39.愁ー月神モーントー
転移で向かった先である月の泉は、
「……ここは?」
隣のアルトさんもその景色に圧倒されているようで、泉から目を離すことがない。
「
「地底?」
「まぁついてきたら分かりますよ」
説明をするより見たほうが早い。わたしはアルトさんの手を引っ張って、月を映す泉へと歩み寄った。
『よく来たね、クレア』
わたし達が近付くと、水面に映った
「こんばんは、モーント様」
『そちらの彼は?』
「エールデ様がわたしの護衛にとつけてくれた人です。いま、エールデ様の神殿でお世話になっているので」
『ああ、エールデが保護下においたと聞いたよ。それを聞いて僕も安心していたんだ。君、名前は?』
モーント様がアルトさんに向かって首を傾げると、腰まで伸びた白い髪がさらりと揺れた。その深い紫色をした瞳が、愉しげに煌いている。
「アルフレート=フライベルクと申します」
『アルフレートか、いい名前だね。クレアの事を宜しく頼むよ』
「それはもちろん」
待って、アルトさんの名前ってアルフレート?
初めて聞いた。
「アルトさんって、アルフレートって名前だったんですね」
「言ってなかったか?」
「言ってないですよぅ! フルネームも初めて聞きました」
わたしの抗議も気にした様子なく「そうだったか」なんて一人ごちるものだから、泉に突き落としてやろうかと思った。
そんなわたし達の様子に、モーント様はくつくつと可笑しそうに笑うばかり。
『クレア、良かったね。君がそうやって楽しそうなのは久し振りに見るよ』
「そうでしょうか……」
『うん、何だか安心した。さて……そろそろ向かうかい?』
「はい、お願いします」
不思議そうにわたしとモーント様の遣り取りを見ていたアルトさんの手を取る。彼もいまは何も聞くつもりはないようで、押し黙っていた。
モーント様がわたし達に両手を伸ばす。そこに神気が収束するとわたし達は光に包まれていった。
目を開くと、そこは石造りの神殿の前だった。
空を見上げても月はない。赤黒い空が広がるばかり。
「ここは?」
アルトさんが不思議そうに周囲を見回している。神気を受けても彼の体に問題はないようだ。この場所にも体が順応しているように思える。
そういえば彼はエールデ様の神気を吸収していると、エールデ様が言っていたっけ。その影響かもしれない。
「ここは地底界です。このずっと下に冥界があるんですよ」
「……ここはただの人間が来ていい場所なんだろうか」
「ただの人間だったら、体が重くて動けないはずなんですけどねぇ」
「エンシェントエルフの血が、半分でも入っているお陰というわけか」
「エールデ様の神気を吸収していたお陰でもあるんですけどね。まぁそれも元はと言えば、エンシェントエルフの血でしょうねぇ」
『クレア』
世間話でも始めてしまいそうなわたし達の空気感に、可笑しそうにモーント様が笑う。彼はわたしに歩み寄ると、わたしの髪を一房手にとった。慈しむような視線は、いつも何だか哀しく見える。
『僕が君に言ってあげられる事は少ないんだ。気をつけるんだよ』
「それは、上での話ですか?」
『…………』
今のことではないだろう。きっと地上でのお話。沈黙が肯定だ。
『アルフレート君、クレアを頼むよ。この子は飄々として強がっているけれど、本当は寂しがりやなんだ』
「待って、モーント様。本人を目の前にして、そういう事言うのやめてください」
「承知しています」
「アルトさんも何言っちゃってんですか!」
『ふふ、大丈夫そうだね。じゃあね、クレア。また来年』
「え? あ、はい。ありがとうございました」
モーント様は言うだけ言うと、その姿を消してしまう。彼がこの地を訪れる事ができるのは、二つの月が共に満ちる、今日この日だけなのだ。
わたしが用事を済ませて地上に戻る時には、もう月は沈んでいる。
「まさか月神モーントに、お会い出来るとは」
「この後は夜神ドゥンケルにも会えますよ」
「……そうか、ここは夜神の治める地だったな」
アルトさんと共に神殿へと歩みを進める。入口を守る兵士の背には黒い翼。二人の兵士はわたしの顔を覚えているので、笑顔で通してくれる。今日はアルトさんも一緒なのだけど気にしていないようだ。見張りとしていいのか、それで。
まぁモーント様が連れてきたのだから、疑う余地もないのだろうけれど。顔見知りの兵士にわたしも会釈をして中へ進む。
神殿の中は規則的に、壁に炎が灯っているから歩きやすい。無駄な装飾のない、石造りの廊下を歩いていった。
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