━━ 二節 ━━
結局、その日の現場は、一旦中止となり、職人達もその場で解散していった。
残ったスーガは、煙草に火をつけて中途半端の足場を見つめている。
「…オレに何か用か?」
背後の物陰から、苦笑しながらヒヨリが出て来た。
「アンタ、さっきハルカと一緒にいたな。
見かけねェ顔だが…」
「うん、今日初めてこの町に来たんだ。
ハルちゃんに会ったのも5年ぶりで━━」
次の瞬間、スーガの目つきが変わり、すごい形相でヒヨリに迫ってきた。
「アンタッ、昔のハルカを知ってるのかッ!?」
「すッ少しの間だけ一緒に遊んだりしただけで…。
でも、ハルちゃんは、アタシのこと忘れてるみたいだったけど…」
「そッそうか…」
慌ててハルカとの関係を説明するヒヨリに、スーガは、暗い表情でしばらく黙っていたが、煙を吐いて静かに告げる。
「酷な話で申し訳ねェが、アイツはな、記憶が無ェんだ」
「えッ!?」
衝撃的事実に動揺してしまうが、スーガは、煙草を吸いながら当時のことを語り始める。
━━5年前のことだ。
何日も続いた嵐がようやく去っていき、町の修復に追われていたときだった。
家が半壊しているところもあれば、農作物も全滅した農家もいて━━。
このままでは、この町は終わっちまう。
そのくらいの危機的状況だったんだ。
オレ達は、近くの町に助けを求めるため、道を塞いでいた倒木を退かす作業を行っていた。
そんなとき、すぐそばの川原に倒れているガキが目に入った。
急いで近寄ると、頭から血を流し、服装もボロボロ、身体中アザと擦り傷だらけの状態。
体もひんやり冷えきっていたが、かろうじて息はあった。
すぐ様、オレ達はそいつを連れて町に引き返し、医者に見せた。
なんとか一命をとりとめ、何日も寝たきりのアイツを、オレは作業そっちのけでずっと側で看病し続けた。
何でだろうな、ほっとけなくてよ。
それに、あの嵐の中、いつもの倍以上に増水していた川に流されてきたんだとしたら、奇跡としか言いようがねェ。
目を覚ましたアイツは、病室を見回したり、包帯だらけの体を確認すると、食事もちょっとずつ摂れるようになっていった。
問題は、ここからだった。
━━名前は、何て言うんだい?
━━…ハルカ。
━━家は? 何処の町に住んでるのかな?
━━…わからない。
医者の質問に、ハルカはゆっくり返答し続けた。
━━歳は、いくつ?
━━じゅう、に?
━━家族はいるのかな? お父さんとかお母さんとか。
━━…わからない。
頭を強く打っちまったせいだろう。
無理矢理思い出させるのは、脳に悪影響だと医者に言われた。
時間をかけて記憶を戻していくしかないんだと。
そこで、ある提案をされたわけよ。
子供を預かってみないかってな。
独り身だし、寂しくなくなるぞとオレの意見を聞かねェで強引に押し付けられちまって。
そんで、今に至るってわけだ━━。
材木の上に2人共腰かけ、スーガは、ハルカとの出逢いを懐かしそうに話している。
そんな様子の彼を、ヒヨリは微笑ましかった。
「子育てなんてしたことの無ェオレは、アイツとの触れ合い方が分からなかった」
短くなった煙草を地面に落とし、地下足袋の裏で擦りつける。
「きつく言い過ぎたときは、本当にアレで良かったのかとよく考えさせられることも多い」
ポケットから新しい煙草を取り出し、口に咥えると火をつけて一息いれた。
「特にあの年頃の若いモンは、感情的になりやすくて周りを見ちゃいねェ。
色々なことを学ぶようになった分、悩みも増えていっちまう」
体の中に溜め込んでいたものを大量の煙と共に吐き出し、眉間にシワを寄せる。
「この仕事を始めてからというもの、アイツは、自分の体のことなんかお構い無しで働きやがる。
足元を見ていねェッつーか、地に足をつけてねェッつーか…」
何と表現したらいいかわからない彼を見て、ハルカのことを心配していることは理解した。
「…おじさん」
「あ?」
「体のことに関して言うなら、煙草は控えた方がいいと思うよ」
彼女に指摘され、気付けば足元に何本もの吸殻があり、スーガは、思わず吹いてしまった。
━━夕方、アパートに戻ったオレは、ベッドでぐったりと横になっていた。
5年前、スーガさんが川原で倒れていたオレを助けてくれた。
それからは、不器用なりに真っ直ぐなあの人の背中をずっと見てきた。
その姿は、オレにとって父親のような存在に思えたんだ。
こんな何処ぞのクソガキをここまで育ててくれたんだ。
すごく感謝してる。
別に、この仕事が好きってわけじゃないけど…、拾ってくれたスーガさんに恩返しがしたかったんだ。
今日まで朝早くから夜遅くまでがむしゃらに働いた。
重い材料を担いで、走って、投げて━━。
毎日、怒られながらも尊敬しているあの人に認めてもらいたくて━━。
なのに━━。
“代わりはいくらでもいる!!
使えねェ奴は要らんのや!!”
スーガさんに言われたあのセリフが脳裏に焼き付いていた。
「オレは一体、何のために今まで…」
暗い表情で天井を眺めていると、すぐそばの窓からヒヨリが心配そうに顔を出す。
「なるほどね、今朝そうやって入って来たのか」
「エヘヘ~、お邪魔します」
ここ、3階なんだけどな…。
どうやって登ってきたんだろ。
申し訳なさそうに入ってくる彼女に、そんな疑問はどうでもよく思えてきた。
「カッコ悪いところ見せちゃったね」
「…多分、ハルちゃんを思ってあんなことを言ったんだと思うよ」
軽く苦笑をつくるオレに対して、唐突に何気無い一言を言い放ち、若干頭にきたが、なんとか冷静を保った。
「あのとき、頭に血が上っているハルちゃんをあの人から遠ざけるためだったんじゃないかな」
人の気持ちなんか知らないくせに━━。
「それに、ハルちゃんの体調を気にしてしばらく休めって、遠回しに言いたかったんじゃない?」
ほぼ初対面のアンタに何が分かんだよッ。
「そんな、都合の良い話が━━」
これ以上、その先のことを聞きたくなかったのだが、彼女は容赦なく続ける。
「1日ハルちゃんを見て思ったことなんだけど。
どんなに酷いこと言われても、どんなにキツいことされても、ハルちゃんの仕事に対する真っ直ぐな姿勢は、周りの人達が一番わかってるんじゃないかな」
そのとき、堪忍袋の緒が切れた。
「家族でもねェのに知った口きくんじゃねェよッ!!」
上体を起こして、彼女に怒鳴ってしまったオレは、気まずい空気に耐えきれず、そそくさと部屋を飛び出した。
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