104.エルステの谷②
元気に遊ぶこども達が、わたし達を追い抜かしていく。「こんにちは!」と声を掛けてくれるその屈託ない様子に、思わずこちらも笑みが零れるほど。観光客に慣れているような彼らは、手を振って楽しそうに駆けていった。
通りを進んだ先、開けた広場には馬車で一緒だった人もいる。やはりみんな聖剣の伝承を見に来るのか。
広場には石造りの台座があるけれど、もちろんそこには何も刺さっていない。聖剣があったのだろう切れ込みが残るだけ。その隣には石碑があって伝承が刻まれている。
『聖剣が輝く時、混沌が世界を飲み尽くす』
聞いていた伝承と同じ。やっぱりおかしい。
大きく刻まれた一文の下にも何か文字が刻まれている。側に行ってそれを確かめたわたしは、思わずアルトさんの手を強く握りしめていた。
『剣を抜く者、我が宿願を成就させる者なり。称えよ、偉業を成す者を』
「偉業を成す者という意味での、勇者か」
「それって……」
誰にとっての勇者なのか。
この宿願とは、誰の宿願なのか。
口にしなくても、わたしが考えている事はこの超人には伝わったようだ。アルトさんは小さく頷くと、広場の清掃をしている人に歩み寄った。手を繋いだままだから、もちろんわたしも。
「少しいいかな?」
「おう、なんだい?」
箒を手にしたおじさんは、日焼けした顔を笑みで崩しながら応えてくれた。
「この伝承について、もう少し詳しく知りたいんだが……誰かいるかな?」
「そうだな……おばばなら詳しいと思うぜ。この道を進んだ先、十字路を右に曲がって赤い屋根の家だ」
「ありがとう、助かるよ」
「いいってことよ。あんた達もミハイルのファンなのかい?」
にこにこ笑うおじさんは、こちらを疑う様子もない。わたしは内心で申し訳なく思いながらも、笑みを浮かべて頷いた。
「そうなんです。勇者様ってどんな方だったんですか?」
「剣が得意な他は、普通のこどもだったよ。でもそうだな、何だか時々達観しているような、不思議な雰囲気があったなぁ……あれが勇者の素質ってやつなのかね」
「さすがは勇者様だな。ありがとう、じゃあ僕達はそのおばば様に話を聞いてくるよ」
「おう、いってらっしゃい」
見送ってくれるおじさんに会釈をして、わたし達は広場を離れる。
広場からだいぶ離れてから、わたしはアルトさんを見上げた。あまりにもじっと見つめていたせいか、アルトさんが苦笑している。でもわたしがそんな視線を向けるのも仕方がないことだと思う。
この人は、本当にわたしの知るアルトさんなんだろうか。そう思ってしまっても仕方ないくらいに、別人なんだもの……!
「アルトさんって演技派なんですね……」
「人当たりのいいエルフに見えているか?」
「ええ、そうとしか見えませんよ」
「お前を危険に晒すわけにはいかないからな。バレないように何でもするさ」
そう言って笑うと、
わたしは頭を振って、更に何度か咳払いをしてから十字路を右に曲がったのである。不思議そうにこちらを窺う、アルトさんに何も言えるわけもなく。
赤い屋根の家はすぐに見つかった。
刈り揃えられた生け垣の向こうには、ローズマリーが小さな花を咲かせている。すっきりとした香りが鼻を擽った。
「ここだな」
「いらっしゃるといいいんですけれど」
――コンコンコン
ドアノッカーにチューリップの装飾がされている。可愛らしいその飾りを指でなぞると、扉の奥から明るい声が聞こえた。
それから程無くして扉が開き、そこにいたのは明るい花柄のストールを肩に掛けた、真っ白な髪を結い上げたお婆ちゃんだった。
「はいはい、どちら様かしら」
「突然の訪問を失礼します。僕達はネジュネーヴェ王国から、勇者様の育ったエルステの谷を見たくてやってきました。先程、広場で聖剣の伝承が刻まれた石碑を見てきたのですが、もっと詳しいお話を聞かせて頂けないでしょうか」
アルトさんが先程買った林檎の籠を差し出しながら、にこやかに言葉を紡ぐ。積まれた林檎は真っ赤に色付いて、籠に収まるその様子が何とも可愛らしい。
お婆さんは皺を深めるように笑うと、「どうぞお入りなさいな」とわたし達を招き入れてくれたのだった。玄関先もふわりとローズマリーの香りがした。
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