70.戦闘④ー離脱ー
立ち上がれないわたしの前髪を掴んで、マティエルは顔を上げさせる。その短剣をわたしの目元に寄せようとするけれど、ただでやられて堪るものか。
わたしは片手に炎を生み出し、それをマティエルの横っ面に投げつけた。火炎球にもならない、ただの炎はもちろん簡単に避けられるけれど、その一瞬の隙があれば彼には充分だったようだ。
「すまない」
辛そうな声はわたしの背後から掛けられる。
わたしの腰に片手を回して、共にマティエルから距離を取るのはアルトさんだった。
「護衛失格だな。お前をこんなにも傷つけた」
「大した怪我じゃないですよ。……あなたの方が重症だと思います」
その顔には脂汗が浮かんでいる。先程の衝撃波で内臓をやられたのかもしれない。
「肩が外れた程度だ。自分で嵌められるし問題ない」
「絶対それだけじゃないと思いますけど」
肩が外れるって結構痛いと思う。何でもないように言うけれど、これは帰ったら回復薬を飲まさなければ。そう、わたし達は揃って帰るのだ。
「主、この場を離脱する事を目的として良いな」
わたしとアルトさんの前に、グロムが立つ。守るように槍を構えて、マティエルと対峙するその横顔からは怒りの感情が読み取れる。
「はい、倒せるような人じゃないし引いてはくれないでしょう。……ただ、あの魔法陣を完成させなければ。あと少しなんです」
「では時間稼ぎをしよう。小僧、主を守れ」
「ああ、今度こそな」
周囲に目をやると、勇者は壁に凭れたまま動けないでいるようだ。意識はあるようだけれど、胸を押さえて苦悶の表情を浮かべている。
露出三人組はそんな勇者の側に付き添っている。サーラが回復魔法をかけているようだ。
わたしの邪魔をしないなら、それでいい。
グロムが槍の柄で床を叩く。また雷撃が地を這い、蔦のようにマティエルの足に絡みつく。そのままグロムは床を蹴って一足でマティエルに槍を向けた。手にしたままの短剣で、マティエルはその攻撃を軽く受ける。足元から這う雷撃はマティエルの腰辺りまで伸びていた。
アルトさんはわたしの膝裏に手をやり抱き上げる。肩が外れたばかりの人に抱き上げてもらうのは非常に心苦しいんだけれど、時間も惜しいし仕方がない。あとで回復薬をたっぷりご馳走する事で許して貰おう。
マティエルはわたし達の動きを見逃さず、その手に生み出した衝撃波をこちらに放ってくる。先程食らったそれを、アルトさんは今度は軽々と避け、わたしを魔法陣の元まで連れてきてくれた。
「すみません、少し集中しますね」
魔法陣の側に下ろして貰うと、その陣に両手を掲げて魔力を篭める。片手にはマティエルの矢が突き刺さったままだけど、これを抜いている時間も惜しい。
魔力が流れると、組み上げた魔法陣が浮かび上がる。魔力を使って魔法陣の回路を繋いでいく。
ドン! と奇妙な音がして、切られたばかりの髪が爆風で揺れる。思わずそちらに目を向けると、剣を構えたアルトさんがわたしに背を向けて立っていた。
マティエルから放たれる爆炎。身の丈ほどもあるそれを、彼は剣で切り裂いている。爆風はそれで起きているようだ。……あれだけの炎って剣でも切れるんだ。いやいや、これはやっぱりアルトさんが規格外なのだろう。
わたしは再度魔法陣へ意識を戻す。回路は繋がっていて、あとは閉じるだけ。一際強く魔力を流し込むと、巨大な光の柱が魔法陣から立ち上り、収束して陣の中へ吸い込まれていった。……完成だ。魔法陣は淡い緑の光を放ち、清浄なる気で満ちている。
光の柱でその完成が分かったのだろう。アルトさんはまた炎の竜を生み出すと、その竜は翼を広げてマティエルへと襲い掛かる。直接対峙していたグロムが呼び出した雷で出来た巨大な槍も、その頭上からマティエルへと意思を持って落ちていく。
その行く末を見届けることなく、アルトさんはわたしを抱き上げた。グロムも側へと駆け寄ってきたので、あとは転移するだけ。
「飛びます。掴まっていてくださいね」
グロムはそれに応えて、わたしの肩に手を乗せる。
意識を集中させて思い浮かべるのは、エールデ教の大神殿。もう勇者に能力を知られる事よりも、ここを離脱する事を最優先にした。
転移の間際に目が合ったマティエルは、恐ろしい事に無傷だった。
わたしが転移した先の聖堂には、レオナさんが祈祷を捧げているところだった。邪魔をしてしまって申し訳ないと思ったけれど、わたしの様子を見たレオナさんがあげた悲鳴でライナーさんとヴェンデルさんまで駆けつけてきてしまった。
医務室に運び込まれたけれど、回復薬を飲めばすぐに治る……なんて言葉は聞いてもらえるわけもなく。
わたしは髪を切られた他は、掌へ刺さった矢を抜くのが大変だった。あとは口端が切れていたり、顔や体の至る所に青痣が出来ているくらい。回復薬を飲まなくても、優秀な治癒師でもあるライナーさんの治癒魔法であっという間に治ってしまった。
グロムは無傷。本人が言うには自尊心が傷付けられたらしい。
鍛え直す、なんて笑っていたけれど目が本気だった彼は、わたしの頬に口付けをしてアルトさんに頭を叩かれていた。喧嘩になる前にわたしの転移で山に帰ってもらったけれど、レオナさんとヴェンデルさんはこんな時でも何か言いたげにニヤニヤしていた。
どんな時でもブレないその姿勢は、好ましくさえもある。
そして一番の重症だったのはやはりアルトさんだった。
彼曰く、勇者につけられた傷は一つもないそうだ。マティエルの衝撃波で飛ばされた時、内臓の一部が破裂。あばらも数本折れている。自分で治していたけれど肩の脱臼。後頭部にも裂傷があった。そんな状態でわたしを運んだり、爆炎を斬ったりしていたのだから本当に超人だと思う。
彼には回復薬を飲んで貰った。寝れば治ると固辞するアルトさんに無理矢理飲ませたのはライナーさんだった。兄神官は強いな。
魔力の高さとライナーさんの治癒魔法も相俟って、見る間に回復していったけれど……それを見てわたしは一つ心に決めた事がある。
わたしはここを離れよう。もう誰にも傷付いて欲しくない。
明るい雰囲気の中、一緒になって笑いながら、わたしは既にここを離れる段取りを考えていた。
それはとても寂しいこと。それはとても哀しいこと。だけどわたしは、やっぱりひとりでいなければならなかったのだ。
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