祝勝会と夏の夜

おちょぼ

第1話

「みんなグラス持った? それじゃ我ら山校水泳部の県大会出場を祝して……カンパーイ!」

 部長が音頭をとり、祝勝会の始まりを告げる。

 俺たちもそれに合わせてグラスを打ち鳴らした。

 甲高い音が心地よい。


 今日は本当にめでたい日だ。

 まさか俺たちのような弱小水泳部が県大会に出場できるなんて。

 毎日遅くまで練習していた甲斐があるというものだ。

 まあ俺は補欠にも成っていない雑魚なんだけど。

「ウイーッス。よっ、飲んでる?」

 今回の立役者でもある部長がグラス片手に上機嫌にからんできた。

 興奮によるものか、部長の顔はほんのりと明るんでいる。

「部長……いえ、まだ来たばっかりなので大して飲んでませんけど」

「チッチッチ。そんなんじゃイカンよォ君? ワシが若い頃は胃が弾けるまで飲んだもんよ」

「あの、部長。もしかして酔ってます?」

「ばっきゃろう。大の高校生がコーラで酔えるか。俺が酔ってるのはコレじゃねえ。この喜ばしい空気に、だよ」

 部長はそう言ってキメ顔を作った。

 そのままこちらの反応を伺うようにチラチラと見てくる。

 控えめに言ってうざい。

 ここはスルーして話題を変えるのが吉だな。

「そういえば部長、よくこんな店見つけられましたね。焼き肉食べ放題、二時間で千円でしたっけ? めちゃくちゃ破格じゃないですか」

「お、おう。まあな。たまたま道に迷……じゃなくて、天啓に導かれるように見知らぬ道を歩んでいたらな」

「へえーそうだったんですか。実は俺もこの辺にくるのは初めてなんですよね。中も綺麗だしホントに良い所ですよ」

「そうだろう、そうだろう」

「でもこんなに良い店なのになんで繁盛してないんですかね?」

 俺は店の中を見渡した。

 夕飯のかき入れ時だというのに俺たち以外の客の姿は見えず閑散としている。

 俺たちだけが世界から取り残されたかのようで、どことなく物寂しい。

「んーそれは、ほら、あれだよ」

 部長は周りを気にしてか軽く周囲を伺うと声を潜め、

「さっきの店員見たろ? あれが理由だろう」

「ああ、なるほど」

 俺はさきほどドリンクを運んできた店員のことを思い出した。

 声はボソボソとしていて聞き取りづらいし、動きにも覇気が感じられない。

 やる気がない、と言うよりは生気がないという感じで不気味だった。

 だがなによりも異様だったのは目元に刻まれた刺青だ。

 夜会用のアイマスクのようなその文様は鮮血のような紅で彩られ、病的に白い店員の肌に血の華が咲いたかのようだった。

 実際部員のほとんどはドン引きしていた。

 かくいう俺もその一人だ。

「ま、店員の見た目は味に関係無いしさ。今日は楽しく腹を満たしていってくれ!」

「はい、そうですね」

 部長は殊更に明るい声を出すと俺の背中をドンと叩いた。

 その勢いに思わず咽せそうになるがグッとこらえた。


 まあここは部長の言うとおり素直に楽しんだ方が良いだろう。

 折角のめでたい祝いの席なんだ。

 変に騒ぎたてて空気をぶち壊すわけにもいくまい。

「よし、じゃあ俺は女子のとこ行ってくるわ」 

 部長はそう言うとコーラの入ったグラスを持って女子の席に向かっていった。

「ウイーッス。そこのネーチャン達、俺とお茶しない?」

 ……やっぱりあの人酔ってるんじゃないだろうか。


「……お待たせ……ました。牛カルビ……人前です」

 やっと肉が来た。

 相変わらず不気味なうえに声の小さい店員だ。

 ことり、ことりと肉の盛られた皿をそれぞれのテーブルに置いていく。

 まあ部長の言うとおり店員はアレだが肉に罪はない。

 だが、その前に――

 俺は女子に追っ払われて軽く消沈している部長に耳打ちをした。

「すいません部長、ちょっとお花摘みに」

「おう。大きい方か? 小さい方か?」

「……お花摘みです。時間かかりそうなんで先に食べていてください」

 俺は肉を前に盛り上がる部員達の声を尻目に、席を立ってお手洗いに向かった。


 部長め。なんのために隠語を使ったと思っているんだ。

 デリカシーがないにも程がある。

 だから女子にモテないんだよなあ。

 俺がそんな憤りと共に個室で格闘している時だった。

 プルルル、プルルル


「くそっ、こんな時に電話か」

 正直腹痛でそれどころでは無いのだが無視するわけにもいかない。

 とりあえず発信者を確認しようとしてスマホを取り出し、画面に表示されている人の名前に固まった。

『冷泉院 静華』

「シズカ先輩……? どうしたんだろ、こんな時間に」

 シズカ先輩は一言でいえば変人だ。

 普段から何をしているのか良くわからず、掴み所のない人である。

 だが時折未来予知じみたことをしたり、核心を突くようなことを言ったりと、なかなか油断ならない人でもある。

 俺自身、シズカ先輩には何度も助けられている。

 まさか今回もそのような案件なのだろうか。

 俺は今までシズカ先輩に助けられてきた数々の事件を思い返し、身震いしながら電話にでた。

「は、はい。もしもし」

『君か。今どこで何をしている』

 詰問するかのようなシズカ先輩の声。

 知らず、一筋の冷や汗が滑り落ちた。

「何って……水泳部のみんなと焼き肉屋で祝勝会を」

『ふむ。では急いでその店を出ろ。可能なら、水泳部の面々も連れて』

「えっ。ど、どうしてですか? 何が起きてるんですか?」

『わからない。ただ何かが起きているのは間違いない。それが、良くない何かである、ということもな』

 俺の背筋に冷たいものが走る。

 シズカ先輩がこう言って外れたことは無い。

 俺にはわからない何か……超常的な何かが、今まさに俺の身に起こっているのだ。

「わかりました。みんなを連れて可能な限り早く脱出します」

『フフッ。私の話をこんなに素直に聞いてくれるのは君ぐらいのものだよ。無事に出られたら一先ず私の家に避難するといい。水泳部の二十人ぐらい入るだろう』

「はい、何から何までありがとうございます。それでは」

『ああ、健闘を祈る』

 ブツリ、通話が切れる。

「ヤバイな……早くみんなに知らせないと」

 だが一体どうやって説明する?

 水泳部の人達はシズカ先輩のことも、シズカ先輩の持つ特殊な能力も知らない。

 俺は今までに何度もシズカ先輩の特異性を目の当たりにしているから納得したが他の人はそうもいかないだろう。

 どうする、どうする、どうする……っ!

 いや悩むのは後だ。

 今はとにかくみんなに危険があるということを伝えなければ。

 理由を考えるのは後でもいい。

 俺が必死に訴えかければ異常を察して、とりあえずは動いてくれるだろう。

 俺は考えを纏めると蹴破るようにしてトイレを出た。

 

「みんな!大変なんです。今すぐココを出て……みんな?」

 

 テーブルに戻り大声を上げる。

 だがすぐに違和感に気づいた。

 

「ちょっと……? どうしたんですか、みんな」

 

 先程まであんなに騒ぎ立てていた水泳部はみな一様に押し黙り俯いている。

 こんなにも人が集まっているのに物音一つ聞こえない。

 まるで通夜のように重苦しい空気に息が詰まりそうだ。

 

 俺は一番近くにいた部長の肩を揺すった。

「あ、あの部長。どうしちゃったんで……っ!」

 その瞬間、グリンと壊れたオモチャのような勢いで部長の顔がコチラを向いた。

 普段のおちゃらけた部長の表情からは想像もつかない、能面のような無表情。

 だが何より異常性を際立たせるのは目元を彩る文様だ。

 夜会用のアイマスクのように、血の如き紅で目元に刻まれた刺青。

 まるでココの店員のような……。

 

「いらっしゃ……ませ。ごちゅ……もん、どうぞ」

 

 突如背後から聞こえた声。

 慌てて振り返るとそこには件の店員が立っていた。

 思わず身構える。

 

 ガタン。ガタガタ、ガタン。

 

 複数人が立ち上がる音。

 店員から意識を外さないまま後ろを伺うと、水泳部のみんなが立ち上がっていた。

 見慣れた顔に、見慣れない文様。

 数え切れない瞳が俺を捉え続けている。

 

「くっ……そ!」

 

 俺は悪態をついて駆け出した。

 生気の感じられない、棒立ちの店員の横をすり抜けて出口へと走る。

 

 ゴメンみんな。

 手遅れだった。

 ゴメン……ゴメン……っ!

 

 見知らぬ夜の街をかける。

 どこをどう進めばいいのかもわからない。

 だが立ち止まってもいられない。

 俺は恐ろしい何かから逃げるために、当てもなく走り続けた。

 

「うわっ」

 

 不意に物陰から人が飛び出てくる。

 紅いアイマスクの刺青を入れた人。

 その腕が蛇のように俺に迫る。

「くっ」

 転びそうになるほど屈み、辛うじてその腕を避ける。

 危なかった。

 今のは捕まってもおかしくなかった。

 捕まったらどうなってしまうのか……想像するのも恐ろしい。

 

 ふと周りを見る。

 ……いる。いるんだ。

 ドアの隙間、植え込みの陰、電柱の後ろ……。

 あらゆる所から俺を見つめる瞳が見える。

 怖い、怖い怖い怖いっ!

 なんだよ、何なんだよコレ!

 俺が何したっていうんだよ!

 

 気が狂いそうな恐怖に、俺は無我夢中で走り続けた。

 

 どこをどう走ったのかは覚えていない。

 ただ気づけば見覚えのある通りに出ていた。

 よかった。

 ここまで来ればシズカ先輩の家もすぐそこだ。

 周りを見ても、もうあの不気味な刺青の集団は見当たらなくなっている。

 だがいつ追いつかれるとも限らない。

 早くシズカ先輩の家に逃げ込まないと。

 

 シズカ先輩の家に着いた。

 シズカ先輩の家は豪邸だ。

 俺の家が四つは入りそうな家に一人で住んでいる。

 こういう所も謎が深い人だ。

 ドアノブに手をかける。

 だがガチリと何かの引っかかるような感触が返ってきた。

 鍵かかってるのかよ!

「シズカ先輩!俺です!早く開けてください!」

 インターホンを連打しながら叫ぶ。

 近所迷惑になるかもと思ったが気にしていられなかった。

 今は何よりも早くシズカ先輩に会って安心したい。

 必死に呼びかけていると、ドアの磨りガラス越しに人影が見えた。

 よかった。気づいてくれたんだ。

 ほっ、と胸をなで下ろす。

 ああ、でもどうしよう。

 水泳部のみんなはどうなってしまったんだろうか。

 あの状態から助けられるのか?

 それにあの刺青はなんなんだ?

 やっぱりあの焼き肉屋が原因なのか?

 それからそれから……


 プルルルッ! 

 プルルルッ!


 突如響き渡った受信音。

 驚きで思わず体がのけぞる。

 まったく、いったい誰だよ。こんなときに。

 八つ当たりだと分かっていても苛立つのは抑えられない。

 一言文句を言ってやろうと画面も見ずに電話に出た。

「はいっ! もしもしっ!」

『君か!? 何をしている! 今すぐそこを離れるんだ!』

「えっ……?」

 この声は――

「シズカ……先輩?」

 切羽詰まった様子のシズカ先輩の声に頭が真っ白になる。

 どうしてシズカ先輩が慌てているんだ?

 もう俺はシズカ先輩の家の前にいて。

 ドア一枚隔てた向こうにはシズカ先輩もいるのに。

『早くしろっ! まだそこは皿の上だ!』

 その言葉がどういう意味か、聞き返す暇もなかった。


 がちゃり


 ドアが開かれ、中から伸びてきた黒い腕が俺の肩を掴む。

 中から押し寄せるのは異様なほどの生臭さと、吐き気を催すほどの熱気。

 そして闇の中に潜むナニカの視線。

 正体不明のナニカが口を開いた。

「いら……ませ。……もん、ど……ぞ」

 辛うじて聞きとれる、耳障りな音を最後に。

 俺の意識は――

 ピロリン


 耳障りな電子音が聞こえる。

 気づけば俺は自室のベッドにその身を横たえていた。

 蒸し蒸しとした空気が鬱陶しい。

「はっ、はっ、はっ」

 息が荒くなるのを止められない。

 いまだ心臓はバクバクと早鐘を打ち、体は恐怖におののいている。


 ピロリン


 枕元に置いてあるスマホから再び電子音が鳴った。

 水泳部のグループラインの通知のようだ。

 確認してみると、今日の祝勝会の予定を部長がおさらいしていた。

 相変わらず変な所でマメな人だ。

 俺は少し悩んだ後、体調不良で休むことを告げて気怠げにスマホを投げ出した。


 ひどい、夢だった。

 夢の内容は脳裏に鮮明に焼き付いている。

 覚えていてほしいことは直ぐに忘れるくせに、どうしてこういうことばかり覚えているんだか。

「はあ」

 俺は一つため息をつくと体を起こした。

 こうしていても仕方がない。

 とりあえず顔でも洗ってこよう。

 その後、シズカ先輩に愚痴でも聞いてもらえば少しは気分も晴れるだろう。


 洗面所に行き、顔を洗う。

 冷たい水に気が引き締まるのを感じる。

 タオルで顔を拭き、鏡を見た。

「ん?」

 一瞬、鏡の中を黒いナニカが横切った気がして振り返る。

 だがそこには何もいない。

 いつも通りの部屋があるだけだ。

 気のせいかと思い直し正面の鏡に向き直る。

「っ!?」

 呼吸が止まった。

 鏡に映る自分の顔に奇妙な刺青が刻まれている。

 それは、血のように紅い、アイマスクのような文様で……。

「え、あ……?」

 驚き、数歩後ずさる。


 ガタン

「痛っ」

 下がった拍子に何かを踏みつけ転んでしまった。

 起き上がり、もう一度鏡を見ると今度は何の変哲も無い自分の顔が写った。

 何だったんだ、今のは……。

 いや、見間違いに決まっている。

 変な夢を見たから、頭が寝ぼけているんだ。

 俺はそう結論づけると洗面所を出た。


 ただ、辺りには生臭い臭いと異様な熱気が立ちこめていた。

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祝勝会と夏の夜 おちょぼ @otyobo

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