お化け屋敷


お化け屋敷を作ったことがある。


高校の文化祭で、ぼくはその責任者の一人だった。他に、Nという旧友が在り、二人三脚、作り上げた。

文化祭のひと月前、委員会の怠慢で、漸くお化け屋敷プロジェクトの責任者公募が行われた。

ぼくとNは、二年次の文化祭から既に構想を練っており、ある種の野心に燃えていた。かつて誰も体験したことのない未曾有の恐怖心を、植えつけたかった。


通常、お化け屋敷は空き教室を利用して作られた。一方で我が校には、誇るべきホラースポットが在った。木造二階建ての旧部室棟であった。使わない手はないと思った。

革新派だった我々は、脱伝統を掲げていた。

伝統には伝統なりの美徳が在るのを承知していた。けれど伝統の名を借りた現状維持体制は、後継の閑却に他ならなかった。

顧みず、懐疑せず、淡々と伝統を謳う者は、無意識のうちに伝統を軽視し、冒涜し、自己の過ちに気付くことすら叶わないのだった。


就任直後、すぐさま職員会議に企画書を提出した。間もなくボツの便りが届き、壁とキャッチボールしている気分だった。

文化祭期間中、旧部室棟は代々、保護者会が一階のキッチンにてカレーを作るのに利用されるらしかった。


それならばと、我々は又すぐに新たな企画書を作成・提出。本番のコース内訳を、キッチンでの活動を妨害しない方法と併せて追記した。

これもボツを食らった。職員の中には、例年通りやれば良いものを、とそもそも旧部室棟の使用を検討する姿勢すら見せない者も在るらしかった。


以後、三回、企画書を提出し────はっきり言って我々の進言事項には塵ひとつの不備もなかったが────あっさりと総ボツを食らった。これ以上旧部室棟に拘るなら今年のお化け屋敷はナシだ、とすら言われてしまい、我々はついに折れ、空き教室での構想を急ピッチで進めた。文化祭まで既に二週間を切っていた。


それからは地獄のような日々であった。

ぼくとNは膨大な量の仕事に追われた。アイデア出し、企画書作成、人員選定、予算計上、広告制作……。これらを分担して行うと同時に、ぼくは軽音楽部の部長でも在ったから、ライブ制作と、自身のバンドの練習を、Nは委員会の仕事と、彼も軽音楽部員であったから、当然、練習もしなければならなかった。


我々は、実際、寝る間も惜しんで、野心の赴くまま働いた。

ぼくはNという男の優秀さに何度感謝したか分からない。N以外の人間とペアだったら成し得なかったと、未だ盲信している。

結果、お化け屋敷は大盛況。二日間の運営で、ただの一秒も、行列が途絶えなかった。「今年のは凄いぞ」客の声を聴いて、泣きそうに嬉しかった。けれどぼくにはやはり心残りが在った。


年月を経て、ぼくはOBとして母校を訪れた。

一台のショベルカーが、かつて旧部室棟の在った場所に停まっていた。二度と目覚めることのない、青臭い野心がそこで眠っていた。


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