第二話 斎藤栞の動揺
「ごめんなさいねえ、私、我が儘を言っちゃって」
弊社の玄関。ラウィの声はその身長に勝るとも劣らず大きい。
大きいと言っても日本人だから精々一七〇センチ超。だが、高いヒールを履いている所為で、わたしは彼女を見上げなければならない。
ベリイショートの髪に黒いパンツスーツをクールに着こなす。そこまで見れば男装の麗人だが、白いVネックのカットソーは胸元がこれ見よがしに大きく開いている。
「谷間が服を着て歩いている」……とは後から山下さんに聞いた感想。応接室まで案内する間、通り過ぎる男性陣の視線が凄いこと。お客様に失礼だろう、もう。
歳は四十に近いが、周りから見るとわたしとそう変わらないらしい。わたしが老け顔だと言うこともあるが………複雑。
「「どこの国の人も好きよね、『おっぱい』!」」
「えっ、えええっ………」
応接室の扉が閉まり切る前。とにかく声が大きい、と言うより、デカい。
ラウィは焦るわたしの顔を見て、その特徴的な奥二重を蒲鉾のように歪ませる。
一先ず彼女をソファに座らせ、わたしも対面に座る。
両肘を膝の上に突いて手を組むラウィ。前屈みになるので大峡谷だ。
対するわたしはノースリーブのブラウスシャツ。競ってどうする、と心の声。
「おっぱいに視線を向ける割合って、実は男も女も大して変わらないんだって。妙な統計を採る人も居るのねえ、役に立つのかしら」
「え、ええと、そ、そうですよね、実はわたしも結構、見てますから」
「私も好き。隠している人が居るとつい、お宝を見せろっ、とか思っちゃう」
「は、はは………」
からからと笑うラウィ。取り繕いながら嫌な汗が出るわたし。
お客様に失礼、は撤回した方が良いかもしれない。
すると、応接室の扉がノックされる音。山下さんがお茶を運んできたのだ。
「失礼しまぁす」
グッドタイミング、とばかりにソファから立ち上がると、彼女も合わせて立ち上がる。
ラウィは奥二重の目を更に弓なりにする。
「あ、紹介します。今回の件で、デザインを統括する弊社の山下……
「あら、可愛いらしいお嬢さん。私もこのぐらいが好き」
ラウィは両手のひらをくるりと回し、小さなカップの形を作った。
もちろんわたしは絶句する。
「えっ、なん……の話、ですか?」
山下さんにその話題は……… ええと、その。
・・・
「ま、掴みはこのくらいにして………」
ラウィは悪びれる様子は全くない。この時点でわたしの体力はかなり削られたはずである。
だが、仕事の本題に入ると、彼女は極めて大人の態度を見せる。
「あなた方の都合もあるし、私も今月末には日本を発ちたい。リミットに間に合わなければ元の提案に戻っても構わない。でも、私には私の看板がある。ギリギリまで時間が欲しい」
言っていることは分かる。わたしも元は美大生で今は広告マンだ。暫定案で保険を掛けつつ間際まで閃きを待ちたい時はいくらでもある。
「何かこう…… Something が足りない。私の我が儘だから、私の方から出向いたの」
モデルもスタジオも目星は付いているし、彼女もそこは変える気がない。拘っているのは何処までスケジュールの融通が利くか。迷いがあるのはボディペイントのテーマだろう。
わたしは会社のノートPCでモデルとスタジオの空き具合を確認し、ラウィの目の前でオフィスを開いて予備案、いくつか工程表を作り直す。
後からでも修正が利くWEB媒体と違い、紙媒体はデザイン以降の工程も多岐に渡り、それぞれが恐ろしくシビアだ。些細なミスで回収、刷り直しとなれば大損害である。
その分、それぞれの工程にはマージン幅が取られているが、工程の特性により幅そのものがバラバラで、業界の人間でもおいそれと手を加えられるものではない。
広告代理店はもちろん外の人間だから、根気強い交渉と根回しが必要となる。
すると、応接室に備え付けの内線が鳴った。わたしのスマホは留守電だからだ。
どうやら田中君が別の案件でトラブって急を要するらしい。
わたしは少し焦りながらラウィに断りを入れる。
「あの、ごめんなさい、ちょっとだけ席を外します。いいですか?」
言うまでもないが、わたし抜きで対応できないのはわたし達の責任だ。
「構わないけど…… あっ、そうだ。そのパソコン貸してくれないかしら? ちょっと調べ事がしたいのだけど、スマホじゃ不便だから」
重要書類は全てWEBサーバ上、社内LANやSNS、メール類はパスワードが必要。デスクトップには「整理」フォルダを作ってフリー素材や拾った画像を放り込んでいるだけ。
オフィスを閉じればネットサーフしかできない。席を外す時間は二十分も掛かるまい。
わたし達の都合で席を外すのだから断れなかった。
「変なとこイジらないから安心して……… 変な意味じゃなくって。ふふっ」
そう呟くとウインクするラウィ。
ああ、そこはかとなく漂う、嫌な予感。
・・・
はぁぁぁぁ………
結局、三十分ほど掛かってしまった。
些細な連絡ミスで大事には至らない。取り敢えず田中君に非はなかった。
わたしはどの範囲で言い訳をするか考えながら応接室に戻ると、右手はマウス、左手は口元に当て、謎な笑みを浮かべてパソコンに没入しているラウィの姿があった。
「あの、今、戻りました、けど……」
わたしは訝しげに彼女に声を掛ける。
すると彼女は、わたしが決して想定し得ない言葉を口にした。
「あなた、国見君のヌードモデル?」
は? えっ? なんで? 国見くんって?……… って、いや待て。
ヌードモデルっ!?
わたしは混乱する。頭の中が一瞬、真っ白になった。
パソコンから顔を上げたラウィ、ニタリと邪悪に口角を吊り上げる。
「なっ、なっ、なんでっ、しっ、知ってるんですかっ!?」
ラウィはわたしの驚きなど、どこ吹く風とばかりに宣った。
「だぁってあなた、知ってる人の名前のフォルダ、あったら開けちゃうじゃない」
わたしは焦りのあまり、すっかり失念していた。画商のサイトに貼り付けられている先生の絵の画像を「整理」フォルダの中に「国見俊彦」フォルダを作って蒐集していたのだ。
絵は売れてしまえば滅多に見る機会がなくなるからだが、その中に先生が描いたわたしのスケッチの画像も一緒に収納していたのである。
先生にわたしを描いて貰った後日、持ち帰ったスケッチブックを会社の複合機でスキャンして、先生に送り返したその元画像だ。
愚かにも程がある。わたし一度死ね。
「ごめんねえ、悪いとは思ったんだけど、懐かしい名前だったから」
「………………」
言葉がわたしの口から出てくれない。
ラウィの大きな声とマウスのクリック音だけが応接室に木霊する。
恐らく彼女はわたしのスケッチも全て見てしまったのだろう。
同性とは言え、恥ずかしくない訳がない。間違いなく今のわたしは顔から火が出ている。
「これ、あなたでしょう? よーく描けてる、国見君の絵だ」
「………………」
「あらやだっ、こんなポーズまで。んまーっ」
「………………」
「すごっ、国見くん、どんな顔をして描いたんだろう?」
「………………」
至って上機嫌のラウィ。先から視線がわたしとパソコンの画面を往復している。辛い。
すっかり脱け殻となったわたし。脱力してソファにどすんと座り込んだ。
そう言えば。
「先生……… 国見さんをご存知、なんですか?」
「せんせい? ああ、国見君はあなたの先生なんだ」
すると、ラウィは一枚の画像を開き、パソコンの画面をわたしに向ける。
「この絵のモデル、『大石加奈』は十六年前の私なの」
「エケベリア・ラウィ」——— わたしと先生の全てが始まった一枚。
そのモデルが今、目の前に居る。
先とは違う理由で二度目の驚愕をするわたし。
ラウィこと大石加奈。満面の笑みを顔に浮かべ、わたしに告げる。
「国見くん、連絡取れるかしら? 閃いちゃった」
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