守神の名

 勇者の口から紡がれた、わたしの名前。悲哀の声。

 わたしを窺うグロムの瞳が探るように揺れている。きっと呪を掛けられていないかと心配してくれているのだろう。

 大丈夫だと伝えるように、わたしは小さく頷いて見せた。


「でももう、何を言っても仕方がないんだ」


 勇者は片手に赤髪を掴むと聖剣をあてて切り落とした。

 ざくりと独特な音がして、赤が風に舞う。肩辺りで揺れる髪は不格好に乱れているけれど、彼はそれを気にする様子もなく。


「僕は復活の儀式に入る。ケイオス主神もこれで終わりだ。……頼んだよ、マティエル。君の目的の為にも」


 勇者の声に感情の色はない。淡々とそれだけを口にすると、聖剣を手にしたまま森の中へと入っていく。


「待て!」


 アルトさんが後を追おうと駆け出すも、それを遮るようにマティエルが立ち塞がる。

 両手にサーベルを構えたその姿から溢れ出るのは、殺気。


 マティエルの殺気に呼応したように、散らばった赤髪がふわりふわりと風に浮かぶ。その髪が呪の気配を強く漂わせ――そして、


 髪を依代にしているからか、その体は燃えるような赤に染まっている。全身から穢れを垂れ流しながら、その人の形をした何か異形は次第に大きくなっていく。並ぶマティエルと同じくらいの背丈まで成長すると、分裂してその姿を増やしていく様子は不気味以外の何物でもなかった。


「数があればいいというわけではないぞ」

「任せていいのか」

「無論。小僧にはあの天使を譲ってやろう」


 あっという間にわたし達は異形に囲まれてしまったけれど、アルトさんとグロムに焦りの表情はない。


 顔もない異形なのに、にやりと笑みを浮かべた気がした。

 その瞬間、様々な角度から異形が飛びかかってくる。


「主、下がって結界の中におれ」

「はい!」


 わたしが居ても邪魔になるだけだ。

 そう判断したわたしは後ずさって、結界を張る。どうか無事であってほしいと、願いながら。


 

 襲いかかってくる異形に対して、グロムは槍を横に一閃。

 それだけなのに、ほとばしる雷撃が、異形達を吹き飛ばしていく。すぐに体勢を整えた異形達に目に見えてのダメージはないようだけれど、その隙間を縫うようにアルトさんが駆け出していた。

 見れば道が開いている。マティエルまで、一直線に。

 駆ける勢いそのままにアルトさんが斬りかかるも、マティエルは両手のサーベルを交差させてそれを受け止めた。

 マティエルの表情からも、瞳からも、感情は読み取れなかった。


『ギガエグアガガガガ!!』


 耳障りな声が空を衝く。思わず耳を塞いでそちらに目を向けると、異形たちが高く吠えている声だった。ただの奇声にも聞こえるけれど、何か意味のある言語なのかもしれない。その証拠に異形の動きが統率の取れたものになってきている気がする。


 槍を振るうグロムの隙を狙うような、波状攻撃。

 グロムはそれを難なく避けて、首を刈り取っていく。


 数体の異形が崩れ落ちる。わたしがほぅと安堵の息をついたのも束の間で、倒れた筈の、首の無い異形がゆらりと立ち上がった。そして――首が生えてくる。

 血のような飛沫を撒き散らし、肉らしきものが盛り上がり、そしてまた元の姿に。


 首の生える光景は、何度見ても気分がいいものではない。

 

 異形がまた飛びかかる。一段、二段とタイミングや軌道をずらしたその攻撃を槍でいなしたグロムはまた首を刈り取るはずだった。

 しかし体を反らすようにして槍を避けた異形達は、グロムへと腕を伸ばす。それを軽々と避けようとして、グロムの動きが止まった。


 長く伸びた五指。それに足を貫かれてグロムの動きが鈍る。

 それは一瞬の事だったのに。他の異形も同じように五指を伸ばして、グロムの体を貫いていく。胸に刺さった赤く伸びた五指は背中を貫通し、その爪先から鮮血を滴らせていた。


「ごふっ……!」


 グロムが血を吐く。

 時間がゆっくりと流れていくように感じる。血の気が引いていく感覚に、わたしの体は震えていた。


「グロム!」

「……来るな!」


 思わず結界を解こうとしていたのが伝わっていたのか、グロムの鋭い声にわたしの体は固まってしまう。


 グロムを貫いている異形達。それを囲むように、他の異形もグロムへとにじり寄っていく。顔の無い異形が笑みを浮かべているようで、その悪意が気持ち悪い。


「これくらい、どうと言う事はない」


 はっきりと力強いグロムの声。

 その表情にも声にも焦りはなく、彼は口端に笑みを乗せた。


「我は守神ぞ。雷の名をこの身に宿す天狼なり」


 身体中を貫かれているとは思えない程、神々しく美しい声。

 グロムが手にしていた槍を振ると、天から降り落ちた雷撃が長く伸びた五指を焼き切っていく。


 ぼろぼろと炭になって崩れ落ちていく五指。異形達は自ら手首を切り落とし、また己の意思で同じ手首を生やしていく。


 わたしは結界の中で座り込み、気付けば両手を祈りの形に組んでいた。

 何に祈ればいいのかもわからないけれど、どうかわたしの大切な人達がいなくならないでくれますようにと、そればかりを。


 グロムの傷口から流れた血は、彼の衣装を朱に染めていく。

 いますぐにでも回復薬を飲ませたいのに、結界から出れば足手まといになってしまう。この距離で治癒魔法を掛けられるほど、わたしの技量は高くない。

 そんなわたしの焦りや動揺も知らずに、グロムは口端の血を親指で手荒に拭った。


「主よ、そこで見ておれば良い。終わればあの回復薬を口移してくれるだろう?」

「しません!」


 いつも通りの彼に、何だかほっとしたのも事実。

 グロムは低く笑うと強く地を蹴り、一足で異形との距離を詰めていく。懐に入り込んだグロムに異形達がたじろぐのが伝わる。

 槍を横に一閃。今度は首ではなく、腹を薙ぐその一撃は異形達の体を上下に分断させた。


 ばたりばたりと、重い音を立てて異形が地に崩れる。

 そして――また動き出す。


 上半身から吹き出る血飛沫。蠢く肉塊。

 下半身はどろりと汚泥のように溶けていくけれど、上半身からまた新しい下半身が再生していく。


「核を壊さねば死んではくれぬか」


 他の異形に目をやると、上半身が澱みのように溶けていく個体もいた。下半身から、新たな上半身を生やしている。


「ふむ、核はそれぞれ別の部位か」


 グロムは小さく頷いてから溜息をついた。

 これは中々に厄介だと思う。どこに核があるのか全く読めないのだから。


 それでも、グロムは笑った。

 紅に縁取られた金の瞳に強い光が灯り、呼応するように槍が金雷を帯びる。


「それなら――切り刻んで焼き尽くすまでよ」


 愉し気な声が響く。殺気の乗ったその声に、異形達が後退った。

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