28.悪夢ーはじまりー
誰かが呼んでいる。
聞き覚えのあるような、柔らかな響き。全てを理解してくれる、温もりで満たされるような、そんな声。甘美さが耳を擽る。
『名前を教えて?』
名前。
わたしの名前は……。どうしてあなたはわたしの名前を知らないの。そんなに優しい声なのに。わたしを慈しむような、愛しむような囁きなのに。
わたしの事を知っていてくれないの?
『僕のところにおいで』
あなたはどこにいるの。あなたはきっとひどく遠いところにいる。わたしはここから離れられない。あなたの元へは辿りつけない。
……どうして、わたしは離れられないのだろう。ここってどこ?
あなたとわたしは、どうしてこんなに離れているのだろう。
「あなたはだれ?」
『僕は君の唯一だよ。君を愛し、君を受け入れる、たったひとり』
視界が深紅に染まる。
赤い髪が美しく揺蕩う。赤い瞳に囚われて、視線が絡まって解けない。
とても綺麗なのに、とても哀しい。そんな世界に、わたしと彼はふたりぼっち。
腕檻に捕らわれて動けない。声とは裏腹に、わたしを抱き締める腕は力強い。痛いほどに抱き締められて、どれだけ自分が求められているのか実感するほどに。
『君は僕のものだよ』
その人は美しい
「いやぁぁぁぁっ!」
自分の悲鳴で目が覚めた。
ベッドから転げるようにして降りると、床に座り込む。息が出来ない。気持ち悪い。がたがたと震える体を押さえ込もうと、自分で自分の腕を抱くが効果は薄い。寒くて仕方が無い。
怖い。
――ドンドンドン!
「クレア! 無事か!」
叩きつけるようなノックの音に、アルトさんの声が重なる。
返事をしようにも声が出ない。かたかたと鳴っているのは、わたしの歯がぶつかりあう音か。
「クレア!」
扉が乱暴に開かれて、アルトさんが入ってくる。鍵をかけていたはずだけど、と思ってよく見れば蝶番が壊れている。
「大丈夫か、クレア。何があった」
震えるわたしの前に膝をつき、アルトさんが頬を両手で包んでくる。自分よりも高い体温が伝わって、冷え切っていた体に熱が戻ってくるようだった。
「ゆ、め……」
「夢?」
「ゆめ、に……勇者が……」
「……ちっ! 夢に介入してきたか」
アルトさんの舌打ちを聞くのは三度目だ。珍しいなんて笑おうと思っても、表情筋が固まってしまったようで、うまく動かせない。
彼は眉を下げるとベッドから毛布を剥ぎ取り、わたしをそれで包んでから抱き上げた。寒さは落ち着いたはずなのに、まだ体が震えている。
「クレアさん!」
「クレアちゃん!」
部屋の外が騒がしい。
見ればレオナさんとライナーさん、ヴェンデルさんまで駆けつけてくれている。その後ろにも神官方の姿が見えるから、わたしの悲鳴は響き渡っていたらしい。こんな夜中に皆さんを起こしてしまって、申し訳なさでいっぱいなのに口から言葉が出てこない。
「酷い顔色……。アルト様、クレアさんは……」
「夢に奴が出てきたそうだ」
「意識介入で夢を選んだか…」
心配そうなレオナさんの声と、苛立つようなヴェンデルさんの声。それがどこか遠いところで聞こえているようだ。
口を開いても言葉が声にならない。朝にはきっと謝ろう。
アルトさんは集まってくれた人々を残して、わたしを抱き上げたまま歩みを進めた。
どこに向かうのか問おうとしても、言葉が紡げない。腕の中から見上げたアルトさんの顔は酷く険しくて怒りに満ちている。
その怒りが何に向けられたものなのか。どうする事も出来なくて、わたしは身を委ねるしかなかった。
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