29.悪夢ー談話室ー
アルトさんに運ばれた先は談話室だった。
暖炉の火は落とされているけれど、まだ室内は仄かに暖かい。その温もりを肌に感じるのに、わたしの体の内側が凍っているようで震えが全く治まらない。
アルトさんが暖炉に手を翳すと、くべられていた薪に炎が宿る。銀を扱う時に魔力を込めるのを見てはいても、こうして魔法を使うのは初めて見たと思う。
体を包む毛布を、胸の前で合わせる。ソファーに下ろして貰ってから膝を抱くように座ったのは、少しでも熱を逃がさないでいたかったからか。それともその姿勢が安心するのか。自分でもよく分からなかった。
隣に座ったアルトさんが肩を抱いて、わたしの頭を胸に寄せる。耳に響く彼の鼓動はゆったりとしていて、高い体温も染み入ってくるようだった。
「寒いだけじゃなさそうだな」
「きもち、わるくて……」
「ゆっくり息を吐いて。全部吐ききったら、大きく吸うんだ」
怖いとは言いたくなかった。
言われるままに息を吐く。深く、深く、もう吐く息がなくなって止まってしまうと思う頃に、今度は目一杯息を吸った。
その呼吸に集中して何度か繰り返していると、次第に震えが治まっていく。
「……もう大丈夫です。すみません、起こしてしまって……」
「気にするな」
「気にしますよぅ。……皆さんも起こしてしまったし」
「あれは俺の声で集まってきたんだ。おまえのせいじゃない」
苦笑するアルトさんは落ち着いたわたしから離れると、背凭れに体を預けて頭をかいた。
その表情をそっと窺うも、嘘を言っているようには見えない。
「お前の声が聞こえたのは俺くらいだと思う。……ちょっと焦ったのが悪かったな、人を集めてしまった」
この人は目だけでなく耳もいいのか。身体能力の凄まじさを実感する。
改めてアルトさんの姿を見ると、柔らかそうな黒のズボンに黒いシャツ。シャツのボタンは上から数個が開けられていて、くっきりとした喉仏や鎖骨が覗いている。
髪は寝乱れ、襟足が少し跳ねている。寝着姿なのだろうがガウンなどを羽織っていないから、すぐに駆けつけてくれたのだと分かる。申し訳なさが募るばかりだ。
「そんな顔をしなくていい。しかし……まさか夢に干渉してくるとは思わなかった。もっと対策するべきだった、すまなかったな」
「そんな、謝られる事じゃないですよ。わたしだって、勇者が魔導具を手に入れたのに、深く考えていなかったんだと思います」
「……どんな夢だったか聞いてもいいか」
どんな夢。
勇者に呼ばれて、勇者が近付いてきて、きっとあのままだと……わたしたちは……。
「口にするのもおぞましいので……」
わたしの顔は嫌悪感でいっぱいだったと思う。アルトさんは眉を顰めるも、そこで引き下がってはくれなかった。
「……何をされた?」
勘も鋭いー!
やだもう、この人って本当に何者なのー。誤魔化せる気も隠し通せる気もしないんだけど。
わたしは毛布を頭から被り直すと、胸前でしっかりと寄せ合わせた。折角温まってきたのだから、熱を逃したくない。決して顔が見れないわけではない。決して。
「勇者にずっと呼ばれて、そのうちヤツが現れて……キスされそうになりました」
こまかい事を言うのは流石にきつい。抱き締めてくる腕の力を思うだけで眩暈がする。もちろん悪い意味で。
「それは……確かにおぞましいかもな」
「かもじゃないです。おぞましいです。気持ちも悪いし鳥肌が立つし、クズをクズだと評価するのに拍車がかかりました」
早口に吐き捨てるとアルトさんが笑った。笑い事じゃなくて、本当に気持ち悪いんだけど。それでも少し気持ちが軽くなったというか、夢から離れられたような気はする。
それにしても夢かぁ。これはちょっと厄介だな。
「アルトさん、今日は朝までわたしに付き合った後、ほとんど休んでないでしょう。わたしならもう大丈夫ですから、お部屋に戻ってください」
「こんな顔色で残しておけるわけないだろう」
アルトさんは毛布に包まるわたしの顔を覗き込むと、額を軽く指で弾いた。痛い。
そんなに顔色が悪いのか、それとも酷い顔なのか。どちらにせよ自覚はあるので、笑って流すばかりだ。
ニーナちゃんの願いに応えて転移したのが夜中。それから朝まで一緒に居て、朝には勇者一行を尾行して、神殿に帰ってきてからもきっと忙しかったと思う。そんな彼を付き合わせるのは憚られるのだけど……。
「こんな状態で眠れないだろう?」
「うーん……夢に干渉してるって事は、勇者も眠ってるってことで……朝になれば勇者も起きるでしょうから、入れ違いを狙って眠れば平気なんじゃないかなぁって思うんです。なのでちゃんと寝ますから、アルトさんは休んで下さい」
「朝まで起きているなら、付き合うぞ」
「いやいや、だめですって」
「一人だと眠気に負けて寝てしまうかもしれん。もし寝てしまっても、側に居れば起こしてやれる」
押しの強さはエールデ教の特徴か。
それでもお願いするのは……なんて考えていると、アルトさんは毛布越しにわたしの頭を軽く揺らした。
「遠慮するな。こんな夜に一人で居ると、余計なことまで考え込むぞ」
それは、そうかもしれない。
でもわたしはいつだって、こんな夜をひとりで乗り越えてきたのだ。果てなく続くと錯覚するような夜の闇を、ただひとりで。
……でもいまは優しい人が側にいてくれる。それなら甘えてもいいのだろうか。いま、この時だけ。この夜だけ。
「……すみません、ありがとうございます。…正直、眠るのもひとりでいるのも辛そうなので、付き合って貰えると有難いです」
もう頼ってしまう事に決めて言葉を紡ぐと、アルトさんは笑って頷いた。ただそれだけだから、わたしが頼ることはきっと、彼にとっては大した問題ではないのだと思う。毛布から顔を出すと、暖炉から広がる熱が頬を撫でた。
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