その日、僕は駅のホームから飛び降りた。
翡翠詩織(かわせみ しおり)
その日、僕は駅のホームから飛び降りた。
朝。
僕は駅で電車を待っていた。
周りを囲む人は、学校や会社へ行くためにすし詰めにされている。彼らは黄金の眩しい日差しを浴び、コーヒーの香りが漂う充実した朝を過ごしていた。
しかし僕だけは違った。この場で唯一色を失っていた。まるで光を浴びると石化して砕けてしまう妖怪のようだった。
ある偉大な医者が言っていた。人は深い絶望を感じると、細胞レベルから生きるのを諦めると。 僕がそうだ。暗闇に包まれていた。僕に降り注ぐ希望の粒子は、雪が燃えるように淡く蒸散していく。
おぼつかない思考で僕が出した答えは、電車に轢かれれば一瞬で死ぬことができる、という事だった。
「まもなく電車がきます」
案内が脳内に鳴り響く。辺りは静寂で、アナウンスのみがやたら大きく聞こえた。酷く酒に酔っているかのように頭がぼーっとする。時間の流れがゆっくりだ。景色が霞んで二重に見える。僕はおぼつかない足取りでふらふらと一歩一歩ホームへ進む。
右方から祝福が見えた。ごおおと轟音を鳴らし巨体が近づいてくる。
足はついに黄色い停止線を超える。自分の身体なのにどこか他人事だった。ロールプレイングゲームをプレイしているかのようだ。背後からコントローラーで指示を出し、僕の身体を動かす。
ハハッと笑い声が聴こえた。僕の声だ。僕が僕を嘲笑っている。
ホームの縁へと差し掛かった。足の半身から抵抗が消える。さあ、暗闇へ飛び込もう。
足に力を込め前に踏み出すと、身体が重力に引っ張られる。こっちへおいでと言われているかのようだ。
倒れながら不意に後ろが気になった。世界に別れを告げようとする僕を、他人はどんな表情で観ているのだろうか。
最後の足が離れる前にぎゅっと力を込めた。身体は空中で回転を始める。前方から背中向きへ、さながら最後の舞だ。 体勢が落ち着くのと比例して、視界のブレがゆっくりになる。浮遊を感じながら、焦点がホームに定まる。そこで--
パチリと目が合った。ソレがいた。無表情のピエロだった。真っ暗な陰そのものだった。暗い絶望を身に纏っていた。 ソレは駅にいるはずのない存在だった。サラリーマンでも学生でもない。ソレは異様な空気を纏い僕だけを見つめていた。周囲の人が焦ったような表情へ変わるのをよそに、ソレは時間が止まったように表情を変えなかった。瞳には熱がない。
いよいよ僕の身体が落下を始める。瞬間、ソレの唇が僅かに動いた。
「--これで、3人目だ」
ニヤリと。ソレの目と口が三日月の形に変わる。ソレが初めて顔色を見せた。口元は不気味なほど血塗られて赤い。歪んだおぞましい笑みだった。
ぼんやりとした頭で僕は思考する。 やられた。ゲームのプレイヤーは僕ではなかったのだ。
ぐしゃり。頭蓋骨が目に突き刺さる。気が付いた時には、僕の身体は電車に跳ね飛ばされていた。
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