ディズニーランド


ディズニーランドが好きだった。

(行ったことのない方へ。ここから先はネタバレを含むのでご了承ください)


幼いころ、ホーンテッド・マンションよりもプーさんのハニーハントのほうが怖かった。

緑やピンクの、象を模した怪物が突如として現れ、ゲストを翻弄するというシーンで、ぼくはしばしば泣いた。それまでの朗らかなストーリーとはまるで異なる、唐突な恐怖に打ちのめされてしまうのだった。


対して、ホーンテッド・マンションには面白さすら覚えた。ぼくは一体、仕組まれたホラー作品に戦かない人間であった。

お化け、即ち死後の人間たちの溌剌とした姿に、寧ろ希望のようなものを思った。


大人になって、あの象たちは、ウォルト・ディズニーの見た幻覚であったかも知れないという知見を得た。それでぼくは納得した。

ぼくの恐ろしかったのは、自身の想像の範疇で処理しきれない事象に他ならなかった。分からないことが恐ろしい、という単純明快な理由であった。


けれど、恐怖すると同時に、知的探究心を擽られたのも又事実だった。ディズニーランドには、子どもの想像力の上蓋を取っ払ってしまう、一見しただけではまるで訳の分からない事象が、多数存在した。

それは彼ら・彼女らにとって、「ワクワク」とか「ハラハラ」とかいう言葉で互換されていそうな事象であった。


プーさんのハニーハントの他にも、当時、恐怖したアトラクションがあった。イッツ・ア・スモールワールドである。全アトラクションのなかでイッツ・ア・スモールワールドより恐ろしいものはないと思ったほどだった。

なにが恐ろしかったか。洋人形である。

無数の洋人形が、機械的にカクカクと動きながら、すべて、こちらを見つめている。ストーリーなどというものはおよそ見つからず、徹底して同じ曲が流れ、ぼくは、呪われてしまうのではないか、永遠にこのボートから降りられないのではないか、などと、暫時のパラノイアを起こした。


父や母は、「このアトラクションは寝られるから好きだ」と言って、実際、寝ていた。アトラクションが終わって、ぼくが、嗚咽していたものだから、ひどく驚かれ、以来、家族で行くとき、イッツ・ア・スモールワールドには乗らないこととなった。


あれから約二十年経った。

ぼくの哀しいのは、ディズニーランドへ行っても、もう二度と、あれほど巨大な感動や恐怖を感じることはないのだという、残酷な現実である。

童心の死んでしまった人間の、死んでしまったファンタジーの残骸が、ディズニーランドと同じ場所に横たわっているのを、茫然自失、見るのみである。


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