第6話 小さな応援者



 アドミリック病院から出たミヤビは、徐に自身の右手に視線を落とした。

 

 手持ちの322フロルと、素材屋で得た1250フロル、合わせて1572フロル。しかし今、手元には100フロルも残っていない。三つの薬品を買ったためだ。

 

 そして、購入したのは、キングリデックが勧めるマギナ生成剤『マギダスワン』と傷口から出血を防ぐ止血薬『フルブラディ』。どうやらこれは飲み薬ではなく、塗り薬らしい。

 三つめは栄養補給ドリンクで、これは治療目的ではない。食事の代わりに購入したものだ。

 

 エレフト山での事件後、ミヤビはますます肩身の狭い生活を強いられるようになった。それは工廠内だけに止まらず、ミヤビが普段、利用している軍人用の食堂でも総スカンを喰らっている。

 

 食堂で働いている人員のほとんどがポーン級。そして、ポーン級には多くの第六世界ゴルドランテ出身者が在籍している。普段からしいたげられている彼らが、レンヤやフィオライトに一途の希望を見出すのは必然であり、その2人に危害を加えようとしたミヤビに反感を抱くのは当然の成り行きだった。

 

 他の作業員たちのように外食をする手もあるのだが、元々が薄給な上に、アルニマ開発でいろいろと出費がかさむ中、食費に削れる余裕は無い。

 

 だから、ミヤビは最近、ろくに食事にありつけない状況が続いていた。牙を回収するついでに入手したピギーボアの肉で作った干し肉でなんとか食い繋いでいるものの、早急に何か手を打たなければ餓死しかねない。

 

 「金が残ったら何か買い食いしようかと思ったけど……やっぱダメだったか。今日はこれで我慢するしかねえな」

 

 そうして栄養補給ドリンクの瓶の蓋に指を掛けた時である。

 

 「ミヤビさん!」

 

 病院からリリエットが出てきて、ミヤビに駆け寄ってきた。彼女が抱えるのは、ベーコンのような薄い肉と葉菜ようさいを挟んだ長い調理パン。それをミヤビに差し出す。


 「あ、あの、これ! もしよかったら食べてくださいっ」

 「これを? 俺に?」

 「は、はい。あの、さっき、ごはん食べてない、みたいなこと言ってたから……」

 

 リリエットは控え目な声でそう答える。なるほど。それに同情して、食料を分けてあげようと思ったのか。

 

 幼いながらも仁愛の心を輝かせるリリエットの頭を優しく撫でて、ミヤビは苦笑した。

 

 「ありがとな。でも、それはお前の分だろ? お前が食べろ」

 「いいえっ。リリエットはだいじょーぶですっ。あさごはんをいっぱい食べましたのでっ」

 「だからって昼飯を抜いていい理由にはならねえだろ。お前は成長期なんだから、毎日三食たべるんだ。このご時世、食べるものがあるだけ幸せなんだぞ?」

 「で、でしたらミヤビさんもっ。それに、リリエットはご前中はぜんぜん動いてなかったから。おなかなんてべつに――」

 

 

 ――くうぅ。

 

 

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………わうぅ」

 

 可愛らしい腹の虫の声を聞かせてくれたリリエットは、気の毒なほど顔を真っ赤にしてうつむいた。

 それでも掲げたパンを下ろそうとしないし、円らな瞳をミヤビに向けてくる。食べてほしい、と無言で叫んでいる。

 

 「…………困ったヤツだな」

 

 その心意気を自分の片意地で潰せるほど、薄情になったわけじゃない。

 しかし、彼女に空腹を強いてまで腹を満たしたくはない。

 

 だとすれば、折衷せっちゅう案は一つ。

 

 ミヤビはパンを受け取ると、それを半分に千切った。そして、二つの内、大きい方をリリエットに差し出して、言った。

 

 「じゃあ、一緒に食べようか?」

 


 

 

 

 そうしてミヤビとリリエットは、階段の最上段に並んで腰かけ、少し遅めの昼食を取ることになった。

 

 だが、2人に共通する話題など無く、競い合うようにひたすらパンを頬張るだけの時間。硬いパン生地の歯応えとシャキシャキの葉物の咀嚼そしゃく音がやけに大きく感じた。舌を刺激するのはベーコンから滲み出る塩気。おそらく、ピギーボアの肉を保存用に塩漬けにしたものだろう。

 

 意味も無く調理パンの味に集中していた頃、自分のパンを半分くらい食べたリリエットが、不意に呟いた。

 

 「どうしてミヤビさんはこんなことを続けてるんですか?」

 

 こんなこととはつまり、工廠での冷遇のことを指しているのだろうか。

 意図が計り知れずに黙っていると、リリエットがさらに続けた。

 

 「いっしょにおしごとしてる人たちからイジメられて。ボロボロになって。ごはんも食べれなくて。なのに、どうして……」

 「リリエット……」

 「ミヤビさんはフィオライトさんのためにがんばってるんでしょう? ナース長から聞きました。その幼馴染さんのために……レンヤ? って人をたすけてるって。それなのに、どうしてミヤビさんがそんなひどいことされないといけないんですか?」

 「……それはな、俺がやっちゃいけないことをしたからだ。さっきも言ったろ? 人類の希望である勇者候補とソラリハを危険な目に遭わせたんだ。皆から嫌われて当然さ」

 「それは本当なんですか? ミヤビさんがきけんな目にあわせたって……リリエットはしんじられません。だって、ミヤビさんはそんなことする人じゃないもん」

 

 ミヤビを見上げて、リリエットは断言する。その澄み切った眼差しは、絶対にミヤビを信じる、という彼女の心を映しているかのようだった。

 

 ミヤビは悩んだ。正直に答えるかどうか。この場をやり過ごすだけなら、口先次第でいくらでも誤魔化せる。

 しかし、どうせキングリデックかルルティエンコから教えられることになるだろう。彼らは人の心情に頓着とんちゃくしない。自身が不利益をこうむらなければ、効率的に物事を処理しようとする。リリエットが真実を求めれば、ミヤビの気持ちなど度外視して、簡単に叙述じょじゅつするだろう。


 だったら、ここで今、打ち明けた方がマシか。自分なら、リリエットの心にできるだけ負担を残さずに説明することが可能だ。

 なにより、自分を映す彼女の瞳。そこに溢れんばかりに溜まっている涙を裏切ってはいけない気がした。

 

 そう心の中で自分を納得させ、ミヤビはエレフト山での事件を詳細に語り出した。もちろん、事件の裏側。真の加害者は本当は誰であるか。それも全て含めて。

 

 リリエットは、話の途中で驚いたり、怖がったりと子どもらしいリアクションを見せていた。しかし、決してミヤビの邪魔するようなことはしなかった。

 

 だが、終盤、フィオライトがミヤビに決別の言葉を叩きつけるシーンに差し掛かった時、彼女は大声を上げた。

 

 「なんでですか?! なんでフィオライトさんはそんなことを言うんですか?!」

 「お、おい、落ち着けリリエット」

 「だって! ミヤビさんはフィオライトさんのために! なのに!」

 「フィオはそれを知らないんだ! あいつは何も知らない! だから俺を見限るのもしょうがないんだ! 俺がそうなるように願ったんだよ!」

 「…………そんな、そんなの……」

 

 ミヤビに説得され、リリエットは力無く石段に腰を落とした。膝の上には、興奮した彼女によって握り潰されたパン。そこに、ぽたりと雫が落ちる。リリエットの目から、必死に堪えていた感情の雨が降り注ぐ。

 

 「わかりません。わかりません。リリエットにはわかんない。どうしてそこまでしてフィオライトさんをたすけるんですか? そんなにひどいことされて、どうして……」

 「リリエット……」

 

 泣きじゃくるリリエットの背中をミヤビは優しく撫で始める。すると、彼女はミヤビの空いた懐に潜り込んできた。そうして強くミヤビを抱き締める。

 

 リリエットの突然の行動に驚いたミヤビは、しかし、その抱擁を受け入れ、しゃくりあげる彼女の背中を緩くさすった。

 

 「ごめんな。でも、俺にはこうするしかないんだ。レンヤがサティルフになるためにサポートする。それが俺が唯一できる、彼女への恩返しなんだ」

 「おん、がえし?」

 「ああ。俺が今日まで生きてこれたのは、フィオがいてくれたからだ。だから、あいつのために何かしてやりたい。あいつがレンヤとの未来を夢見ているなら、それを叶えてやりたい」

 「でも! フィオライトさんはミヤビさんのことを……!」

 「いいんだ。嫌われたっていい。憎まれても、見放されても構わない。見返りを求めてるわけじゃないんだ。ただ、俺が、あいつに幸せになってほしいだけなんだ」

 「……わからない。やっぱりリリエットにはわかりません……!」

 

 れた声で絞り出し、ミヤビに回した腕の力を強めるリリエット。

 

 「それでいい。分からなくていい。そのまま、純粋なままのお前でいてくれ」

 

 


 リリエットは、奴隷商に売り飛ばされた奴隷の子だった。

 

 彼女が地下街でミヤビと出会ったのは、単なる偶然。ミヤビが飲食店の屋外テーブルで食事を取っていた時である。

 

 1人のみすぼらしい恰好をした女の子が、ジッとミヤビを見つめていた。物乞いなど地下街では珍しくもない。最初は無視していたが、あまりに物欲しそうな顔で見てくるので、つい仏心を出して、誘ってしまった。

 

 ――一緒に食べるか?

 

 しかし、それがまずかった。

 

 女の子は奴隷商が所有する商品であり、地上のとある富豪の許に連れていく途中だったのだ。飲食店に立ち寄ったのはそのついでであり、奴隷商の主から命じられた使用人と3人の用心棒は、女の子に近づいた(実際は逆だが)ミヤビに食って掛かった。

 

 まあ、その連中はミヤビが難なく叩きのめしたのだが。

 

 問題は取り残された女の子の処遇である。どうするか。この地下街に警察などという公的機関は存在しない。かと言って、奴隷商の許へ連れて行こうものなら、間違いなく悶着が起こる。引き取るのは論外。

 

 だが、ここに置いていけば、この子は確実に誰かにさらわれるだろう。成り行きとはいえ、助けてしまったのだ。置き去りにするのは寝覚めが悪い。

 

 そうした懊悩おうのうの末、ミヤビはとある目的のためにおもむく予定だったアドミリック病院に彼女を連れていくことにした。そして、キングリデックとの話し合いの後、という名目で病院に使用人として住み込みで働く運びになったのである。リリエットという名前は、その時にキングリデックから与えられた。

 

 所詮は1人の研究材料。しかし、リリエットからすれば、ミヤビは自分を救ってくれた恩人であった。実験のせいでイヌ耳や尻尾が生えてしまったけれど、病院での生活は奴隷生活と比較するまでも無く、この幸せをもたらしてくれたミヤビを彼女は深く敬愛しているし、信頼していた。

 

 その飾り気のない心は、この地下街で唯一、咲き誇る無垢の花だとミヤビは信じている。

 

 

 「ありがとな。俺のために泣いてくれて。そのおかげで、俺はまた一歩を踏み出せる」

 


 この世界には汚いものが多すぎる。地下街にしたってそうだ。


 フロントーラの人々のために設計された地下街を、軍が把握していないわけがない。避難経路から侵入したならず者たちに地下街が不法占拠されている。そう認識していながら、なぜ地下街は未だに彼らによって運営され、ブラックマーケットが成り立っているのか。

 

 答えは簡単。軍が……というよりも上層部がそれを容認しているからだ。でなければ、フロントーラで使われている通貨のフロルが地下街に出回るわけがない。

 

 上層部は地下街の利用を認め、電気や水道などのインフラを整える代わりに商会の元締めとなり、各店舗からショバ代を徴収している。猶、そのための維持費は税金によって賄われている。名目上は地下街の維持費用として。

 

 そういう不正がまかり通る社会なのだ。何が正しいか。正義とは何か。そんな問いかけの果てに未来は無い。自分は何を為し、何のために生きていくのか。傷つきながらも歩き続けたその先に、きっと未来が繋がるはず。

 

 

 


 「もう大丈夫だな?」

 「はい」

 

 泣きはらした頬を豊かにして、リリエットは微笑んだ。それを見て、ミヤビは彼女に背を向ける。

 

 「それじゃあ、俺はもう行く。キングリデックたちによろしく言っといてくれ」

 「はい。あの、ミヤビさん」

 

 「ん?」と振り返るミヤビ。リリエットはもじもじと恥ずかしそうに指を遊ばせながら、

 

 「つぎは、いつ、来てくれますか?」

 

 と、訊ねた。

 ミヤビはそんな可愛らしい、自分の小さな応援者の頭を撫でる。

 

 「さぁな。まあ、できるだけ早いうちにまた来るよ」

 「……はい。まってます。リリエットはずっとここでミヤビさんをまってますから」

 「ああ」

 

 寂し気な表情を殺し、懸命に笑顔を作る彼女に笑いかけて、ミヤビは階段を下り始めた。

 

 そして、中頃あたりに差し掛かった時、「ミヤビさん!」と呼びかけられる。振り向くと、階段の上でリリエットが両手を振っていた。

 

 「ミヤビさんとおなじように! リリエットもミヤビさんのしあわせをねがってます! だからっ、まけないでください!」

 

 そう叫んだ後、リリエットは一礼し、病院の方へ駆けていってしまった。

 

 「負けないでって……何をだよ」


 と、つい零れてしまう笑みを誤魔化すようにミヤビは呟き、再び階段を下りていく。



 三つの小瓶と、少女からもらった、たった一つの勇気を携えて。

 

 階段を下りたその足で、ミヤビは地下街から立ち去った。

 

 

 

 

 

 それから数日後、マルクから、王連合軍の第七世界アースレディア侵攻が開始される、と一般作業員たちに宣布された。 







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