103.エルステの谷①

 エルステまでは乗合馬車で行くこととなった。

 二頭立ての馬車で、御者が一人。馬車を守るためだろうか、兵士も一人、御者台に座っている。

 馬が引く幌車は進行方向を向く形で、座席として二人掛けのベンチが等間隔に並べられている。クッション的なものは何もなく、ただの板張りなのでこれはお尻が痛くなりそうだ。

 幌車の中央が通路となっている。通路に立って左右にベンチが五つずつ縦に並んでいて、わたし達はその最後尾に座ることにした。荷物を取り出す振りでこっそり出したクッションを、ローブの中でお尻に敷いた。もちろんアルトさんにも渡している。本当は背凭れにもしたいんだけど……流石に目立ちそうなのでお尻を守る事にした。


 乗客はわたし達の他は五人だった。

 小声で話す分には、それぞれの会話が聞こえる事もないだろう。わたしはその距離感になんとなくほっとしていた。

 まぁ穏和な笑みを浮かべているアルトさんは、やはりここでも目立っていたけれど。女性陣からの視線が凄まじい。


 定刻になり、馬が一声嘶いたのを合図に馬車は走り始めた。


「っと……」

「大丈夫か?」


 思ったよりも激しい衝撃に、身構えていなかったわたしは思いきり揺さぶられ、前の座席にぶつかりそうになる。それを支えてくれたのはもちろんアルトさんで、彼はこの衝撃でも動じた様子がないようだった。体幹の差なのか。


「すみません。馬車って揺れるんですねぇ……びっくりしました」

「しばらく掛かるようだからな、眠ってもいいぞ」

「うぅん、それも勿体ないような……」


 折角の旅だもの、天気もいいし外を眺めていたい。このちょっと浮き足立つような雰囲気を満喫したいというか……遊びじゃないのは分かっているんだけど。


「そうか。昨夜はよく眠れたか?」

「はい、ぐっすりと。でもあれって結構いいお宿だったんじゃないですか? いいんでしょうか、あんな場所に泊まっちゃって」

「治安の悪い場所に泊まるわけにもいかないからな、気にしなくていい。お前に何かあればレオナ達に叱られてしまう」

「ふふ、大事にして貰えてありがたいです」


 もし何かあったとしても、アルトさんが側に居てくれる限り、わたしが怪我をしたりする事は無いと思うけれど。それでも怒るレオナさんの姿が容易に思い浮かんで、わたしはくすくすと肩を揺らした。


 窓向こうで、過ぎ去っていく景色を眺める。

 冬らしく木々は葉を落として、陽の当たらない所々に雪の名残がある。馬車の接近に気付いた鳥が飛び立っていった。

 穏やかな風景だった。魔物の気配で溢れていた、あの森とは打って変わって。




 乗合馬車で揺られること、二時間ほど。

 切り立った山に挟まれた、細いけれど整備された道を進んだ先にその町はあった。集落からは白煙が細く上り、たなびいては雲にまぎれて消えていく。

 高い石壁で囲われている中に、ひとつ大きな門扉が見えた。そこには二人の兵士が立っていて、町との出入りを確認しているようだった。兵士の纏う鎧や手にしている細槍は、昨日、国境の関門に居た兵士と全く一緒だ。


 わたし達が乗る馬車が止まる。促されるままに全員が降りると、御者の手によって馬車は門を越えて石壁の向こうに消えていってしまった。また夕方に、エルステ発として走り出すらしい。


 他の乗客と一緒に門扉の前に並ぶ。

 わたしの心臓はばくばくと喧しい。変装がバレたら、偽名がバレたらどうしようと考えると呼吸が出来ないほどに緊張してくる。

 そんなわたしの様子に気付いたアルトさんは、宥めるようにわたしの手を取ってくれた。触れる温もりに、鼓動が落ち着いていく。顔を上げると優しく笑うアルトさんと目が合った。その微笑みが、大丈夫だと伝えてくれている。


 わたし達の番になって、兵士に身分証を提示する頃には、わたしの緊張はすっかりと薄れていた。身分証を確認した兵士がわたしの顔を見てきても、にっこり笑って対応できるほどには。

 堂々とした態度が功を奏したのか、わたしは問題なく町の中に入る事ができた。もちろん、わたしよりも落ち着き払って、穏和な笑みを浮かべているアルトさんもだ。

 他の乗客も町に入って、門扉が閉まる。思ったよりも大きなその音が耳に残った。



 エルステの町は賑やかだった。

 谷の合間にあっても圧迫感を受ける事もない。

 通りを歩く人も多く、こども達が元気に駆けていく。店の前に立つ呼び込みの声も朗らかで活気に溢れている。


「さて、どうする?」

「そうですねぇ……聖剣や伝承について、話を聞けるでしょうか」


 アルトさんは小さく頷くと、近くの青果店に足を向ける。人の良さそうな店主に声を掛けて、籠に積まれた真っ赤なリンゴを指差した。


「ひと籠貰えるか」

「毎度! 観光で来たのかい?」

「ああ、勇者様の生まれた場所を見たくてね。聖剣のあった場所とかは見れるのかな」

「ミハイルのファンか。そういうお客さんも多いんだよ。聖剣はこの通りを真っ直ぐ行った先にあったんだ。今はもちろん何もないが、伝承が刻まれた石碑はあるから見ておいでよ」

「ありがとう」


 アルトさんは支払いをすませると、人当たりのいいい笑顔で籠を受け取った。

 うぅん……さすが超人。勇者と何度も切り結んだ人とは、あの店主も思わないだろう。影だったけど、勇者の首をはねとばした人ですよー……。


 籠を片手に、逆手でわたしの手を握ったアルトさんは、通りの向こうを指差した。


「さて、行こうか」

「楽しみですね」


 店主がまだこちらを見送っている。わたし達はにこやかに笑って会釈をすると、足取りも軽く歩き始めた。

 わたしもなかなか演技派だと、褒めて貰ってもいいんじゃないかな。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る