135.愛し子らに祝福を
「マティエルも勇者も追い詰められているのは間違いない。何をしでかすか分からないからな、早く捕らえた方がいいだろう」
アルトさんがコーヒーを飲み干して、ソーサーにカップを戻す。
窓が揺れる音に促されてそちらを見ると、窓向こうは白嵐だった。雪が舞い上がり風が吹き荒ぶ。向こうの景色も見えないほどの急転に、嫌な汗が背を伝う。
「でも一体どこに居るのか。マティエルという天使が一緒ですから、どこにでも行けるでしょうし」
ライナーさんの言葉は溜息に混じり落ちた。
テーブルの上に広げられていた地図に身を乗り出して、思案した後にライナーさんが指差したのは――エルステ。
「とりあえずエルステに間謀を向かわせますか?」
「最後の足取りは?」
「ルーランの森付近です」
「じゃあエルステにもルーランにも向かわせよう。パーティーの面々がシュトゥルムにいたなら、そっちにも回した方がいいな」
ヴェンデルさんの指示に従って、ライナーさんが地図に赤い丸をつけていく。
わたしに出来る事は――そんな事を考えていたら、ふわりと花香がした。
それに導かれて顔を上げると神気が一気に収束し光が溢れてくる。
『皆の者、息災か』
ふよふよと宙に浮かんでいるのは、白銀の髪を豊かに波打たせ、
若菜色のドレスの裾がふわりと翻り、エールデ様は床に足を着いた。
跪こうとして立ち上がったエールデ教の面々を手で制したエールデ様は、わたしに向かって微笑みかける。
わたし? 跪いたりはしませんよ。お世話になっているけれど、エールデ教に属している訳ではないし。
『クレア、アルト、リュナを救ってくれたのだな。礼を言う』
「救ったというか連れ出しただけですけどね。
『そうだな、リュナの事は心配要らぬだろう。目下の問題はマティエルだな』
「ええ。……エールデ様、マティエルがどこにいるか、ご存じだったりは――」
『ああ、それを伝えにきたのだ』
何でもない事のようにエールデ様が言うけれど、それを聞いた瞬間にわたしとアルトさんは立ち上がっていた。
「どこですか!? マティエルはいまどこに!?」
「エルステの勇者も共にいないでしょうか」
『落ち着け、二人とも』
腰に手をあて、呆れたようにエールデ様が溜息をつく。その姿は神々しいどころか可愛らしくて堪らないのだけど、いまはそれどころじゃなくて。
わたしの動揺をよそに、にっこりと笑ったエールデ様は、わたしに向かって手招きするばかり。それに応じて歩み寄り、目線を合わせるように膝をつくと、エールデ様にぎゅっと抱き締められた。
華奢な腕がわたしを強く抱き締める。ふわふわとした髪が顔にあたる。清涼な花の香りが何だか懐かしささえ感じるようで。
『ありがとう、クレア』
わたしはエールデ様の背に両手を回して、そっと撫でた。エールデ様の声が、微かにだけど震えていた気がしたから。
「どういたしまして」
一際、わたしに抱き着く腕の力を強めてから、エールデ様はゆっくりと離れた。
もうその表情に憂いもなく、いつもの神々しいお姿で。
『マティエルと勇者は、最果ての地にいる』
「最果ての地……」
最果ての地。
この世界は混沌に浮かぶ船である。
船の縁にあたる、混沌との境目の場所。そこを越えればあとは混沌に落ちるだけ。
その境目が、最果ての地。
「最果てのどこですか」
アルトさんがテーブル上の地図を持ち、エールデ様に問いかける。
『南だ。ジェラニエの森にマティエルと勇者はいる』
南にある最果ての地。聖域ジェラニエ。
アルトさんはその場所に、テーブル上にあったペンを使って印をつける。
「行けるか、クレア」
「もちろん。行きましょう」
アルトさんの手にした地図を覗き込み、その座標を確認する。魔力も問題ない、飛べる。
大きく頷くと、アルトさんがわたしの肩に手を添えた。
「必ず守る」
「ふふ、信じてますよ」
アルトさんはふっと口端を上げてから、ヴェンデルさん達に顔を向ける。
「行ってくる」
「必ず帰ってくるんだよ」
「アルト様もクレアさんも、お気を付けて」
「クレアさん、アルト様から離れちゃだめですよ!」
皆、口々に見送ってくれる。
レオナさんはソファーを離れて、わたしの側まで来ると、両手を取ってぶんぶんと揺らした。
ここが、わたしの帰る場所。改めてそう実感して、胸の奥に温もりが灯る。わたしはにっこり笑って、それに応えた。
「じゃあ行ってきます!」
アルトさんがわたしの手を握る。
もうすっかり慣れてしまったその温もりに、口元が綻ぶのも仕方がない。アルトさんを見上げるとその東雲の優しい瞳が、大丈夫だと言っている。
『愛し子らよ、そなた達に祝福を』
ふわりと浮かび上がったエールデ様の手から、緑光が溢れた。柔らかくて穏やかな優しい光。
その温かな光に包まれながら、わたしは意識を集中させた。
目的の場所は、最果ての地。聖域ジェラニエ。
そこにマティエルと勇者がいる。
きっと、これが最後――決着を。
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