120.今日も今日とて人助け―砂浜の……②―
わたしが落ち着きを取り戻しても、サンダリオさんは困惑の表情を隠せないでいた。それを気遣うだけの余裕がわたしにあるわけもなく、わたしは彼に駆け寄るとその襟元を掴んでがくがくと揺らした。うん、落ち着いてなかった。
「モーント様に会わせて下さい!」
「それ、は……ちょっ……離して……っ」
「クレア、落ち着け」
呆れた声のアルトさんが、わたしの両手首を掴む。強制的にサンダリオさんから離されるとわたしは意識して深呼吸を繰り返した。
「どうしてモーント様に? 僕が巻き込まれたトラブルだ、君には関係ないだろう」
「関係なくないんです。わたしとマティエルに因縁があるのはモーント様もご存知ですし。そうだいっそリュナ様の事もモーント様に聞いてしまおう。だから早くわたし達をモーント様のところに連れていってください。今すぐにさぁ早く」
「クレア」
アルトさんに抱き締められたと気づいたのは、サンダリオさんが視界から消えたからだった。耳に響くのはゆっくりとした胸の鼓動。アルトさんの香りに包まれて、わたしは知らない間に力の入っていた体にやっと気付いた。凭れるように脱力してもアルトさんはしっかり受け止めてくれる。
そっとその背中に両手を回すと、片手でわたしを抱いたまま、逆手で頭を撫でてくれた。それだけで、ささくれだっていたわたしの気持ちが、ゆっくりと落ち着いていくのを感じた。
「……すみません」
「苛立つのも分かるが少し落ち着こう」
「はい……本当にごめんなさい」
「珍しい姿を見れたからな、気にするな」
低く笑ったアルトさんは、わたしの頭を再度撫でてから体を離す。触れていた場所から熱が灯ってしまったようで、今度はまた別の意味で落ち着かない。
「すみません、サンダリオさん。でも、モーント様にお会いしたいのも本当なんです」
未だに困惑しているようなサンダリオさんに、申し訳なく思う。それでもこの繋がりがひとつの必然だと思ったわたしは引けなかった。
「……何か事情があるのは分かった。命の恩人の頼みだからね、モーント様に伺うだけはしてみよう。お会いになるかどうかは分からないよ」
「ありがとうございます。それで構いません」
聞いてみて、だめだったら別の接触方法を考えよう。わたしが内心で息を荒くしていると、アルトさんが空を見上げて眉を寄せた。
「クレア、何か飛んでくるぞ」
「この状態で飛んでくるって、間違いなくマティエルですよね。会いたくないので行きましょう! サンダリオさん、どこからモーント様の元に行きますか?」
「え、と……モーント様の月の泉から」
「あそこですね、大丈夫です。行きますよ!」
マティエルが近づいているなら、もうとっとと離れたい!
もしかしたらマティエルじゃないかもしれないけど、こんな無人島に『飛んで』くるのが普通の人間なわけはないもの。
わたしはアルトさんとサンダリオさんの手を取ると、転移の為に意識を集中させた。月神祝の度に向かっている月の泉だ、間違えようもない。
浮遊する感覚に、サンダリオさんが戸惑う声を漏らしたけど説明は後にしようと思った。
モーント様の月の泉があるのは、ブラウ島よりもっと北の小島。泉の他は小さな山と森しかない静かな場所。
「はい、到着ぅ」
「これは……こんな高度な転移を? さすがメヒティエルの娘か、それとも悪魔の父の力か……」
サンダリオさんは驚きを隠せずに、何やらぶつぶつ呟いている。
「メヒティルデですよ、母の名前は。堕天した時に名前を変えたんです」
「そうなのか……」
遠くで鳥の囀りが聞こえる。高く可愛らしい歌声に、心が癒されるようだ。
月の泉は水面にひとつの揺れもなく、森の木々を鏡のように映している。少し傾いた太陽が木々の合間から光を透かしていて美しい光景を照らしていた。
「モーント様に伺ってみるから、少し待っていてくれ」
わたしが頷くと、サンダリオさんは泉のほとりに片膝をつく。額の前で両手を組み、祈りを捧げているようだ。肩辺りまでの水色の髪がさらりと落ちた。
なんとなく距離を取り、周囲を見回す。
ここで勇者に絡まれた事もあったっけ……。あの頃よりも雪が少なくなっている。
「何だか懐かしいな」
アルトさんも同じことを思っていたらしい。
わたし達は顔を見合わせて、声を潜めてくすくす笑った。
「勇者の首が飛びましたよね」
「影だったのが残念だ」
「あの首が生える光景は、もう二度と見たくないですね」
「見ることはないだろう。次は生身で飛ばすつもりだからな」
「怖っ! 本気だからすっごい怖い!」
あの頃は、ここまでアルトさんに気を許す事になるとは思わなかった。ううん、もしかしたら気を許していたのかもしれないけれど、それにわたしは気付いていなかった。
いまだって、自分の本当の気持ちには気付かない振りをしているけれど。
軽口を交わしている間に、サンダリオさんが立ち上がった。
こちらを見る彼は首を傾げて、戸惑いを隠せない様子だ。何かあったんだろうか。
「……モーント様がお会いになるそうだ。君達は一体何者なんだ」
「天使と悪魔のハーフですが」
「エンシェントエルフのハーフだが」
「そういうことじゃなくて!」
わたしとアルトさんの声が揃う。サンダリオさんは頭を抱えた後に、盛大な溜息をついた。
「ともかく、モーント様がお会いになると言うんだ。君たちを
「えっ、
「どこでモーント様と会う気でいたの……」
言われたらそうなんだけれど、まさか
「神気にあてられる心配もないそうだから、このまま連れていくよ」
「ありがとうございます」
わたしは神気にあてられる事はないし、アルトさんも地底界に行って大丈夫だったから問題ないだろう。
サンダリオさんは月の泉に両手を向けて、呪文を口にする。天使文字だ。
紡がれた言葉は文字や記号に形を変えて月の泉に魔方陣を刻んでいく。転移の魔方陣のようだけれど、これをわたしが同じように描くのはきっと不可能だ。
モーント様に仕える天使だからこそ、描くことの出来る転移陣。
「さぁ、行こう」
サンダリオさんに促されるまま、わたしとアルトさんは泉に足を踏み出す。
水面が鏡のように硬い。水に落ちることもない、不思議な感覚。
わたし達が転移陣に乗ると、サンダリオさんが起動の言葉を口にする。それに従って転移陣が発動し、わたし達は光の奔流に包まれていた。
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