第26話 外伝 ハルコ之章①
カーテンの隙間から黄色い光が射し込む。爽やかな朝の光、と言うには頭が重い。それもその筈で、枕元に置かれた時計を見ると、その二つの針は共に真上を向いて重なっていた。
「ふあぁ、もう、こんな時間、かぁ」
重い瞼を擦ってみる。朝が不規則になってしまったのは元来の僕の性格の所以…… にしてもこれ程乱れてしまうとは、なんとも情けない。
「昨夜はモニターに張り付きだったからなぁ。結局、指標に動きは無かったけど。まあ、だから何だ? って事なんだけど」
そう考えて、僕は一人笑みを溢す。なかなか埋まらない穴、どこかぼやけた日常。これが僕が求めた未来だったのだろうか。いや……
「そんな事考えたって、仕方ないよな。僕は何も選ばなかったんだから」
そう、僕は選ばなかった。
「あれから、ひと月……」
東京を飲み込んだ深い霧、街に溢れた詠人。後に『霧の四日間』と呼ばれた東京大災害の終結後、僕は勤めていた会社を辞めた。
会社の資金を使い込んだから、ではない。まあ、それが全く関係ないかというと微妙なところだけど、僕の気持ちがこれまで通りの日常へ向かわなかったのだ。
――貫之クン、君は会社を辞めなよ。
躊躇も無く、迷いも無く、僕にそう言ったのはハルコさんだった。
「ああ、会社の資金は別に良いんだよ。今君が持っている分もそのままで構わないさ」
詠人との闘いの中で、僕にはお金が要った。僕が召喚した詠人を実体化しておく為に必要だったのだ。
「前にも言ったけどさ、あの状況で損失を出さずに、逆に大きな利益が出たんだから上出来さ。全部、君のおかげだよ」
東京の混乱で株価は下がり、あらゆる金融資産が目減りする中で、ハルコさんの投資チームはしたたかに莫大な利益を上げた。それをハルコさんは僕の手柄だと言ってくれた。
「だからさ、貫之クン。しばらく休むといい。君はよく頑張ったんだ、これは私からのご褒美だよ。社長には私から上手く言っとくから。それにまた復帰したくなったら、その時はウェルカムさ。マチコクンもいることだし、こっちは大丈夫だよ」
ハルコさんが会社の中でどのような立場にいるのか、僕は知らない。いつもハルコさんと呼んでいるけど、その本名さえ知らないのだ。おそらく他の誰もそれを知らないだろう。
そしてマチコ。彼女はあの事件の後、ハルコさんに匿われて、そのまま事務員としてお茶汲みをしている。こうなると僕の
「マチコクンの淹れるお茶は美味しいよ。君程じゃないけど、まあそこは我慢するさ」
そう言ってハルコさんは笑った。
「だから今君の口座に入っているお金は退職金代わり。そのまま持っていくといいよ。それだけあれば一生遊んで暮らせるだろ」
貫之クンがどんな遊び方するのか知らないけどさ、とハルコさん。
僕は結局、その申し出を受ける事にした。
会社を辞めたからといって何もしない訳にはいかない。個人投資家として気がつけばパソコンのモニターを眺めている。いやぁ、習慣って怖いよね。
そんな訳で昨晩も遅くまで海外の経済指標と睨めっこをしていたのだ。
「そろそろ準備しないといけないか」
手早く焼いたトーストを口に突っ込みながら紅茶の準備。天然ベルガモットを使用したアールグレイの特級品、ここ一番で好んで飲む逸品だ。
「そう、ここ一番。ある意味、今日が本番だよな」
東京の大災害がまるで
「ふぅ。エキストラダンジョン、裏ボス、ってか」
ベルガモットの香りが鼻孔を擽る。眠っていた脳が覚醒する。これで戦闘準備は整った。
「開戦まで、あと五時間……」
飲み干した紅茶を片付けて、玄関に向かう。思えばあの日、あの扉を開けた瞬間から、始まったのだったか。
真理にマチコ、それにキュウちゃん。今日は彼女らが居てくれて本当に良かったと思う。巻き込んだ事を後で恨まれても、そんなのは知った事ではない。少なくとも今の時点では皆喜んでいたのだから。
玄関のドアを開ける。霧は……無い。
「それじゃあ、行ってきますよ」
誰も居ない部屋に向かって声をかけ、僕は街へと向かう。今日は……
今日は、ハルコさんとの飲み会の日だった。
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