第18話 天智天皇之章②

 態勢を崩しながら転がり出た先は池袋管轄区イケブクロリバティー、サンシャイン通りにそびえるアニメショップビル。そこは嘗て持統天皇との邂逅を果たした部屋の前で。

「侵入者か! ここは『池袋管轄区イケブクロリバティー』の統括者、持統天皇エンプレス ジトウの御座、通すわけにはいかない! サモン『右大将道綱母ドラゴンフライマザー』」

 扉を護る詠人召喚士ポエトマスターが咄嗟に反応を見せる。ここの女性達は本当に問答無用だな。

「僕はその持統天皇に用があって来ました。話し合いのつもりでしたが、急いでいるので勝手に通りますよ」

 僕はすかさず不比等を召喚する。

「不比等、ここはお願い。でも程々にね」

 おそらく六歌仙ゴッドシックスが相手でもない限り不比等の敵じゃない。そしてロウ唯一人の六歌仙、小野小町は天智天皇と共に現世から去った。

「貫之、ここは俺に任せろ。中で危なくなったら直ぐに俺を呼べよ」

 そう言って右大将道綱母の攻撃をいなす不比等を横目に僕は扉をくぐる。その先には持統天皇と、そして真理の姿があった。

持統天皇エンプレス ジトウ、お久しぶりです。それに真理も、またここに居たんだね」

「何よ、あなた私に喧嘩を売りに来たの?」

 僕は真理の敵意をさっと手で制す。

「真理、この人は貴女の敵ではないわ。そうでしょ、貫之さん?」

 全てを見透かしたような持統天皇の瞳が僕を射抜いた。

「ええまあ、僕は持統天皇、貴女に用があってきました」

「貫之さんが首都解放戦線リベレイションフロントトキオの後鳥羽院を退けた事は真理から聞いています。そして今、東京お覆う霧が晴れた。貴方は新宿に巣食う崇徳院をも倒してのけたのですね」

 持統天皇が薄っすらと笑みを浮かべた。

「今日ここに来たということは貴方は私を選んだということでいいのかしら? 嬉しいわ」

 そう言って差し出された持統天皇の手を、僕は握り返すことなく首を横に振った。

「残念ですが持統天皇、それは違います。天智天皇はその思いを僕に託し、東京の霧を晴らすと同時にその力を使い果たしました。そして僕にこう仰いました。自分は在るべき場所に還る、ここは自分達詠人の本来在るべき場所ではない、と」

 僕の言葉に持統天皇の顔から笑みが消える。その瞳は僅かに悲しみを湛えているようで。

「持統天皇、貴女は僕に言いましたね。ここ池袋管轄区イケブクロリバティーは僕の居場所ではないと。その言葉をそっくりお返しします。ここ東京は、いえこの現世は、貴女方の居るべき場所ではない。どうか本来在るべき処にお還り下さい」

「そう……天智天皇エンペラル テンジが……それで貴方は私と戦うというの? 調和ニュートラルを乱し混沌カオスに抗い、そして今度は秩序ロウを破壊する、それがあなたの選択? 愚かだわ」

 僕の選択、殿ニュートラル坊主カオスロウ、どれかの勢力と手を取り合う未来もあったのかもしれない。でも僕はそのどれをも選ばなかった。

「そう、僕は選ばなかった。でも僕はそれらを捨てたわけじゃない。後鳥羽院の矜持も崇徳院の怒りも僕は確かに受け取りました。そして今、貴女の悲しみも僕が引き受けましょう」

「私の悲しみ……私には使命があります。この世界を秩序で満たすという崇高な使命が。それを果たさぬうちに退く事は適いません」

 使命、それこそが持統天皇を縛るロウの鎖、彼女もまた秩序ロウによって不自由を強いられている。自分の悲しみにさえ従えない程に、それは強固な彼女の意志。

「後鳥羽院には人を導き共に在らんとする強い意志がありました。彼は自分の受けた不遇を、千年の時を越える恨みをその原動力にしながらも尚、人との共存の道を探りました。崇徳院はその募る怨念を以て在り、そしてその怨念を以て果てました。彼はこの上なく自由で、奔放で、その思いは誰よりも強かった」

 それは単に彼等の属性によるものだったのかもしれない。だけどその与えられた役割を超えて彼等は確かに自分の思いを僕に語った。それは甘美な魅惑であり、だからこそ僕は彼等の手を払った。

「持統天皇、貴女の使命とやらが貴女自身によるものか、他から与えられたものなのか、それは僕にはわかりません。でも二人のそれと比べると貴女の思いは無いに等しい。貴女はからっぽだ。貴女は自分の心に従い、新宿に赴くべきだった。貴女こそが、天智天皇の元へ救出に向かうべきだった!」

 辺りを静寂が包む。これで僕の演説はお仕舞い、そう既に宣戦は布告した。後は決着があるだけだ。

「こちらには蝉丸さんと、そして不比等も直ぐに駆けつけます。池袋管轄区イケブクロリバティーに僕と戦える戦力は残っていない。貴女の負けです。真理、君はどうする?」

 僕の視線を受けて真理が肩を竦める。

「あなたって本当に調子がいいわね、昨日はあの妖艶な魔女にデレデレと鼻の下伸ばしてたくせに。それでその彼女はどうしたの?」

「デレデレとは心外だけど、まあいいや。彼女は、小野小町は天智天皇と共に還ったよ。彼女の在るべきところに」

 真理は最初から彼女の本質に薄々は気付いていたのかもしれない。絶世の美女、もしかしたら女性には嫌われるタイプなのかも……なんてね。

「そう……ならいいわ。持統天皇エンプレス ジトウ、ごめんなさい。私は貫之と行くことにするわ。私は貴女の事、嫌いじゃないけど、ここは貴女達の居るべき場所じゃないっていうのは貫之と同意見よ」

 真理が戻って来た。これで盤石、チェックメイト。

「そう、真理も行ってしまうのね。そうね貫之さん、貴方の言う通り、私の心はこの現世に顕現した時からからっぽ。解っていたわ、秩序ロウの鎖に搦めとられていたのは私」

 持統天皇の瞳が悲しみに沈む。その表情こそが彼女の心音。

「私の『春過ぎて夏202Xフォーサイトビジョン』は未来を見通せても、それに抗う事は出来ない、未来を変える力は無いと、そう思っていました。私では彼を助け出すことは出来ないと。でも貴方は、何の力も持たない貴方はそれをやってのけた。正直に言いましょう、私の『春過ぎて夏202Xフォーサイトビジョン』に霧の晴れたこの街は映りませんでした。貴方が未来を変えたのかもしれない。いいえ、決まった未来などは本当は最初から無かったのでしょう」

 未来を見通す力、その優れた力故に彼女は動くことが出来なかった。何故なら彼女にとって未来とは可能性ではなかったから。既に決定されたそれは変わることのない現在いまだったのだから。

「私はいづれ還ります。叶うならば天智天皇エンペラル テンジと共に在る場所へ。この現世は貫之さん、それに真理、貴方達がいれば大丈夫でしょう。真理、これまで私を支えてくれてありがとう、貴女といる時間は楽しかったわ。貫之さん、貴方は貴方の信じる道をお行きなさい。貴方の選ぶ道を、いいえ貴方は何も選ばないのだったわね。それもまた一つの選択、そこに私の力が必要ならいつでも使って下さい。さようなら、私の愛しい子供たち」

 それは僕の夢に出てきた悲しみに沈む女性ではなく、そして厳格な秩序ロウという名の鎖に縛られた人形でもなく。そこにあったのは慈愛を湛える可愛らしい一人の女性の姿だった。

 やがて淡い光に包まれた持統天皇が消え、そこに一枚の札が残った。

「春すぎて夏来にけらし白妙の、衣ほすてふ天の香具山……持統天皇のカード、これは真理が持っていてよ」

 僕はその美しい札を拾い上げ真理に手渡す。

「……ええ、そうね。あなたが持っていても使えないものね」

 そう言って真理はその札を大事そうに仕舞った。

「それで貫之、あなたはこれからどうするの?」

「ああ、今日はもう遅いし一旦僕の部屋に戻ろうと思う。明日、全てを終わらせる」

「当てはあるのね。わかったわ、じゃあ行きましょう」

 やっぱりそれが当然であるかのように真理もついて来るようだ。まあ今更だし、しょうがないか。

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