69.戦闘③ー降臨ー

 集中して魔方陣を書き換えていく。

 その間も結界の向こうでは、剣戟の音やら爆発音やらが響いているし、時折こちらの結界を狙う攻撃もあるんだけれど、もうそれには一切意識を向けない事に決めた。

 早く封印をして、この場から立ち去りたい。そうすれば皆、無事に帰還できるもの。この魔方陣が完成したら魔物が出てくる事もなくなるし、そうしたらヴェンデルさんからの依頼もクリアという事でいいだろう。


 簡単な魔法陣を組んで壊されても厄介だから、封印を七層にまで厚くした。もっと時間があればもっと深く組めるけれど、これくらいで充分だろう。封印の術式は、最近よく刻むことの多い魔式にも似ている。

 淡く緑の光を放つ聖墨を床に置く。式は組み終わった。あとは魔力を流すだけ……なんだけれど、不意に悪寒が走った。ぞわりと背筋が怖気たつような不快感に肌が焼かれる。


 反射的に宙を見上げると、そこにはわたしがこの世界で最も会いたくない男が浮かんでいた。悠然とした白銀の大きな翼を背に、冷たい表情でわたしを見下ろしている。

 弓矢を構えたその姿に、過去の恐怖が蘇る。知らぬ間に止めていた息を吐いた瞬間。躊躇無く引かれたその鋭い矢はあまりにも簡単に、わたしの結界を貫いてしまった。


「……だめっ!」


 わたしを狙ったものではない。結界を突破したその矢は、明らかに魔法陣を狙っていた。わたしは咄嗟にその軌道に手を出してしまう。当然のように矢はわたしの掌に突き刺さり、やじりが掌から突き出した。銀羽の端に乗せられた紫色に、胸の水晶がずくりと痛んだ気がした。



 痛い。

 焼けるような痛みが傷口から走るけれど、お陰で魔法陣は守れた。転がるようにして魔法陣から距離を取り、弓矢を持った男を見つめる。

 もう結界も壊れてしまっている。張り直すだけの時間を、この男はくれないだろう。


 月女神リュナに仕える天使。

 わたしの母の兄であるマティエルが、憎悪にその美しい顔を歪めながらわたしを見下ろしていた。


「忌み子め、今日こそお前の魂を混沌に送ってやる」

「忌み子忌み子うるっさいなぁ……。馬鹿の一つ覚えかよ」


 悪態が気に障ったようで、更にその端正な顔を歪める。兄だけあって母にそっくりだけれど、母はそんな冷酷な表情はしなかった。


「黙れ、忌み子」


 マティエルはゆっくりとわたしの側に舞い降りる。白銀の翼から何枚かの羽根が落ちて宙を舞う。


「……っ!」


 マティエルはわたしの髪を乱暴に掴むと、その憎悪が浮かぶ顔を近付けて来る。母と同じ濃い紫の瞳。そしてそれはわたしとも同じ色だった。

 薄紫の髪に濃紫の瞳。わたし達はまったく同じ色彩をしている。ただしそれは、マティエルにとって許しがたい事。

 濃紫の瞳に揺れるのは、嫌厭だけ。


「お前がメヒティエルの娘など認めぬ。この髪も目障りだ」

「母さんの名前はメヒティルデよ。もうメヒティエルじゃない」


 長い髪は母と同じだから気に食わないのだろう。

 尤も気に食わないのはわたしも同じだ。母は父と一緒になって、メヒティルデと名を変えた。そう名乗る時の母は誇らしげで美しかったのだから。母をメヒティエルと呼ぶのは許せない。


「忌み子風情が」


 わたしの髪を掴んだまま、その腕を振り下ろす。わたしの体は床に叩きつけられるけれど、髪を掴まれたままで離れる事も出来ない。ぶちぶちと髪が抜ける感覚に痛みが走る。わたしは歯をくいしばって、漏れ出そうになる悲鳴を堪えた。


「その手を離せ!」

「その子は僕のものだよ!」


 近付く殺気を感じて、視線だけをそちらに向ける。滲む視界に映るのは、剣を構えてマティエルに向かう、アルトさんと勇者の姿だった。


ミハイル勇者、なぜ私の邪魔をする」

「その子は僕のものだ。僕以外の誰にも傷付けさせない」

「お前のものじゃない」


 マティエルと勇者のやりとりに、アルトさんが口を挟む。アルトさんの表情は今までに見たことがない程に怒りで満ちていた。いつもは穏やかな東雲の瞳が色濃く燃えるほど。


「いくらお前でも、この忌み子をやるわけにはいかない。この女は死ななければならない」


 マティエルが手を向けると、その掌から放たれた衝撃波に二人の体が簡単にふっ飛んでしまう。二人は揃って壁に叩きつけられ、その壁には亀裂が走る。ずるずると二人はその場に崩れ落ちてしまって、わたしはアルトさんの名前を叫びそうになるのを、必死で堪えた。

 


「まずは目障りなこの髪からだ」


 わたしに向き直ったマティエルの手には、いつの間にか短剣が握られていた。どれだけこの男が嫌いでも恐ろしくても、屈服するわけにはいかない。傷つけるなら傷つければいい。

 睨み付けていると、その視線さえ気に障ったのか顔や胸、腹部を滅多に蹴られてしまう。苦痛の声を上げることも出来ない衝撃に顔が歪んだ。


「主!」


 グロムの怒声が響く。雷を帯びた槍がグロムの手から放たれるも、それはマティエルが瞬時に作った白銀の盾に阻まれた。


 マティエルの持つ短剣が、灯りを映して煌いた。

 ザン……っと独特の音をたてて、リボンを結んでいたうなじ辺りで髪が切り落とされたのが分かった。首周りにはらはらと髪が散っていく。結んでいた大きなリボンが解けて、床に落ちた。


 支えを失った体が、力なく床に崩れる。わたしはゆっくり手を上げると、炎を生み出した。気力は削がれているし、体中も痛いし、矢が刺さったままの傷口からは血が溢れているけれど、魔力が失われたわけじゃない。

 攻撃魔法でも何でもないただの炎は地を舐めるように這った後、マティエルの持つわたしの髪に燃え移った。床を這う炎で買ったばかりのリボンも一緒に燃えているけれど、それも仕方がない。


「小賢しいまねを」

「……あんたの手元に、わたしの髪があるだなんて耐えられないの」


 髪を残しておくと何に使われるかわからない。リボンの燃え滓が床に散った。


「ふん、次はその瞳だ。この瞳は、私とメヒティエルだけのもの」

「母さんの名前はメヒティルデだって言ってるでしょ。自分の目でも潰したら? そうしたらあんたの嫌いなこの世界も、見なくて済むでしょうに」


 わたしの言葉は彼を苛立たせるだけだというのは分かっている。それでも、言わずにはいられなかった。

 この男に負けたくない。ただそればかりを胸に。

 

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