95.初日の出を共に
アルトさんに連れて行かれたのは、神殿の屋上だった。
こんな場所に来たことがないというか……来ていいんだろうか。
「大丈夫だ、心配いらない」
わたしの顔から言いたい事を読み取ったアルトさんは、問題ないと首を振る。不意に風が吹いて、わたしはコートの襟元に顔を埋めた。ふわりとムスクの香りがする。
「アルトさん寒いですよね。わたし、部屋からコートを持ってきます」
「いや、いい」
毛布を敷いたアルトさんはそこに座ると、隣を叩いて促してくる。大人しく座ると、わたしの視界には遠くの山だけが映った。遮るものなど何もない。
せめてもと収納を開いて、毛布を多めに取り出す。アルトさんに渡すとわたしの肩に掛けてくるものだから、わたしも半ばむきになってアルトさんの肩に数枚重ねてやった。
そんなやりとりの結果、アルトさんの肩に二枚、わたしの肩に一枚。二人でもう一枚重ねることで落ち着いた。
「わ……もう色付いてきましたね」
白く雪積もる山々が、曙色に染まっていく。
「綺麗ですね……。わたしの家からもね、綺麗に日の出が見えるんですよ」
「お前の家より高い山もないからな。圧巻だろう」
「ええ。でもここ最近は日の出を見る事もなく寝ちゃってたので……楽しみです」
「そうか」
「今度は、うちにも日の出を見に来て下さいね」
「ああ、楽しみにしている」
アルトさんはやっぱり体温が高い。寄り添っている触れ合う腕が温かくて気持ちがいい。わたしは厚手のコートを着ているのに、じわじわと熱が伝わってくる。
「寒くないか?」
「わたしはコートを借りてますから、全然。アルトさんこそ大丈夫ですか?」
わたしが問いかけるのと、ほぼ同時くらいにアルトさんがわたしの肩を抱き寄せる。先程よりも触れ合う場所が増えて、こうやって寄り添うのは初めてではないのに、なんだか鼓動が早くなる。……酔っているんだろうか、お互い。
「こうしていれば暖かい」
「……そうですか」
耳がじんじんする。赤くなっているのかもしれないが、確認する事も出来ない。寒さのせい、お酒のせいにしておこう。
もうどうにでもなれ、なんて抱き寄せられるままに体を預けているうちに、空が暁に染まっていく。仄暗かった空が、次第に染まっていく様は見事としか言いようが無かった。
薄くたなびく東雲色。そして姿を現す太陽に、景色は一気に朱と金に塗り替えられる。
「……綺麗」
太陽が姿を現すと、その熱量に寒さも薄れていくようだ。ふと隣のアルトさんを見ると、群青色の髪も赤く染まっていて、その黄赤の瞳も朝を映して輝いている。
目が合った。
見ていた事が知られてしまって気恥ずかしいけれど、優しく微笑まれると目も逸らせない。だからわたしも、笑って返すことにした。
「……クレア、これを」
曙光が落ち着いてきた頃に、わたしの前に差し出されたのは長方形の細い箱だった。不思議に思いながら受け取ると、開けるように目で促される。
リボンを解いて開けてみると、箱の中には美しい銀細工が飾られた幅の広いリボンが入っていた。
「これは……?」
箱を膝の上に置き、中からリボンを取り出してみる。
幅広のリボンはレースが縫いこまれた白で、とても美しい。銀細工の両端からリボンが伸びていた。銀細工で作られているのは、リナリアと……キキョウだろうか。垂れ下がるようにアイビーも飾られている。花の隙間を埋めるようにあしらわれているのは
「リボンカチューシャというらしいが……」
リボンカチューシャ。
リボンを両手に持ったままアルトさんを見ると、ふいと目を逸らされてしまった。どうやら照れているようだ。
珍しいなと思ったら、ふと一つの場面が脳裏に浮かんだ。買出しの時に、ショーウィンドウを見ていたアルトさん。その時にドレスと一緒に飾られていたのは、確かリボンカチューシャではなかっただろうか。
「つけてくれますか?」
「もちろん」
浮かぶ笑みが抑えきれない。嬉しくて、心臓が早鐘を打っている。
これが誰のお手製なのかだなんて、問うまでもない。
アルトさんはわたしからリボンカチューシャを受け取ると、優しい手付きで頭に乗せてくれる。耳の後ろを通って、うなじで結んで出来上がり。
銀飾りはわたしの左のこめかみ辺りにあるようだ。きっと暁の光で煌いているだろう。
「似合いますか?」
「ああ。……約束しただろう、髪が短くてもつけられるものを作ると」
「そうでした。アルトさんは本当に義理堅いですね」
わたしは笑いながら、うなじから肩に垂れる白いリボンを指で揺らす。銀薔薇は相変わらず本物と見間違う程の出来栄えだ。
「アルトさんは、何か欲しいものは無いですか?」
「俺?」
「ええ、いつも貰ってばかりですし。わたしからも何か贈り物をさせてください」
「俺が、欲しいものは……」
言葉を切ったアルトさんは、まっすぐにわたしを見つめてくる。目を逸らせるわけもなく、わたしはその東雲色に迷い込んでしまったようだった。
何かを言いよどむ様子は珍しい。
「……アルトさん?」
沈黙に耐え切れず名前を呼ぶと、不意にアルトさんの腕に抱き締められていた。わたしの髪に顔を埋めるように、きつく、強く。思わず両手をアルトさんの背に回してしまうと、わたしを抱く腕の力が強くなったようだった。鼓動が早くなって落ち着かないのに、この腕の中以上に落ち着く場所もないのだろう。なんて矛盾。
「……急に寒くなった。湯たんぽ代わりになってくれ」
「そんな薄着でいるからですよ」
紡がれる声はいつもと同じ優しい響き。
薄着だもの、寒くなるのも当たり前だ。わたしは溜息混じりに言葉をかける。アルトさんは可笑しそうに肩を揺らすばかりだ。
「そうだ。贈り物とは別に、銀塊をアルトさんに渡そうと思っていたんです」
「銀塊?」
「ええ、前に助けた人達からお礼にって貰ったんです。傍に腕のいい銀細工師がいるだろうからって。渡そうと思ってすっかり忘れてました。いま出したら邪魔になるので、お部屋に戻ったら渡しますね」
「ありがたいが、いいのか?」
「アルトさんに使って貰えるのがいちばんですよ。でも、それ以外に欲しいものが出来たら何でも言ってくださいね。わたしも考えますから」
「……ああ、ありがとう」
アルトさんには何を贈ろうか。きっとこの優しい人は、自分から何が欲しいだなんて言わないだろう。だからわたしが考えないと。
そんな事を考えていたら、すっかりと太陽は空を支配して、暖かな光を注いでいた。
談話室に戻ったら、三人も起きていた。レオナさんはニヤニヤしながらリボンカチューシャを見ているし、ヴェンデルさんもニヤニヤしている。安定の恋愛脳だな。
「クレアちゃん、知ってる? 初日の出を想い人と見たら、ずっと一緒に居られるって伝説があるんだよ」
「そうなんですね。ヴェンデルさん達も寝なかったら、みんなで見れたのに」
わたしの言葉に顔を見合わせてから盛大に溜息をつく、
でもアルトさんが、他の誰かと初日の出を見ているところを想像して……想像が出来なかった。別に理由はないんだけど。胸の奥がちくりと痛んだ。
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