寝ぬ


犬を飼っていた。


イエローの毛色の、ラブラドールレトリーバーの、雄だった。

彼は、ぼくが四歳のときにやって来た。父が「そら」という名前を付けた。

そらは運動神経が悪く、犬にしては鈍臭かった。フリスビーキャッチを成功させた試しがなかったし、なにもないところで突然転んだ。


そらはどちらかと言えば猫に似た性質を帯びていた。高速で動く物体に強烈な反応を示したり、温かいところが好きだったりした。長野の冬は寒いから、家の中で飼っていた。そらはストーブから温風の出ることを理解していて、朝、最前を陣取って寝ていた。人間たちは却って寒い思いをした。


ぼくは平日、家族の中で最も早くに帰宅した。そらは外でしか用を足さないよう躾けられていたから、帰宅してすぐ、そらをトイレに連れ出すのがぼくの役目だった。

家中探しても見つからなかったとき、大抵、炬燵の中で寝ていた。炬燵カバーからチョロっとはみ出た尻尾が愛らしかった。


2016年、死期が迫っていた、そらは、痰を思うように吐き出せなくなっていた。右目のほとんど見えなくなって、健常とは形容し難く、痩せ細り、全身の毛色は真っ白になっていた。

そらは目覚めたとき、呼吸困難に陥るから、深夜、誰かが付き添って、背中をさすったり、水を飲ませたりして遣る必要があった。これは専らぼくの仕事だった。


8月。ぼくは夏休みだった。家族は仕事があり、家にはぼくとそらだけがいた。

朝、ぼくは深い眠りにあった。真っ黒な夢を見た。四方八方、黒のみの空間で、誰かの悲鳴が聴こえていた。


目覚めたとき、いやに静かだった。

ぼくは二階に、そらは一階のリビングに寝ていた。未だ、寝ているのだろうか、と思いながら階段を下った。通常、母の出勤前にそらは目覚め、ぼくの起きるころには、掠れた声で鳴くのだった。

そらが鳴くのは、お漏らしをしてしまったという合図であった。そうするとぼくは、リビングに撒き散らされた糞尿を片付けなければならなかった。老犬介護とは、糞尿との闘いであった。


リビングの扉を開く。強い日差しが、窓から、放射線状に伸びている。その光の奥で、そらは死んでいた。

ぼくは、剥製みたいに白目をむき、動かなくなったそらを見つめ、硬直した。我々は写真の中にいるようだった。日差しが揺れ、現実がじわじわと回復し、ぼくは泣いた。

玩具箱からボールを取り出して、投げて見せたり、そらの、冷たくなった身体を揺さぶったりもしたが、まったくの無力であった。


その晩、ぼくは、エアコンに冷やされ業務用冷蔵庫のようになった部屋の中で、保冷剤で囲われた犬の死骸を眺めながら、歌を作った。


お利口にしているね。汚しても、鳴いても好いんだよ。

散歩に出かけようよ、そら。


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