二 赤マントの正体
「…ハァ……ハァ……捕~かま~えた~」
目深にかぶった制帽の下、赤い夕陽に照らされた口元を奇妙に歪め、やはり男も肩で息をしながら、とても耳障りな気持ちの悪い声で花子に話しかける。
本当に噂で聞くような、夕陽の如き真っ赤な色のマントを羽織った気味の悪い怪人物……他には誰もいない夕暮れの町、あの〝赤マント〟と対峙しているというこの状況は、恐怖を感じるとともになんだか不思議な、まるで夢でも見ているかのような感じも覚えさせられる。
……いや、違う。あれは、赤いマントではないのか……。
そんな
先程まではずっと赤いマントだと思っていたが、こうして全体が真っ赤な景色の中で改めてよく見てみると、同じ系統色内の対比から、それが目の錯覚であったことに気づかされる。
赤く見えていたマントは、じつは夕陽に染まったカーキ色のものだったのだ。
同じく赤い制帽も本当の色はカーキ色……つまり、男が身に纏っているのは帝国陸軍の軍人の装いである。
……そうか。もしかしたら、こうしていつも夕暮れ時に出没するので、夕陽に染まるカーキ色のマントを赤い色だと目撃者達が勘違いしたのかもしれない……そして、いつしかこの怪人は〝赤マント〟と呼ばれるようになったのではないだろうか?
思わぬその発見に、それどころではない状況ではあるが、花子は冷静にそんな分析結果を思った。
「なんだ、そのポカンとした顔は? よくないな。もっといい顔してみせてくれよ」
その心の内を読んだわけでもないだろうが、男は首を傾げて花子の顔を覗き込むと、急に苛立たしげな声の調子になって、マントの下から右の手を差し出して見せる。
その動きに花子がそちらへ視線を向けると、赤い手袋…否。夕陽に赤く染まる白手袋をしたその手には、陽光をキラキラと乱反射させる、一本の鋭い銃剣が握られていた。
「……っ!」
その容易に人の肉を切り裂くことのできる禍々しき刃を目にした瞬間、このあまりにも非現実的な状況が一気に現実味を帯びる。
「いいねえ。その顔だよ。大陸じゃあ、何十人と敵兵や捕虜を殺したけど、死を覚悟している者をいくら殺ったところでちっともおもしろくはない。やっぱり、自分が死ぬなんて考えたこともない人間の、突然、命の危機にさらされた時の反応が最高なんだよ……例えば、君のように年端もいかぬ女学生のね」
再び引き攣った彼女の顔を満足げに眺め、赤マントはひどく愉快そうに口元を歪める。
その際、制帽のつばの下にようやく見えた彼の眼は、狂気と邪な快楽にすっかり血走り、まるで地獄から現れた獣のようにギラギラと輝いている。
「……た、助けて……だ、誰か……誰か助けてえぇぇーっ!」
それまでよりも明確に恐怖と自らの死を認識した花子は、ここへきてようやく開かない喉を強引に開き、出ない声を無理矢理に出して助けを求める。
「……………………」
……だが、辺りはしんと静まり返ったままだ。
「……た、助けてぇーっ! 誰か! 誰か助けてえーっ!」
重ねて花子はありったけの声を張り上げて叫んでみるが、不思議なほどに近隣は静けさに支配されたまま、相変わらず誰か来るような気配はない。
「無駄だ、お嬢ちゃん。ここら辺の家は敷地が広いし、空家も多い。どんなに泣き叫んでも誰も来やしないさ」
その疑問に答えるかのように、赤マントはギラつく凶刃を彼女に見せつけながら、ご丁寧にもさらに残酷な事実を彼女に告げる。
……つまり、もう助かる術は何も残されていないということだ。
「……た、助けて……お、お願いします……ゆ、許してください……」
それでも一縷の望み託し、花子は背後の壁にぴったりへばり付くと、少しでも目の前の殺人鬼より距離をとろうとしながら、その当の本人に震える声で許しを請う……それが、無駄な足掻きであるとわかっていようとも。
「いいねえ。ますますいい表情になった。大丈夫だよ。すぐには殺したりなんかしないから。耐え難い痛みと死に対する恐怖をたっぷりと味わせてあげるよ……さあ、この夕陽の色とお嬢ちゃんの血の色、どっちの方が赤いかなあ?」
案の定、赤マントは情けをかける気など微塵もなく、舌舐めずりをしながらじりじりとにじり寄ってくる。
「…い、いや……だ、誰か……」
逃げ場のない背後へ1ミリでも逃れようと障壁に背を押し付けながら、反面、いよいよ自らの〝死〟というものを花子は覚悟する。
「…ククク……さあて、どこから切り刻むのがいいかなあ? やっぱり……その 可愛らしいお顔かなあっ!」
そんな彼女にあと一歩という距離にまで近づいた赤マントは、まったく慈悲などとは無縁の笑みをその口元に湛え、鋭利に煌めく銃剣を逆手に握って大きく振りかぶる。
「ひぃ……」
……と、彼女が見開いた瞳を小刻みに振るわせ、血の気の失せたその顔をなおいっそう引きつらせた時のことだった。
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