三 見立てごっこ

「――いやあ、ほんと、後楽園とか兼六園とかみたいに、まるでお大名の庭園みたいですね」


 先程、屋内から覗いた時もそう思ったが、やはり個人宅とは思えない、本格的な回遊式日本庭園である。


 僕は松子さんの案内で池の周りを廻るようにして一通り観覧すると、その〝菊人形〟とやらの飾られている花壇へと誘われた。


「へえ~これが菊人形ですかあ……あ、これはご家族のみなさんに見立ててあるんですね」


 何百本もの色鮮やかな菊を集めて作られたその等身大の人形は、頭の部分だけがマネキンになっており、それぞれが家族の一人一人を表わしているようである。


「この小さな二体が小梅さんと小竹さん、こちらの紋付姿の男性がご主人の要蔵さんですか? そのとなりの和装の女性が奥様、その横の白い菊でできた青年が佐清さん、で、こっちの振袖っぽい姿の女性が智子お嬢さ…」


 だが、繊細な技で見事に作られたその菊人形を順々に眺めていった時のことだった。


「ひええっ…!」


 僕はまたしても叫び声を上げてしまう。なんと、智子お嬢様に見立てたその菊人形の頭だけは、生きた人間のそれになっていたのだ。


 しかも、若い女性のものではない。長い白髪を振り乱した老婆のその首には見覚えがある……それは先刻、門の前であった濃茶とかいう変わった名前のお手伝いさんだ。


「まあ! 濃茶、いったいどうしたというの!?」


 これには松子奥様も驚いた様子で驚きの声をあげる。


「だ、旦那さまに……やられましたぁ……これも、落武者様の祟りじゃぁ……」


 訊かれた瀕死の老家政婦は弱々しい声でそう答える。


 一瞬、生首が置いてあるのかと錯覚したが、よくよく観察してみると、どうやら老家政婦を縛り上げて菊人形の内部に埋め込んであるらしい。


「主人に? 牢に入ってるはずだけど、もしかして逃げ出したのかしら……ああ、また変なものお見せしてしまってごめんなさいね。悪戯好きと言いましょうか、主人にはこういう子供っぽいところが少しありますの」


 子供っぽいて……松子奥様はなんとも朗らかな笑みを浮かべてそう釈明しているが、池に刺さってた佐清さんといい、もう悪戯の域をはるかに超えていると思うのだが……。


 猟奇的なご主人ばかりでなく、それを異常と思っていない奥様にも呆れてしまう僕だったが、驚くべきことはさらに続く。


「……一羽のスズメの言うことにゃ~言うことにゃ~……女誰が良い升屋の娘~、升屋器量よしウワバミ娘~…」


 ふと、そんな唄を歌う女性の声が、ベンベン…いう弦の音とともに聞こえてきたのである。


「この唄は……」


 間違いない。それは昨晩、聞こえてきたあの唄である。


「ああ、智子ですわ。ここらに伝わる手毬唄で、智子が月琴を弾きながら歌っているんですの。あの子、月琴と民謡が趣味ですのよ」


 驚いて周囲を見回す僕に、松子奥様がそう説明をする。


「そこの酒蔵からですわね。昔、ワインの醸造もしていたことがありまして、今は使わないので娘がスタジオ代わりにしておりますの」


 彼女の言う通り、花壇の向こうには古い土蔵が建っており、唄はそこから聞こえてきているように感じる。


 ……そうか。あの唄は智子お嬢様が歌っていたのか……なんだ。不気味に感じたのは僕のただの思い込みだったらしい。


 ……だが。


「…升で量って漏斗で飲んで~、日なが一日酒びたり~、酒びた…キャァアアアアーッ…!」


 突然、淋しげながらも清んだ唄声が途切れたかと思うと、絹を裂くような絶叫が辺りに響き渡ったのである。


「い、今のは……」


「わかりませんけど、智子に何かあったのかしら? 行ってみましょう……」


 血相を変える僕にさすがの松子奥様も不安の表情を見せ、僕らは足早に古い酒蔵の中へと入って行った。


「智子~! 智こ…キャアっ! ……まあ、なんてこと……」


「うわっ…!」


 蔵に足を踏み入れて早々、すぐに智子お嬢様の姿を見つけることはできたが、その瞬間、同時に二人して悲鳴を上げてしまう。


 赤い鮮やかな振袖を着た智子お嬢様は、ワインの醸造に使っていたらしき大樽の上にハリから吊るされていた……胸には棒秤の棒が突き刺さり、さらに顔を上向きにされ、その口には漏斗を咥えさせらるというおぞましい格好で……。


「だ、誰がこんな酷いことを……」


「ううううう……」


 無残な惨殺死体として再会したお嬢様を前に、誰に言うとでもなく譫言のように呟く僕であるが、するとそれに答えるかのようにして背後から不気味な呻き声が聞こえる。


「……っ!?」


 咄嗟に振り返った僕は、悲鳴を上げることもできずに言葉を失った。


 そこには、角のようにして懐中電灯二つを頭に鉢巻きで縛り付け、腰には赤い襦袢を帯に日本刀を差し、手には一丁の猟銃を持った中年の男が立っていたのだ。


「あなた!? いつの間に牢から……ああ、あなたがやったのね……あなたが智子にこんなんことを……」


 同じく背後へ目を向けた松子奥様は、彼を見るなり悲壮感に満ちた声で落胆するようにして呟く。


 つまり、この奇妙な格好をしている男性がご主人の要蔵さんということか……気の病で暴れるとか言っていたが……じゃあ、彼が娘である智子お嬢様にこんな酷いことを……。


「逃げてください! このままここにいてはわたし達も殺されます! さあ、早くこちらへ!」


 なんとも悲しく残酷な事実に僕が立ち尽くしていると、松子奥様は僕の手を取り、切迫した声の調子で僕を促す。


「…え? うわっ……は、はい……」


 僕は手を引っ張られるままに走り出すと、奥様とともに蔵の奥へと向かった。蔵の出入り口は要蔵氏の後にあり、そこからは逃げられないからだ。


 でも、このまま奥に行っても行き止まりのような……。


「よいしょっと……さあ、この中へ入ってください! 早く!」


 だが、その疑問に答えるかのように、松子奥様は奥に置かれていた古い長持ちの蓋を開ける……すると、その中には階段が地下へと伸びており、どうやら秘密の抜け穴の入り口になっているようだった。


「さあ、早く! 入ったら蓋を閉めてください!」


 奥様に急かされ、僕は転がるようにしてその中へと入ると、慌ててその重たい蓋を二人でもとに戻す。


「ここは……」


 それから階段を降り、置いてあったランタンを奥様が灯すと、そこには巨大な洞窟が拡がっていた……。

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