Ⅳ 軍師が仕掛けし赤壁の計

「ハハハハハハ、どうやらお気に召していただけたようじゃの。これでわかったであろう? 弁論の余地もない。世界の覇者、古代ローマを継ぐ我らイタリアのカレーこそが世界一であるということが!」


「お待ちください。西洋だけでカレーを語ることなどできません。それはまだ広大無辺なカレー世界のごくほんの一部……今度は古代ローマに比肩する東洋の大帝国、四千年の歴史を誇る中華のカレーをお目にかけましょう」


 前の英国・フランス同様、肯定的な釈迦の反応に勝ち誇った高笑いを上げるダ・ヴィンチだったが、それに冷静沈着な声で待ったをかける者がいた。


 ゆったりとした白い着物に黒い羽織りを纏い、頭には中国風の冠、手に白い孔雀の羽団扇を持った線の細い色白の男性――三国時代、蜀の皇帝・劉備に仕えた名軍師、〝天下三分の計〟を提唱して三国時代を作り出した張本人でもある諸葛亮孔明だ。


「私のお召し上がりいただくカレーは……ハァっ! こちらです」


 孔明は顔の前で手刀印を結び、なにやらムニャムニャ呪文を唱えると、もう片方の手にある羽団扇を一振りする。


 すると、八角形の中国風なお皿に盛り付けられたカレーがテーブルの上に姿を現した。


「ほお! 仙人が使う仙術というやつですか。今度は久々にライスのようですね。でも、何やらいろいろと混ざっているような……」


 まるで手品のように出現したそのカレーに、釈迦はわずかな驚きと感動を表情に浮かべると、それまで同様、まずは細めた眼でじっくりと観察を始める。


「そのライスは金華豚の叉焼チャーシューと上海蟹、皮蛋ピータンの炒飯です。中国南方の料理には福建炒飯といって、あんかけをかけて食べるものもありますからね。その計略を転用させていただきました。カレーの方は鶏ガラでとった白湯スープをベースに、海老と豆腐、白菜、筍、葱などが入っておりますが……まあ、まずは食べてのお楽しみということで。では、最後にもう一工夫……フンっ!」


 釈迦の疑問に孔明は途中まで説明すると、試食を勧めてから再び一閃、羽団扇をカレーの上で勢いよく振るう。すると、何やら赤と緑の粉末状のものがパラパラとその上に降りかけられた。


「おや、また仙術ですか? なんでしょう? この粉は……ともかくもご馳走になりましょう……」


 なんだか良い香りのするその粉を今度も興味深げに見つめると、さっそく釈迦は一匙、赤銅色のカレーを口の中へと運ぶ。


 だが……。


「うぉおおおーっ! なんだ、この怒髪天を突く辛さは!? 一瞬にして体に火が付いたようだ! それに、辛さとはまた違うシリリと舌の痺れるようなこの刺激……燃える……憤怒の炎が燃えるぞぉぉぉーっ!」


 真っ赤に光る釈迦の眼がカッ! と見開かれ、その口からは紅蓮の炎を勢いよく吐き出す。いや、そればかりか肌の色までが真っ赤に染まり、光背もメラメラと天をも焦がす炎に成り代わると、煩悩を捨てきれぬ衆生を悟りに導くため、仏があえて怒りを顕わにした姿だという憤怒形――明王へと変身した。


「私がいた蜀の国、現在の四川省の料理は香辣シャンラーといい、山椒と唐辛子による香りと辛さの相乗効果がその秘訣。先程かけたのはその粉末です。さらにルゥ自体も八角など中華独特の香辛料の他、西域(※中央アジア辺り)の胡椒と最後に辣油を用いて仕上げてあり、これぞ、絹の道で繋がった中華と天竺(※インド)のスパイスの協演! 其の赤き見た目から是を〝赤壁咖喱の計〟と名付けましょう!」


 アルカイック・スマイルから一転、血走った眼を吊り上げ、髪を逆立てた憤怒形の釈迦を前にしても、比して冷静を保ったままの孔明は理路整然とその味の秘密を語って聞かせる。


「辛い! 千里を駆ける馬の如くどこまでも辛い! だが、何度も口に運びたくなるような癖になる辛さだ! それが中華の各種食材とも太極図をなすが如く陰陽合一して……好吃ハオチー! 真好吃ジェンハオチーアルヨ! アチョォォォォーッ!」


「フフフ、どうやら我がカレー八卦陣に捕らえられ、抜け出すことができなくなったようですね……勝負ありましたな」


 ブルースリーのような身構えでスプーンを動かし、幾度となくそのカレーを口に運ぶ釈迦の姿を見て、天才軍師孔明は静かに微笑むと自らの勝利を確信すた。

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