22話 これは夢
夜も極まり、すっかり町全体が眠りについた時分。
私は眠気に似て非なる意識の揺らぎを感じながら、一つだけ強く確信していることがある。
これは夢だ。
「真菜~、好きだよ! 愛してる!」
布団の中、萌恵ちゃんが激しい抱擁と共に愛を叫ぶ。
天にも昇る気持ちだけど、現実ではないと分かっているので感動は半減だ。
どれほど壮大で劇的な夢でも、起きたらワンシーンすら覚えているかどうか、というのが普通だろう。
関連する事象として、夢の中にいながら自分がそのことをハッキリと知覚することもままある。
結局は起床して朝ごはんを食べる頃には忘れているので、この状態でなにを考えても無駄かもしれない。
夢だと気付いてもすぐに目を覚まさないことはこれまでにも何度か経験しており、私は決まって可能な限り楽しむ。
というのも、私は萌恵ちゃん以外の夢を見たことがないからだ。
夢の中で自由に動けるなら、嬉々として堪能する。
「私も愛してるよ、萌恵ちゃん。大人になったら結婚しようね」
「うんっ、絶対する! んふふっ、楽しみだな~」
普段は心に留めているセリフも、いまなら包み隠さず告げられる。
なぜ夢だと断言できるのかと問われれば、答えは簡単だ。
大部分を占めるのは感覚的な要素なので割愛するとして、状況がすべてを物語っている。
場所は我が家のリビング。九帖ほどの面積がある洋室で、折り畳みテーブルや布団を設置して二人きりの時間を過ごす、生活の基点となる空間だ。
引っ越し前に二人で相談して購入した敷布団に、私たちは全裸で寝転んでいる。
産まれたままの姿で、掛布団すらない。
布団の周囲は闇夜で覆われているのに、なぜか私たちの姿だけは鮮明に視認できる。
加えて、恋愛のれの字も意識にない萌恵ちゃんが、結婚の約束までしてくれた。
以上を踏まえれば、これが現実だと主張する方が難しい。
「ほら、萌恵ちゃん。私の胸で甘えていいよ」
私は体勢を変え、萌恵ちゃんを胸の中に招く。
シビアなことに、夢の中でも胸のサイズは変わらない。
「ん~、やっぱり落ち着くなぁ」
子どもをあやす母親のように、頭を優しく撫でる。
これまでにも、夢の中で意識がハッキリしているという状況は何度かあった。ほとんど記憶から消えているので『こういうこと前にもあったかも』程度の認識だけど、現にこうして体験しておりうっすらと覚えがあるので、幻想ではないはずだ。
普段の私ならここぞとばかりに性的欲求を満たそうとセンシティブ極まりない行為に走りそうなシチュエーションだが、夢だと分かっているからこそ、あえて一線を越えない。
理由は単純明快で、起きたときにガッカリするから。
たとえ内容を覚えてなくても、落胆した気分は残る。
モヤモヤの原因も分からないまま爽やかな朝の時間を過ごすというのは、それこそタチの悪い悪夢のようなものだ。
だからこそ、私は夢の中では健全なことしかしない。
裸で抱き合ってるけど、えっちな目的じゃないからセーフ。
大事なのは、いつもは伝えられない想いを素直に言うということ。
夢の中で受け取ってもらえても意味がないと思ったこともある。
しかし、前述の通り、大事なのは想いを打ち明けることだ。
自己満足と結論付ければそれまでだけど、普段言えないことを口にするというのは、それだけでもスッキリする。
「萌恵ちゃん、ずっと前から大好きだよ。世界中の誰よりも愛してる」
「あたしも、真菜のこと本当に愛してるよ! ずっと一緒にいてね!」
萌恵ちゃんの反応が肯定的なのは、自分の妄想に過ぎない。
遠くないうちに実現させてみせると、改めて誓う。
いまはもう少しだけ、夢の中にいたい。
そう思っていた矢先のことだった。
「ひゃっ、冷たっ!」
萌恵ちゃんのかわいい悲鳴に反応してふと天井を見やると、ポツポツと雨漏りしている。
このアパートは二階建てで、ここは一階。普通なら雨漏りの被害に遭う可能性はないが、夢の中なら有り得ると納得できた。
最初は雫が数滴ほど肌に当たる程度だったのに、瞬く間に量と勢いを増し、布団の上に集中豪雨が降り注ぐ。
「真菜っ、アトラクションみたいだね!」
いくらなんでも、実際の萌恵ちゃんはここまで呑気なことは言わない。
いや、うーん……どうだろう。言わない、よね?
付き合いが長いとはいえすべてを把握できているわけではないので、容易には断定できない。
とにかく、現状を冷静に分析してみよう。
夢の中で水に関連する出来事が起きた場合、十中八九、尿意を催している。
高校生になって誇ることじゃないけど、おねしょはすでに卒業済みだ。
萌恵ちゃんと同居中、しかも同じ布団で寝ている以上、万が一にも悲劇を起こしてはならない。
私のおしっこで汚してしまう申し訳なさもさることながら、年頃の女の子として普通に恥ずかしい!
大好きな人の隣でおねしょなんて、一生物のトラウマになる!
意識し始めると、唐突に尿意が襲ってきた。
どうせ夢だしここで漏らしても大丈夫、なんてことを少しでも考えてしまえば、起床してすぐ絶望することになる。
起きて、私!
おしっこを漏らす前に!
自分を慰める現場を見られるより、おねしょを目撃される方がつらいから!
「――漏れてない!?」
眠りから覚めた私は、悲痛な叫びを上げながら飛び起きた。
うっすらとしか覚えてないけど、おねしょを回避できるか否かの危険な状態だったはずだ。
おそるおそる布団を触り、被害がないか確かめる。
念のために自分の股間にも手を回してみると、無事に危機を乗り越えたことが明らかになった。
よかった。
心の底から安堵して、穏やかな気持ちで再び横になる。
「真菜、おはよ」
「も、萌恵ちゃん、起きてたの? お、おはよう」
「うん、ちょっと前からね。『おしっこ漏れちゃうぅ』って何度も繰り返してたから、起こした方がいいのかなって考えてたら真菜が飛び起きたの」
「そうだったんだ。心配してくれてありがとう」
おもらしは回避できたけど、それに次ぐ痴態を晒してしまった。
「寝る前にちゃんと済ませなきゃダメだよ~?」
冗談めいた口調で茶化され、私は逃げるように布団を出る。
トイレに入って腰を下ろし、ふと眼下の下着に目が行った。
……あと数秒遅かったら、大洪水だったかもしれない。
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