65.神官長からの依頼
「クレアちゃん、ちょっとアルトを借りてもいいかな?」
「お借りしているのはわたしの方ですよぅ」
ヴェンデルさんの執務室に呼ばれたわたしとアルトさんは、応接セットの長椅子に並んで座ってお茶を楽しんでいた。
相変わらず忙しそうな神官長の机の上は、書類が積み重なっている。はっきり言って散らかっているのだが、それもいつものこと。片付けが苦手なようで、机を整理するのも補佐官であるライナーさんが担っているそうだ。
ライナーさんは几帳面な性格のようで、書類はきっちり纏めて綴じられてファイル毎に後ろの書棚に並べられている。少し角ばった字でラベリングもされていて、部外者のわたしでもこの中から必要なものを探し出すのは容易に出来そうだ。
それなのに、この神官長はそれさえも苦手なんだそうな。まぁ人には向き不向きがあるからね……。
「何かあったのか?」
当事者であるアルトさんが問うと、ヴェンデルさんは長い白銀の髪をうなじでひとつに纏めながら眉を下げた。
「西神殿の近くの森にさ、遺跡があったのを覚えてる? ほら、勇者達が魔導具を持っていった遺跡」
「ああ」
「その魔導具が呪われていた影響なのか、それとも封印が解かれた影響なのか、その遺跡から魔物が出てくるんだってさ」
勇者が持ち出した魔導具。縁を深める呪術道具。あれのせいでエラい目にあったのを思い出して、思わず深く溜息をついてしまう。余程げんなりしていたのか、隣のアルトさんが低く笑った。
「クレアちゃんはあの魔導具で大変な目に遭ったもんね」
ヴェンデルさんも気遣うような声を掛けてくれる。わたしは笑って頷くと、お茶菓子に用意されたスコーンを手に取った。たっぷりのクリームを載せて一口かじる。うん、美味しい。くどすぎないけれど満足できるだけの甘さがあって……。ああ、でも口の中の水分が奪われるのはやっぱりスコーンならではだ。紅茶がよく合う。お口がさっぱりすると、またスコーンが食べたくなる。
「遺跡の魔物を討伐してくればいいんだな」
「うん、アルトなら半日程度で終わらせられると思う。クレアちゃんはその間、ここで待っていてね」
「いえ、わたしも行きます」
挙手しながらわたしが言うと、二人が首を横に振る。この人達はわたしの能力を忘れているんじゃないか。
「西の神殿に行くにしても、その遺跡に行くにしても、わたしの能力でぱぱっと行っちゃえばすぐですよ」
「西の神殿には転移陣があるから大丈夫だよ」
「遺跡まで山登りするのは大変ですよ。アルトさんは場所を確認しているから、わたしの転移で行けるでしょ」
「大した苦労にならない」
二人に論破されるなぁ。でもわたしも引くわけにはいかないのだ。空間転移はわたしが出来る、少ないこと。この神殿の人達の為にわたしが出来ることがあるなら、やらないわけにいかないのだ。
「アルトさんと一緒に居た方が、わたしの安全は確保されますもん。連れてってくださいよぅ」
「しかし、魔物が出る場所だぞ」
アルトさんはまだ納得していないようだけれど、ヴェンデルさんはなぜかニヤニヤしている。うん、嫌な予感がするね!
「じゃあクレアちゃんにお願いしようかな」
「おい、ヴェンデル」
「だってアルトがいない時に、もしクレアちゃんがふらっと何処かに行っちゃったら困るし? 万が一何かあったら困るから、やっぱり一緒に居た方がいいね」
「ふらっと何処かへ行くような真似はしないですが」
一緒、と強調してくるヴェンデルさんもまさか恋愛脳だろうか。
ああ……でもそうか、一緒に居たがっていると思われているんだな。まぁそう取られてもおかしくない言い方をしてしまったけれど、兎も角これでヴェンデルさんの許可は出た。
「……分かった。クレア、俺から離れるなよ」
「分かってますー。グロムも呼びます?」
「いやいい、俺の神経がもたない」
「なんだか合わないですもんねぇ、アルトさんとグロムって」
「あの守神が軽薄すぎるんだ」
「そうでしょうか」
グロムは別に軽薄ではないと思うんだけど。まぁ相性ってものは、当人同士でないと分からないからね。
「じゃあ頼むね。クレアちゃん、アルトにしっかり守って貰うんだよ」
「それはまぁ、いつもと同じって事ですよね」
話がひと段落したいいタイミングで、書類の束を抱えたライナーさんが執務室に入ってくる。その書類を見たヴェンデルさんは「うげ……」とその美貌には似つかわしくない声を漏らしていた。
執務室を出たわたしとアルトさんは廊下を歩む。わたしの部屋まで送ってくれるのも、いつものこと。
「お前の転移で行けるなら、西神殿には寄らないで真直ぐに遺跡に向かう」
「分かりました。ね、便利でしょ」
「ああ、助かる。……無理はするなよ」
「転移なんてぱぱっと一瞬ですからねぇ」
「改めてお前の能力はとんでもないと思うよ」
軽口を交わしながら進むと、わたしの部屋まではあっという間だ。
「三十分後に迎えに来る」
「分かりました。宜しくお願いします」
アルトさんはふ、と柔らかく笑うとわたしの頭をぽんぽんと撫でてから、自室への廊下を歩いていった。触れられた場所に残る熱に、わたしも何だか笑みが零れた。
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