そしてヒイロは大人になった

おちょぼ

大人になるってなんなんだろうな?

「少年! 君はヒーローの素質があるぽよ! ボクと一緒に世界を救うぽよ!」


 ネズミとウサギの間の子みたいな謎生物が話しかけてきた時は、夢を見ているのかと思った。だが当時十歳ばかりの俺は単純かつバカであり、あまり深く考えることもなく。『ヒーロー』という胸踊る単語につられて頷いていた。その日から俺、赤井緋色は世界を救うヒーロー『サイキックレッド』となった。


「オレの名前は『サイキックレッド』! みんなを困らせるカイブツめ! 赤きセイギをお前にくだす! くらえ!」


「『サイキックレッド』が来てくれたぞ!」

「よかった。これで助かるのね」

「『サイキックレッド』がんばえ! わるいヤツらをやっつけろぉ!」


 黄色い声援が俺を包んだ。

 それだけで俺はがんばれた。皆に応援されるのは気持ちよかったし、自分が正しいことをしているというのは自信にもなった。きっと未来は、明るく希望に満ちたものだと、漫然と信じていた。


 今の俺は、あの時描いた未来の通りに生きているのだろうか?



「おい聞いてんのか赤井ィ!!」

「はい部長。 申し訳ございません」


 ぼうっと曇り空を眺めていた俺の意識を、しゃがれた怒声が引き戻した。


「申し訳ございませんじゃねぇぞ! 赤べこみてぇにペコペコしやがってよォ! 頭下げてれば済むとでも思ってんのかァ!?」

「いえ。そんなことは」


もちろん思っている。

このブチ切れている男はただ部下を叱りつけてストレス発散がしたいだけなのだ。自分はロクに仕事もしない癖に、部下の細かなミスを目ざとく見つけては殊更に叱りつける。今日は不運にも、それが俺に当たってしまっただけ。


「おめェがそういう態度とってるとよォ、社内全体の士気が下がるってのがわかんねぇのかァ?」

(お前が一番士気下げる原因だろ。老害が)


部長は、昔は仕事が出来たらしいが、機械に弱いとかいう現代では致命的な弱点をかかえている。

仕事は出来ないくせに、年功序列とかいう前時代のシステムにより部長という地位にしがみついている男。まさに老害だ。お前がいなくなってくれた方が皆喜ぶぞ。


「────!! ──。──────!!」

(ヒイロ、ヒイロ。聞こえるぽよか?)


 部長の鳴き声を聞き流しつつ、部長のストレス発散が終わるのを待っていると、俺の脳内に直接響く声があった。俺の相棒の、ネズミとウサギの間の子、ミサのテレパシーだ。


(どうした、ミサ)

(怪人が現れたぽよ。今出れるぽよか?)

(ああ、少し立て込んでいるが問題ない。場所は?)

(チグサキ市四丁目のショピングモールぽよ)

(了解。すぐに向かう)


「そもそも俺がおめェぐらい若い頃はもっとハングリーにやってたモンだぞ! それが今の若もんときたらよォ!」


俺がミサとのテレパシーを切ると、部長の説教は『今時の若もん攻撃』になっていた。老害である部長にとって若さというのが妬ましいのだろう。この話に入ると、ここから一時間は拘束される。さすがにそんなのはゴメンなので、俺も奥の手を使う。


「うっ……」


貧血を起こしたかのように俺は床に倒れ込んだ。突然の事に社内の視線が俺に集まる。その瞬間、俺は社内の人間に向けてテレパシーを送った。


(パワハラ……裁判……解雇……)


ビクリ、と部長の肩が震える。周りの目も(とうとうやりやがったコイツ)みたいな視線になり、部長も目に見えて狼狽えだした。


「ふ、ふん。軟弱者が。これだから若い奴は根性がねぇな。もういい、行け!」

「は、はい。ありがとう、ございます」


 ふらふらと生まれたての小鹿のような頼りなさで立ち上がると、俺はトイレに向かって歩いていく。周囲の心配そうな視線が突き刺さるが、無視して向かう。

 男子トイレの個室に入りカギを閉めると、俺はようやく一息ついた。まったく、社会人になると抜け出すのにも一苦労だ。


「──変身」


 俺の体が光に包まれる。数瞬後、そこには赤いコスチュームに身を包んだヒーロー『サイキックレッド』がいた。フルフェイス型のヘルメットで顔を隠し、紅蓮のマントをなびかせる、理想的なヒーローだ。


「テレポート」


 一瞬視界が暗転した後、次の瞬間には俺はショッピングモールにいた。まず俺の耳に入ったのは悲鳴。ここのどこかで怪人が暴れているのだから当然だ。


「そこか」


 俺はテレパシーで周囲の人の心を読むと、怪人が暴れていると思われる場所へテレポートした。


「くげははは! 金だ、 金をよこすゼニ! 」

「キャーー! 助けてーー!」


 見れば、がま口財布に手足と目が生えた、ゆるキャラのような怪人が暴れていた。少しコミカルな見た目だが、やっていることは紛うことなき強盗だ。


「悪事はそこまでだ! 」

「あぁ? 」

「俺の名は『サイキックレッド』! 悪事を働く怪人め、覚悟しろ!」

「ちっ、ヒーローゼニか。思ったより速かったゼニ」


 まずは大声で名乗りをあげて怪人の注目を集める。その間に念動力やテレポートで一般人を怪人から避難させた。


「それなら仕方ないゼニ。とっととトンズラこくゼニ」

「──逃がすと思うか?」

「お前こそ、捕まえられるとでも思ってるゼニか?」

「何を言って……ぐっ」


 右ふくらはぎに抉るような痛みを感じ、思わず膝をつく。何事かとそちらを見ると、血まみれの五百円玉に手足が生えて歩いている。即座に念動力で弾き飛ばすとチャリンと転がり動かなくなった。


「なんだ、こいつ……」

「じゃあ眷族ども、後は任せるゼニ」

「ま、待て!」


 慌てて後を追おうとした俺の鼻先を五百円玉が掠める。避けた、と思った次の瞬間、左腕に激痛が走る。


チャリン、チャリンチャリン、チャリン


 周囲の至る所から小銭の転がる音が聞こえる。いる。カウンターの影に、瓦礫の裏に、エスカレーターの上に。あらゆる所から五百円玉がこちらを伺っている。

 これがあのガマ口財布怪人の眷族。五百円玉に命を宿し操るみたいな能力か。くそ、こんな奴らに手間取っていたら肝心の怪人に逃げられてしまう。だがいかんせん五百円玉が多い。不用意に追えば後ろから五百円玉に貫かれてしまうだろう。


「く、くそ」

「カネ、カネカネカネカネ!」


 仕方なく五百円玉を各個撃破する。しかしその隙にがま口財布怪人はどんどん逃げてしまっている。がま口財布怪人の不快な笑い声が響き、余計に俺を焦らせた。


「くそ、くそ、くっそぉぉぉおおお!」

「吠えてる暇があったら、手を動かしたらどうですか?」

「え?」


 ひゅん、と風を切る音が耳を掠める。その先に目をやると、五百円玉が一筋の矢に貫かれて床に縫い止められていた。


「これは……」

「標的補足完了。そこの赤い人、怪我したくなければ動かないでください」


 冷たい印象のその声に従い動きを止める。そこから一拍おいて、矢の雨が降り注いだ。視界が土埃で埋まるが、それが晴れたとき、周囲に動くものはいなくなっていた。


「す、すごい」

「こちらジャック。怪人の眷族の殲滅が完了した。眷族に襲撃されていた負傷者を発見したため保護する。オーバー」


 どこかと通信しながら現れたのは十五、六歳くらいの弓を携えた青髪の少女だった。簡素だがメタリックな装備に身を包み、整った相貌はどこか冷たさすら感じさせる。


「君が助けてくれたのか」

「はい。さあここはまだ危険です。こちらへ」

「いや、まだだ。まだ怪人の本体が逃げたままなんだ。先にそいつを倒さないと次の被害が」

「その怪人って奴ぁコイツか?」

「え?」


 ドサリ、と目の前に落ちてきたのは先程のがま口財布怪人だ。だがその姿は先程とはうって変わり全身傷だらけであり、四肢を太いワイヤーのようなもので縛られている。


「こ、これは」

「あんた、こんなのに手こずってたのかい? だったら才能ないから死ぬ前に引退した方がいいぜ」

「なっ」


 ストンと軽い音をたてて、赤髪の少年が降り立つ。青髪の少女と似た装備に身を包んでいることから、恐らくチームだろう。こちらは槍を右手に構えている。


「エース、さすがに失礼」

「おいおい、でも事実だろ」

「……言っておくが、俺が来た時には一般人が怪人に襲われていた。彼らの救出を優先した結果だ」


 俺が怒りを滲ませながら反論すると、少年と少女は顔を見合わせて呆れた顔をした。


「あんたさあ、それマジで言ってるの? 一般人の救出と怪人の討伐を両立するのはヒーローとして当たり前だろ」

「ええ、それができないなら大人しく自分が力不足であると認めて、別のヒーローに任せるべきです」

「っ! そんなこと、その場にいなければどうとでも言える! 俺はこう見えても十年以上のキャリアがあるんだ。あの場ではああするのが最善だった!」


 なんなんだ、このガキ共は。俺だってちゃんと考えて必死にやったんだ。それなのに好き放題いいやがって。

だが俺のそんな思いをこめた叫びも、少年少女は冷たい視線で返す。


「お言葉ですが、私たちは怪人を一般人から安全に引き離して討伐する手筈を整えていました。誰かさんが余計な横槍を入れなければ、一分後には全て処理できる状態だったのですよ」

「そーそー。俺たちゃチームだからな。その辺連携とればラクしょーよ。そうやって自分の基準でしか物事測れずに周りに迷惑かける奴のこと何て言うんだっけか。えーと……」


 やめろ、それ以上言うな。

 俺の中の何かが危険信号を発する。

 その言葉を聞いてはならない、それを聞いたら俺は。だが、俺のそんな心情などつゆ知らず、少年は口を開く。開いてしまう。


「ああ、思い出した、あんたみたいな奴の事を──」


 その時、辺りに響いた爆発音が少年の言葉をかき消した。即座に臨戦態勢に入る二人。


「管制塔、こちらジャック。地点C4でエースとともに負傷者救助を行っていた所、爆発音が聞こえた。何か情報は掴んでいるか。オーバー」


どこかと連絡を取り合う二人、やがて通信を切ると、


「申し訳ありませんが、私たちは次の現場に急行しなければいけません。負傷者を残すのは忍びないのですが」

「ダイジョーブだって。なんせコイツは『ヒーロー』らしいからなぁ。自分のことぐらい自分でできるだろ」

「それもそうですね。では」

「じゃーな、自称ヒーローのおっさん。死なないように頑張りな」


 少年少女が爆発の場所に向かうと、ショッピングモールは静かになった。遠くの方から悲鳴が聞こえてくる。きっとさっきの爆発のせいだろう。本来なら俺も向かわなくてはいけない。だが、俺はその悲鳴を他人事のように聞いていた。


『あんたみたいな奴のことを──』


 その言葉が頭の中で反響している。彼が何を言いたかったのか、何故かそれだけが気がかりだった。



「ただいま」

「……ん、おかえりぽよ」

「寝てたのか?」

「うん、少しうたた寝してたぽよ」


 時刻は夜十時。自分のアパートに帰った俺はスーツ姿のままベッドに倒れ込んだ。


「お疲れのようぽよな」

「ああ、それなりには」


 怪人と戦うという重労働の後にも会社の仕事は残っている。傷自体は超能力で治せるが、疲労までは治せない。疲弊した体で何とか仕事を終えて家についた時には満身創痍だ。このまま寝てしまいたい欲が湧き出る。だからといって何も食べずに寝たら疲れが取れない。俺は閉じようとする目蓋をこじ開けると、カップ麺を食べるためにお湯を沸かしに行った。お湯が沸くのを待つ時間でミサのご飯も用意する。


「ほら、マシュマロだ」

「おお、ありがとうぽよ」


 ハムスター用のゲージに入ったネズミとウサギの間の子のような生物、ミサにマシュマロを渡す。コイツは主食がマシュマロとかいうゆめかわいい生物だ。その生態は俺もよく理解はしていない。

 ミサがマシュマロをかじるのを見ながら、手持ち無沙汰になった俺はテレビをつけた。


『またもやあのヒーロー達がお手柄です。本日カナグワ県チグサキ市で起きた二件の怪人による強盗事件を、今話題のヒーローチーム『トランプルキングダム』が解決しました』


テレビではショッピングモールで会ったあの二人の少年と少女が炎上するビルから負傷者を救助する様子が映っている。その後、画面はインタビューへと切り替わった。


『ジャックさん。今日はお手柄でしたね』

『はい。とはいえ、これはヒーローとして当然の責務を果たしただけです。感謝は受け取りますが、過剰に持て囃す必要もありません』

『まだ年若いのに謙虚な姿勢も素晴らしいです。それもまた『新世代のヒーロー』としての心構えということでしょうか』


「これはボクが教えた事件の後の事件ぽよね」

「……ああ」

「ヒイロ、君はこの事件が起きた事も知っていたはずぽよ。どうして行かなかったぽよ?」

「……俺は負傷していたからな。それにあの場にはこの二人のヒーローが既にいた。俺が無理して行く必要は無いと判断した」

「そう、ぽよか」


 なぜか後ろめたい事をしたような気分になる。別に俺は合理的に判断しただけだ。その判断は間違っているとは思えない。だと言うのに沈黙は針のように俺の心を苛んだ。


「ほら、それよりもっとマシュマロ食え。もうすぐ賞味期限切れるんだから、もっと消費してくれよ」

「ごめんぽよ。もうお腹いっぱいぽよ」

「まだ一個しか食べてないじゃないか。何かつまみ食いでもしたのか?」

「まあ、そんなところぽよ」

「ふーん?」


 俺は少し首を傾げながらも大人しくマシュマロを戸棚にしまった。その間にミサはゴソゴソと寝床に入る。


「寝るのか?」

「そうぽよ」

「お前、さっきも寝てたって言ってたよな。ちょっと寝すぎじゃないか?」

「そんなことないぽよ。睡眠は大事ぽよ。ボクは来たるべき戦いのために力を蓄えているんだぽよ。ヒイロも早く寝た方がいいぽよ」

「へいへい」


 お母さん、いや、どちらかというとお婆ちゃんみたいな事を言う。まあ実際体は一刻も早い睡眠を欲している。俺はさっとシャワーを浴びると、寝床に入った。


「……」


『あんたみたいな奴のことを──』


目を瞑り、ぼうっとしていると昼の出来事が頭によぎった。あの時、少年が何を言おうとしていたのか。どうしても気になる。考えないようにしようとしても、一度湧いた思考はヘドロのようにまとわりついてきた。

 ヒーローというのは良くも悪くも目立つ。その中で批判を受けたことも一度や二度ではない。それなのに、どうして今日の事はこんなにも気にかかるんだろうか。



 今から十五年ほど前、世界に不可思議な力を使って悪事を働く怪物が現れた。警察や機動隊だけではそれらに対抗しきれず、治安は悪化の一途をたどっていた。

 しかし、それから程なくして、超常の力を使い怪物を退治するヒーローが現れだした。魔法、超能力、使い魔……、ヒーローは多種多様な力を持ち、人々の希望となった。俺もまた、そんなヒーローのうちの一人だ。


「おい赤井ィ! テメェ何度言ったらわかんだァ!? 学習能力ゼロか、あぁん!?」

「はい申し訳ありません」


 そんな俺がなぜヒーローのコスチュームではなくスーツを見に纏い、企業戦士などしているのか。それは生きていくのには金がかかるからだ。

 そもそもヒーローというのは慈善事業だ。人を助けても金は貰えない、腹も膨れない。それならば日頃の食い扶持は自分で稼ぐ必要がある。

 国か何かが支援してくれればいいのに、と思ったことはあるが、この問題はヒーロー側にもある。ヒーローというのは基本的に秘密主義なのだ。ヒーローだって普段は普通の人として暮らしている。それなのにヒーローである事がバレれば、暗殺されたり、人質をとって脅迫されたりといったリスクが高まる。それならば正体不明のヒーローとして活動した方がマシだ。


 だが最近のヒーロー、いわゆる『新世代のヒーロー』はそうではない。


 俺は部長に機械的に頭を下げながら、机の隅に置いてある新聞の記事を見た。そこには『トランプルキングダム』所属のヒーロー、エースが『良い笑顔』でポーズを取っている写真が載っている。『良い笑顔』、つまり顔出しだ。

 顔を出せばプライベートが割れる。それはヒーローが最も恐れるべき事だ。だが『新世代のヒーロー』はむしろ積極的に自分達を喧伝している。


 俺に言わせれば自分がヒーローである事を喧伝するなど愚の骨頂だ。それは自分だけでなく、自らに近しい人にも危険が及ぶかもしれない危険な行為である。自分達がチヤホヤされるためだけにやっているとしか思えない、軽率な行いだ。


 だが世間にとってはそうでは無いらしい。野菜に生産者の顔写真が乗る時代だ。顔が見える、というのは人間にとって安心することのようで、『新世代のヒーロー』はあっという間に人気を集めた。それに下世話なことだが、『新世代のヒーロー』は皆、顔がいい。既にいくつかの有名なヒーローチームにはファンクラブができ、アイドルのようになってきている。ヒーローはアイドルではない。別に嫉妬とかしているわけではないが、そういう所も俺が気に入らない所だ。



「ったく。あの部長め。長々と説教垂れやがって」

「災難だったな赤井」


 昼休憩の時間、喫煙所で俺は同期の青山に愚痴っていた。サラリーマンというのはどうにもストレスが溜まる。適度に吐き出さないとやっていられない。


「そもそもアレは部長が直前になって変更だとか言い出したせいじゃねぇか」

「まったくだ。やるのは俺達下のもんなのに安請け合いしてな。困ったもんだ」


 社会にはどうにも理不尽が多い。俺は白煙を吹き出すと、残りを灰皿にグリグリと押し付けた。


「はぁ、とっとと辞めてくんねぇかな、あの老害」

「おい赤井」

「でも青山もそう思うだろ? 新しい事覚えようともしない。古い上に効率の悪い事に拘って、しかも周りに強要する。あんなのが上にいたんじゃ良くなるもんもならねぇよ。まさに旧態依然を体現したような奴だよ。あの老害は」

「赤井!」

「なんだよ。そんな大声だすなよ、って……やべ」


 喫煙所の入口、目をやると、そこには今話題の部長が立っていた。その顔は伏せられており、伺い知ることはできない。だが、怒っていることは想像に難くなかった。


「なあ赤井」

「は、はい」


 本日二度目の説教タイムか。俺は心の中で身構えた。


「本当の事を聞かせろ。──俺は本当に老害だと思うか?」

「そ、それは」


 これはどう答えたものか。この様子では既に俺の愚痴は一二〇%聞かれているだろう。それなのに今更「さっきのは全部ウソですよ〜ん。てへ」とか言っても信憑性ゼロだ。

 だったらいっその事、素直に認めた方がいいのでは?


「はい。俺は部長のことを老害だと思っています」

「っ」


 青山が(死んだわコイツ)と言いたげな目でこちらを見る。だが俺としては長い事思っていた事を直接言えてスッキリしている。この気持ちを味わえるなら部長の説教の一つや二つ我慢してもいいと思っているぐらいだ。


「……そうか」


 だが部長は予想に反し、それだけを言うと踵を返し、どこかに言ってしまった。拍子抜けと言えば拍子抜けで、俺は思わず青山と顔を見合わせてしまう。


「なんだったんだ? 今の」

「さあ? 怒りすぎて逆に冷静になった、みたいな?」

「うーん。そういう感じにも見えなかったけどな」

「まああの部長のことだ。何かしらの報復はあるだろうからな、覚悟しといたほうがいいぞ」

「うええ」


 だが青山の予想に反し、昼休憩後も部長は気味が悪いほど大人しかった。



「ただいま」


 家に帰り明かりをつける。いつもと変わらない家の中。だがいつもと違うのは、俺の言葉に対して返ってくる言葉がない事だ。


「ミサ? 寝ているのか?」

「ん、んん。ああ、おかえり、ぽよ」

「ただいま。起こして悪かったな」

「いや大丈夫ぽよ」


 ミサは目を開けたが、寝床から動かずにその場で寝そべったままだ。俺は戸棚からマシュマロを取り出すとミサに渡す。


「ありがとうぽよ」


 ミサがマシュマロを食べるのを眺める。眺めながら考えるのは今日の部長のことだ。


『……そうか』


 あの部長の憔悴したような背中がどうにも忘れられない。どうして今更あんなにショックをうけるのだろうか。まさか自分で気づいていなかったのか?


「なあミサ。自分の老いを突きつけられるのってどんな気持ちなんだろう」

「突然どうしたぽよ」

「いや……何て言ったらいいか」


 この自分の中にある感情をどう説明すればいいのかがわからない。上手く言葉にできないのだ。


「人は自分の老いには鈍感ぽよ。自分はまだ若い、まだやれるってずっと思ってるぽよ。実際にはもうやれないのにぽよ」


 ミサがテレビの方に視線を向けると、ひとりでにテレビがつく。超能力を使ってつけたのだろう。

 テレビでは高齢者の運転する車が幼稚園児の列に突っ込んだというニュースがやっていた。専門家を名乗るオッサンが高齢者の運転免許返納について声高に主張している。


「年老いたからその事に気づけないのか、それとも気づかないフリをしているのか、それはわからないぽよ。でもヒイロ、君にもわかるんじゃないかぽよ」

「何を、言って」

「気づくヒントはたくさんあったぽよ。ヒイロ、君は本当に気づいてないのか、それとも気付かないフリをしているのか、どっちぽよ?」

「……」


 じっとコチラを見据えるミサ。その小さな体に、底知れない圧を感じる。


「全部、お見通し、か」

「当たり前ぽよ。何年一緒にいると思ってるぽよ」


 いつからだろうか。怪物との戦いで力不足を感じるようになったのは。新しいヒーローのやり方を受け入れられなくなったのは。『昔の方が良かった』と思うようになったのは。


『あんたみたいな奴のことを──』


 あの時、エースが言いたかった事も、本当は分かっていた。分かっていたのに、わからないフリをしていたのだ。


『あんたみたいな奴のことを老害って言うんだろうな』


 俺は自分のことをまだヒーローとして、現役でやれると思っている。だが周りからしたらそうではないんだろう。


『……そうか』


 今ならあの時の憔悴した様子の部長の気持ちもわかる。部長も自分ではまだ若いと、まだ現役だと思っていたんだ。だが実際は、時代の流れに取り残されている。


「俺は、どうすればいいんだろうな」

「さて、それは自分で考えた方がいいぽよ。自らの至らなさを知れば、その先は自分で切り開けるハズぽよ。それともヒイロは下の世話まで必要なおじいちゃんぽよか?」

「……いや、大丈夫だ。ありがとう」


 俺が頭を下げるとミサは満足そうに頷き、寝床に潜っていった。本当にミサには頭が上がらない。


 ヒーローとして、この新しく変わり続ける世界に何ができるか。道は見えた。なら後は変えるだけだ。

 俺はもう大人なんだから。



「こんなもんか」


 俺は手作りの看板を扉の横に立てかけた。少し不格好ではあるがDIYにしてはよくできた方じゃないだろうか。


『ヒーロー支援協会』


 ヒーローが抱える問題として秘密主義により、支援を受けにくいというものがあった。それを解消するための団体がこれだ。俺ならヒーローとして多少の伝はあるし、ある程度の信用もある。それにテレパシーやテレポートを使えばヒーローの秘密主義も守れるだろう。

 何も怪人と直接戦うだけがヒーローではない。俺には俺の、大人には大人としてのやり方があるのだ。


「さて、やる事はたくさんあるぞ」


 空を見上げる。空はどこまでも吸い込まれそうな青だ。俺は眩しさに目を細めると、俺の戦場へと飛び立った。

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