優柔不断な彼の即決

「ドリンクバーがいいけどアイスも食べたいし……悩むなあ」

 ファミレスに入ってメニューを見ながら五分が経った。

 イライライラ。こういう時、いつも樹生(みきお)は私を苛立たせる。優柔不断の塊。煮え切らない男。

 高校三年生の夏なのに進路すら決めてないし、将来の話を聞けば就職か進学かで悩んでいることを小一時間は愚痴って結局結論は出さない。

「ホント、すっぱりと決めたことなんてないよね。ってか、暑いんだから早くしてよ」

「クーラー効いてるんだし涼しくていいでしょ? それより由香(ゆか)、胸元パタパタやらないでよ。本当にガサツなんだから。見えちゃうよ?」

「ガサツな女の下着なんて誰も喜ばないでしょ。クタクタでデザインもダサいし。それより早く決めてよ。優柔不断すぎ」

「そうかなあ? このファミレスに行くのは即断即決だったけど」

「そんなことまで悩んでたら付き合いきれないっての。私はいつも通り二二〇円ドリンクバー」

 ドリンクバーが好きなわけじゃなくて家庭の事情。アイスも良かったけど、母子家庭の私に一日五百円の出費はできない。

 それからまた樹生が数分悩んだ。悩みに悩んで結局ドリンクバーにした樹生と一緒にアイスコーヒーを注いできて飲む。

 私のはガムシロップマシマシ。ぷはー、おいしい。

 夏休み期間中のバイトで疲れきり、三十七度越えの猛暑でカラカラになった体に染み渡る。

 向かいを見ると樹生はミルクを入れるかどうかで迷っていた。またか。イラついた私は勝手にミルクを開けて注いでやった。

「うん。やっぱりミルクありがおいしい」

 文句を言わないところが樹生らしい。でもこんなことをしているから夫婦なんて呼ばれちゃうんだ。

 ストローでちゅうちゅう吸っている樹生をしげしげと眺めながら小さくため息をついた。

 ──何でこんな男を好きになっちゃったんだろう。

 出会いは小学三年生の時。親の離婚で引っ越ししてきた私がおどおどし過ぎていたせいでクラスメイトの誰も話しかけてくれない中、樹生だけが「僕で良かったら学校を案内してあげるよ」と言葉をかけてくれた。

 母子家庭で家の経済状態が悪いため色々と不自由だった私に対してクラスメイトが遠巻きに接してくる中、樹生だけはいつも普通に話してくれた。

 すぐに仲良くなった。その頃から樹生は優柔不断だったけれど、誰にも優しくて何でも受け入れてくれる、私にとっては家族みたいな、兄弟のような関係だった。

 それが夫婦と言われるゆえんだ。

 小学生も高学年になってくると、告白したりされたりしてカップルができてくる。転校してきた時は緊張でガチガチだったけど、元々は樹生の言うとおりガサツな、どちらかと言えば男っぽい性格をしているせいか、私はよく男子から告白された。

 まあ、九割ぐらいの確率で言われた「友達感覚で付き合いやすそうだから」に怒って断ったり、一割ぐらいの「すぐ触らせてくれそうだから」にはキックで返事をしてあげたけど。

 そんな変化がある中でも樹生は今まで通り接してくれて、変な理由で告白してきたヤツを冷静に分析して、一度なんかは無理矢理胸を触られそうになったのを助けてくれたこともあった。

 もうその頃から好きだったと思う。

 でも兄弟みたいな接し方は変えられなかったし、そこを曲げることで私と樹生の関係が壊れたり、ヒビが入ったりすることを恐れて──その状態に変化をつけることすらできなくなっていった。

 よくある幼なじみの恋。少女漫画で何度も読んだシチュエーション。悲恋になるパターン。

「はあー。涼んだねえ」

 あれから六年が経ってもう高校三年生になる。来年はどうなっているか分からない。

 進学なんて最初から諦めていた私は就職に絞って学校推薦の地元企業に面接を何個も入れ、最近ようやく内定をもらったばかりだった。

 でも肝心の樹生は何も決まっていない。このまま離れてしまうのかそれとも残ってくれるのか、それすらも分からない。

 イライライラ。

「……夏帆(かほ)、帰ってきてるのよ」

 私の言葉に、樹生がえっと声を出す。やっぱり反応したか。

「あれ? お父さんの都合で転校したんだよね? こっちが田舎じゃないし……どうして?」

「またこっちに転勤になったんじゃない? お父さん、公務員でしょ? あちこち異動するって聞いたから」

「そういうもんなんだ」

 何よのんきに。イラついたから言ってやる。

「……ラブレター、渡せてないんでしょ? 告白するんじゃなかったの?」

 樹生がギクッとした。そして私の目を見てくる。

「……何でそのこと知ってるの? あ、もしかして俺のベッドの下とか見ちゃった?」

「ベッドの下なんて服しか入ってなかったじゃない。今時エロは本じゃなくてスマホだろうし。そうじゃなくて……あの時のこと別の人から偶然聞いちゃったのよ。樹生が夏帆を呼び出してて、手紙持ってたって」

「ってことはベッドの下は見たんだ? エッチ!」

「そこかよ!」

 つい大声になってしまった。店中の人が私を見ている。

 恥ずかしくなって身を縮こませながら続けた。

「家は前と違うはず。ちなみに何で私が知ってるかって言うと、バイトからの帰りに偶然見たの。樹生の行ってる塾のすぐ近くの塾から出てくるとこを」

「へー……そうなんだ?」

「そうなの。で、どうするの? 告白するの? しないの?」

「どうかなあ?」

 また優柔不断が出た。でも分かったことがある。告白しないと言わないあたり、夏帆への恋心はまだ残っているらしい。

 あの時の告白は私に相談してくれなかった。クラスメイトの他の女の子を使って夏帆を呼び出してラブレターを渡そうとしていたらしい。

 でも結局渡さなかった。理由は知らない。きっと優柔不断だから迷ったんだと思う。それで渡せなかった。

 悔しかった。悲しかった。クラスメイトには夫婦なんてからかわれていたけれど、心の底では私と樹生は繋がっていて、いつか時期が来たらどちらかから自然と愛の告白があって正式な恋人同士になるものだと思っていたから。

 でもそんなのは夢幻(ゆめまぼろし)、私の勝手な妄想。

 夏帆は私より十倍は可愛いし、頭もいい。家だって共働きで裕福だし。実際に付き合っていた人もいたらしい。

 私なんてガサツだし頭も良くないし、家は貧乏で「簡単に触らせてくれそう」な見た目。

 告白未遂事件を知ったのは去年だった。そこで樹生のことを諦めようと決意したものの、気持ちは揺らぎまくり、結局居心地のいい関係を選んでしまった。

 このままズルズル行くのも嫌。でも壊れるのも嫌。そんな時に帰ってきた夏帆と会った。

 これが最後のチャンスなんだ。樹生も前に進めるし、私も私自身がかけた呪縛から解放される。

「どうかなあ……って。この時期に転校なんてあり得ないから、夏休みが終わっても元の高校に通ってるはず。連絡してこないのはきっと難しい事情があるとかなんでしょ。つまり学校じゃ会えないから、チャンスは塾の行き帰りだけなの。何を悩む必要があるわけ?」

「逆に聞くけど、同じ立場だったら由香は悩まないの?」

「……そりゃあ悩むけど。告白はすると思う。ケジメで」

「そっか。じゃあ告白しようかな」

「そんなんでいいの!?」

 また大声を出してしまった。みんなに見られる。気まずくなったので渋る樹生を引きずってファミレスを出た。

 そのまま違う話になってしまい、元の話題に戻すのも怖くなった私はそのまま樹生と別れ自宅に帰った。

 それからも頭の中は告白のことでいっぱい。

 夏帆は私の最大の理解者だった。私のこの虚勢を張る性格が、本当は人見知りで寂しがり屋で内気な女の子だからこそ、外に向かって攻撃的な言動をすることでバランスを取っていたのを見抜いていた。

 勉強もよく教えてもらったし、買い物にも付き合ってもらった。

 樹生も含めて三人でよく遊んだ。いつも一緒で、カラオケに行ったり海に行ったり、冬は親の付き添いではあったけれど、合宿と称してみんなで泊まりがけのスキー旅行にも行ったりもした。

 でも女同士だから二人きりになることもよくあって、その時の流れで樹生への気持ちを伝えたこともあった。

 もらったアドバイスは「時間が解決する」というふんわりしたものだけ。

 夏帆が引っ越しをすると聞いたときは本当に悲しくて号泣したのを覚えている。映画さながらに夏帆を乗せて発車する電車を追いかけたこともあった。

 その一番の親友に樹生が告白しようとしていたのを聞かされた時──私は裏切られた気持ちで一杯になった。

 正直なところ恨みもした。いなければ良かったのにと思うことさえあった。

 それが一周も二週も回って、ようやく受け入れられそうなところまで来た時──夏帆を見かけたの。

 声はかけていない。今ならひどいことを言いそうだったから。

 だからもう一度樹生に告白させて、それで付き合うのなら二人のことは綺麗さっぱり忘れられるし、失敗したとしても「やっぱり私以外の女の子が好き」な樹生を再認識して──私も先に進める。

 ベッドで横たわりながらウダウダとしていると、樹生からLINEが入った。

 「俺もバイトするよ」「どこで?」「今日行ったファミレス。高校生でも時給高かったから」「進路とか大丈夫なの?」「大丈夫だよ。まだ進路決めてないし」「そういう問題じゃねえ!」

 そこで会話が終わった。優柔不断なのにそういうところだけ即決するのが未だに分からない。

 翌日。バイトの目的を聞こうとしたけれど、会えなかった。

 いきなり採用されて働きだしたらしい。LINEで聞いたら「告白するから」とか返してきた。

 それってプレゼントもするってこと? 意味が分からない。貢ぎたいの?

 イライライラ。

 それから樹生には会えなかった。バイトは朝から晩まで入れているらしく働きっぱなしで、同じくバイトをしている私とはすれ違いっぱなし。

 塾はどうしたのか聞いたら「親と相談して辞めた」とか言ったので驚いた。

 いつもならそういう進退こそ悩みに悩むのに、すっぱり決めたのはどうして? ううん。樹生は本気なんだ。

 何か知らないけれど高価なプレゼントを買うつもりのはず。それを夏帆に渡すんだ。

 もうイライラはしなかった。ただ悲しい。樹生は本当に夏帆のことが好きだったんだと思い知らされた。

 でもこれで良かった。樹生のことを諦められる。

 ちょうどよく疎遠になったことだし、このまますっきりと離れられる。

 幼なじみとか家が隣同士じゃなくて良かった。顔を見ないで済むし。

 そう思いながら泣いた。涙ってこんなに出るんだ。私って樹生のことが本当に大好きだったんだ。

 そんなことを思っているとスマホが着信を知らせた。夏帆からだった。

 涙声なのを何とか隠しながら出てみる。久しぶり。元気してた? 実は夏休みの間だけこっちに帰ってきてるって言うか引っ越してて。え、そうなだったの!?

 わざとらしかったけど知らない振りをして話をしていると──想定内のセリフを言われた。

「さっきね、樹生からメッセあったの。明日会えないかって」

「え? そうなんだ……。見かけたのかな?」

「そう。塾が近かったみたい。何かかしこまった話らしいんだけど……由香ちゃん知ってる?」

「ううん。知らない。何だろうね?」

「そっか。それでさ、せっかくだから由香ちゃんも一緒に来て三人でお茶しない?」

「え……」

 そんなの絶対に行けない。樹生が他の女の子にラブレターを渡して告白するところなんて見たくないし、ましてや受け入れる夏帆も見たくない。

 受け入れられなかったとしても、そんな瞬間に立ち会いたくないの。

「い……いいよ。私はその時間にバイトあるし」

「そっか。それなら仕方ないよね。ごめん。いきなりで」

「ううん。いいの。久しぶりに夏帆の声聞けて嬉しかった」

「私も。……あ、一応言っておくね。明日の午後一時にいつも三人で行ってたファミレスで会うから、もし時間が会えば──」

「うん、分かった。じゃあね」

 急いで電話を切ってしまった。バイトなんて入ってないけど行けるわけない。

 そんなことできない。できないはずなのに。

 寝て起きた私は午後一時きっかりにファミレスにいた。

 いつだったか学校の演劇部でもらったウィッグと伊達メガネで変装して二人の様子が見られる席に陣取っていた。

 相変わらず樹生はいつも通り注文を迷っている。夏帆も以前と変わらない雰囲気だった。

 そして話をし始める。盛り上がっているのは遠目でも分かった。そして樹生が緊張していることも。

 見たくない。でも見ちゃう。私がいた時と同じ感じなのに、今はとても遠くて遙か昔の感覚。

 悔しい。悲しい。

 でもこれは私に対する罰なんだと受け入れることにした。自分から一歩も踏み出さなかった勇気のない私が受ける罰。樹生を手放してしまうことに行動を起こさなかった罪への罰。

 私が私を信じられなかったことへの罰。

 樹生がリュックからすっと何かを出した。手紙だった。ラブレターだ。

 そしてもう一つ出した。小さな四角い箱。あれって、もしかして──婚約指輪?

 嘘でしょ? いきなりそこまで!?

 私はいても立ってもいられずに立ち上がった。そして──行ってしまった。

「ま……待ちなさいよ!」

 樹生がきょとんと私を見上げる。夏帆は驚きもせず少し首を傾げただけ。

 いけない。変装を忘れていた。ウィッグを外して伊達メガネも取る。

「ゆ……由香? どうしてここに?」

「由香ちゃん? 来てくれたんだ! ……でもどうして変装なんかしてたの?」

 言い訳はできない。するつもりもない。

 私は樹生をすっと見つめた。

「夏帆から聞いたの。今日、ここで会うって。こ……告白するんでしょ? したの? まだ? 迷ってるの? どっちでもいい。見届けるから!」

 私なりの結論だった。抑えられない気持ちを鎮めるにはこれしかない。

 目の前で受け入れるしかないの。

「ま……マジか」

「そうみたい」

 夏帆が他人事みたいに頷いた。どういうこと? もう告白されたの?

 樹生が迷いに迷っていた。

「どうしてここ一番で悩むのよ! はっきしなさい!」

 ハッパをかける。そんなことされたら、可能性があるって思っちゃうじゃない。私が入り込める隙間があるって。

「わ……分かったよ」

 樹生が息を飲んだ。そして唇をきゅっと閉じる。

 こんな真面目な顔、見たことなかった。

 悔しい。寂しい。

「ずっと前から好きでした。け……結婚を前提に付き合ってください」

 やっぱり告白だった。そして樹生がすっとラブレターを差し出した。

 ──私に。

「こら。きちんと夏帆に渡しなさいよ」

「え?」

「うふふ」

「うふふ?」

 樹生がきょとん。夏帆は慈悲深そうに微笑んでいる。

 どういうこと?

「樹生くん、やり直し。きちんと名前をつけてもう一度」

「マジか」

「ほら、早く」

「分かったよ。あー……こほん」空咳をした樹生が私をきっと見つめた。「由香。ずっと前から好きでした。だから……結婚を前提に付き合ってください」

「え……あ、う、うん。はい」

 勢いで答えてしまった。

 夏帆がパチパチと拍手をしてくれる。するとドリンクとアイスを持ってきた店員さんもおめでとうと言ってくれた。

 それが伝染して隣の席のカップルも、手前の老夫婦もみんな拍手してくれた。

 え? 私? 今、私が交際を申し込まれたの? しかも結婚って?

 ほっとした樹生がケースを開けると、そこには綺麗な指輪があって、

「いいか? 由香」

「う、うん……?」

 私の左手の薬指を摘まんで、そこにすっとはめた。

 ……エンゲージリング!

 いきなりの事態に頭がパニックになって、顔が真っ赤になる。それはもう、店内が割れんばかりの拍手で埋まった。

 おめでとうの声が収まった頃、夏帆が水を持ってきて飲ませてくれると、樹生の隣に座らせてくれた。

「ど……どういうこと?」

 私が聞くと、樹生がキョドった。

「どういうこと? って……こういうことだけど……」

 私の左手薬指を指さす。

「それは分かってるんだけど、分からなくて……」

「やっぱりね」夏帆が苦笑いしながら頷いた。「だから言ったでしょ、樹生くん。由香ちゃんは勘違いしちゃうって。私から説明するね?」

「う、うん」

「樹生くんは由香ちゃんが好きだったの。私が一緒に遊んでいた時も。その後も。それは本人からも聞いてたし」

 え……そうだったんだ?

「待って。それじゃ夏帆は私のことも知ってたから──」

「そう。二人が片思い同士なのも知ってた。だから言ったでしょ? 時間が解決してくれるって」

 言ってた。それってそういう意味だったんだ!

 また顔がかーっと赤くなってしまう。

 見ると樹生も驚いていた。そっか。私も好きだったことを今初めて知ったんだ。

 あ。本人にバレたのか。

 今度は耳まで赤くなった。熱い。顔が、頭が熱い。

「で、でも……中学の時に夏帆にラブレターを渡そうとしてたのは何で?」

 夏帆が樹生を振り向いた。

「それは……樹生くんが言って」

 頷いた樹生が口を重たそうに開く。

「あの時も……由香への手紙だったんだ。でもいつも一緒だしきっかけが掴めなくて、言ったら言ったで冗談扱いされそうで悩んでたんだ。夏帆に相談しようとしたけど、いつも三人一緒だよね? だからわざわざクラスメイトに頼んで呼び出してもらって、二人きりで相談したかったんだ。この内容でいいかな? って」

「でも……夏帆には渡さなかったんでしょ?」

「あ、ああ……それは……その……」

 照れる樹生を見て夏帆がくすっと笑う。

「後で聞いて私も止めたの。だって中学生なのに結婚を前提に付き合いたい、俺が働くからって内容のラブレターだったのよ? 重たいも重たい、超重量級だったんだから」

 今のセリフを中学生の時に言おうとしてたんだ。それが重たいことに気づいて止めた。夏帆に見せることも。

「樹生くんはその時に考えたんだって。気持ちは変わらないけど、まだ自分は子供過ぎる。だから高校生まで待とうって」

 それはそうかもしれない。私だって子供だった。いきなりそんなことを言われたら動揺してイエスって言えなかったと思う。

「それが今日のタイミングだったんだ? でも……何で早く──その……好きだって言ってくれなかったの?」

 樹生が頭をかく。

「そりゃ……言いたかったよ。俺はいつも真剣だった。だから思い直したんだよ。将来も含めてきちんと実績のある状態で言いたいって」

 そしてまたリュックから一枚の紙を出して見せてくれた。

それは内定通知書だった。

「え? 樹生、就職するの?」

「結婚を前提にって言ったよね? 由香の家は母子家庭だしお母さんも働きづめで、そんな状態で結婚する俺が進学なんて考えられなかったんだ。特に勉強したいこともないしね」

 うちの家計を助けるために働いてくれる!

 それだけでもう充分だった。一気にのぼせてしまった私はくらっときてテーブルに頭ごとぶつけてしまった。

「お、おい! 大丈夫か!?」

「由香ちゃん、大丈夫!?」

 そのまま私は店員さんからもらった冷たいおしぼりで頭を冷やしていた。

 もちろん樹生の肩にもたれかって。今まで何度か肩を触ったり転びそうになって腕を握ったりしたことはあったけれど、こんなことは初めてだった。

 また顔が赤くなっていく。もうおしぼりもぬるい。

「う……嬉しい。ホントに嬉しい。でも……ごめん」

「ごめん?」

「あの……樹生が夏帆のこと好きだと思ってて、疑っちゃってて……私、嫉妬してた……」

 ほら。と夏帆が樹生を睨む。

「だから言ったの。私と噂になっちゃうから、って。個別に連絡取り合ったりしないでね、って言ってたのに」

「でも仕方なかったんだ。夏帆は由香の一番の理解者だよね? みすみす妙なことを言い出して由香に呆れられたり嫌われたりしたくなかったんだ」

 いつもぼんやりしていて優柔不断だった樹生。

 でも裏では私のことを心の底から考えてくれていて、私のために進学を諦めて就職を決めて、将来のことまで想定していてくれた。

 そうだ。進学が就職かを教えてくれなかったのも、就職だと知ったら私が根掘り葉掘り聞いてバレてしまうのを恐れたから。

 恥ずかしい。本当に自分が恥ずかしかった。

 二人の関係を疑って、勝手に盛り上がって泣いて、尾行するような真似までして。

「由香ちゃん、泣かないで」

 また涙が出てきた。夏帆が優しく頭をさすってくれる。

「う、うう……嬉しい。嬉しすぎてホントに自分が情けなくなっちゃって」

「そんなこと言わないで。世界一幸せじゃない」

「うん。だけど勝手に嫉妬して不貞腐れて……死にたい」

「え。せめて婚姻届に判を押してからにしてよ」

「そうする」

 樹生に頭を撫でられて喜びながらも泣いてしまう。

「そうよ。せめて結婚式の後にしてね? じゃないとブーケトス取れないでしょ? 次は私なんだから」

 そうだ。私は樹生と一緒に幸せになる。

 私も働いてお母さんに楽をさせる。そして夏帆も、他の友達にも幸せを分けてあげる。

 その先は──分からない。だけど樹生と一緒だったら大丈夫。

 何かあっても夏帆に相談しよう。一番好きな人と一番の親友がいるんだから。

「あ、そうだ」

 あれから泣きやんだ私はずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。

「樹生……いつから私のことを好きだったの?」

 知りたい。夏帆の前だけど聞きたい。

 躊躇するかな? そう思った瞬間。

「最初からだよ。出会った時から好きだった。あんなのは後にも先にも初めてだった」

 あの優柔不断な樹生が一瞬で選んでくれた。

 嬉しい。大好き。愛してる。

 くらっ。

 私はまたのぼせて──テーブルに突っ伏した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る