55.妹神官と異臭のする部屋

 柔らかな日差しが、雪に反射して煌いている。

 真冬にも関わらず暖かな日で、屋根に出来た氷柱が溶けて落ちていった。神殿の中は静かだけれど、時折、神官や使用人達の賑やかな声が聞こえる。気持ちのいい午後だった。


「異種間恋愛……素敵です!」

「いやいや、恋愛要素は全く無かったですからね?」


 わたしの前でうっとりとしているのは勿論レオナさんである。頬を上気させ、何かを妄想しているかのように視線を宙に向けている。

 その鼻と口元を覆うのは白い布。ウィンプルを脱いで、トゥカラに白いエプロンをつけている。豊かな金糸はうなじで一括りにされていた。

 わたしも同じような格好だった。鼻と口を覆う白い布、邪魔にならないよう纏めた髪。ワンピースの上には白エプロン。


「でも番ですよ、番! 守神様の番……!」

「お断りしましたって」


 それにしてもレオナさんは、よくこの状況下でも恋愛脳を発揮できるものだと思う。

 わたし達は酷い臭いのする薬草を、ゴリゴリと擂り潰しては煎じる事を繰り返しているのだが……物凄く臭い。換気に窓を開けているけれど、臭いが消える様子は無い。

 神殿の人達には説明してあるけれど、そうじゃなかったら異臭騒ぎで大変な事になっていたと思うほどだ。

 こんな異臭の中でも、彼女の恋愛至上主義が揺らぐことはないようだけれど。



 今日は少なくなってきた、特製回復薬を作っている。手が空いていると言ったレオナさんに手伝って貰って、作業のついでに昨日の守神との邂逅を話していたのだが。

 彼女は今日も絶好調だ。


「なんで断っちゃったんですか?」

「番なんて、そんな覚悟出来てないですよぅ」

「まぁ確かにクレアさんが山に行っちゃうのは寂しいですしねー」

「わたしもレオナさんに会えなくなるのは寂しいですよ」


 二人、顔を見合わせてくすくす笑う。


 わたしは手元の薬草に、レオナさんが磨り潰したハーブを混ぜ込んだ。ちなみにそのハーブは以前遭難していたのを助けたおじさんから貰ったものだ。その中にあっちの薬湯を入れて……。これさえ終われば、この臭いからも解放される。


「クレアさんはアルト様をどう思っているんですか?」

「面倒見のいい、気のいいお兄さんだと思ってますよ」


 この質問、エールデ様にもされたな。


「それだけですか? ほら、アルト様は顔もいいし、強いし、何かこう……想うところはないですか?」


 もしかしてレオナさんはアルトさんが好きなんだろうか。それなら非常に申し訳ない事をしている。

 わたしは大鍋に混ぜ込んだ回復薬の材料を、木べらでゆっくり混ぜながら眉を下げた。それを見たレオナさんが怪訝そうな顔をする。


「……クレアさん、変な事を考えていませんか?」

「いや、申し訳ない事をしているなとは……」

「やっぱり! 私、アルト様の事は何とも思ってないですからね!」

「心を読まないで下さいよぅ……」

「小さい時から面倒を見て貰ってるんで、私からしても気のいいお兄さんですよ」

「やっぱり? 気遣い出来るし、面倒見もいいし、モテそうですよねぇ」

「アルト様に憧れている人は多いと思うんですけど、アルト様って恋愛に興味を示さないっていうか……」

「レオナさんが恋愛脳過ぎるだけですからね」


 わたしの軽口にもレオナさんは笑ってくれる。女友達とのこんな遣り取りは、わたしが憧れていたものの一つだ。女友達と流行の服や本、恋愛の話をする他愛も無い時間。それがこんなにも楽しくて素敵なものだとは。


「だって恋愛って人を素敵にさせるでしょう? だからほら、クレアさんがアルト様とどうこうならないかなって思って」

「アルトさんは素敵な人ですけど、わたしは迷惑ばかりかけていますからねぇ」


 混ぜていた薬湯がとろみを帯びてきた。大鍋を火から下ろすと、そこに手を翳して魔力を注ぎ込んでいく。細く垂らした魔力をゆっくり混ぜる。

 これが光り輝けば出来上がりなんだけど、これは結構な魔力を使う。時間も掛かるのでゆっくりやるとしますか。


「迷惑なんてそんな事ないと思いますけどね。クレアさんはもっと甘えていいんですよ」

「もう、この神殿の人達はみんな優しすぎるんですよ。迷惑ばっかりかけているのに、こんなに大事にして貰って。何をして返せば分からないくらいに」

「大事ですからね、そう扱うのも当然でしょ。……まぁアルト様は人一倍大事にしてますけどね」


 木べらを両手で持って、ぐるぐるとかき混ぜる。顔を上げると悪戯に笑うレオナさんと目が合った。


「気付いてます? アルト様はクレアさんをすごぉく大事にしてるって」

「……さぁ?」


 へらりと笑うと、ちょうど大鍋の中身が輝き始めるところだった。

 注ぐ魔力を更に強めていく。この加減が難しかったんだけど、もう何度と無く作っているからお手の物だ。

 レオナさんのいうことは分からなくもない。アルトさんに大事にして貰っているのは分かる。だけどもあれは彼の性格から成るものだろう。それを勘違いするほど、図々しくも無いのだ。


「クレアさんは鈍感すぎますって」

「アルトさんが優しいのはレオナさんも知っているでしょう。お仕事だから一緒に居てくれるだけで、それ以上は何もないですよぅ」


 期待されても困るのだ。わたしは護衛対象、それ以外の何者でもない。

 大鍋の中身が一層光を放つ。その光はきらきらと結晶になって、回復薬に溶け消えていった。うん、完成。


「……それだけには見えないんだけどなぁ」

「んん? 何か言いました?」

「いいえ、完成でしたようですね」


 レオナさんの声が聞き取りにくかった気がするけれど、気のせいかな。

 完成した回復薬を、並べておいた硝子瓶に詰めていく。レオナさんが瓶に注いでくれたのだけど、零さないでとても上手。わたしはいつもこれが苦手だったから有難い。わたしはどんどん蓋を閉めていくだけ。


「ねぇクレアさん。……この一連の事が落ち着いて、アルト様と離れ離れになったらどうします?」

「……それは寂しいですねぇ」


 アルトさんと離れる。いつかはそうなるだろう。今は勇者の一件があるから護衛をしてくれているだけで、それが終わればわたし達の間には何もない。友情はあるけれど、側にいなくても良くなるのだ。

 いつも助けられていて、気遣ってくれて、守ってくれて。いなくなるのは寂しい。


「ですよね!」


 わたしの言葉に満足したようにレオナさんが機嫌よく笑った。鼻歌交じりに回復薬を瓶詰めしているけれど、そのフレーズが時々音を外すものだから思わず笑みが零れる。

 なんだか心がざわざわする。胸の奥が軋むような、ぎゅっと締め付けられるような。それに気付かない振りをして、わたしは作業に没頭した。


 充満していた異臭も薄くなっている。開けた窓から吹き込む風は、やっぱり冷たい。


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