07.殺害未遂

 息を殺し、じっと影の動きを見守る。このまま眠っていると思い込んで消えてくれたらいい……ささやかな願いは叶わなかった。動く影の中にナイフらしき存在を見て取り、咄嗟に銃を抜いて上に向ける。


「動くな!」


 叫ぶと同時に安全装置を外した。


 この国では躊躇えば己が死ぬことになる。平和とは程遠い国だった。強盗や空き巣も多く、それ故に誰もが護身用の銃を持ち、自らを守るために銃の撃ち方を覚えるのだ。


 目の前に飛び込んだのはナイフの輝き、青白い月光を弾く金属にごくりと喉が動いた。


 陰になり、顔はわからない。男女の区別もつかない人影に向かい、コウキは躊躇なく引き金を引いた。




 ダーン!


 銃声は乾いて響く。


 何度聞いても好きになれない音が耳を打ち、人影はぐらりと倒れこんだ。それでも銃口は下げず、空の薬莢やっきょうを落とした自動小銃の安全装置をかけなかった。相手の死亡を確認して初めて銃口は下ろすものだ。


 銃を与えられたときに教えられた最低限のマナーは3つ。


 銃口を人に向けない、銃口を覗き込まない、撃つときは躊躇うな。その後、保安関係の組織に関わるようになった学んだのは『死体相手でも、確認するまで銃口を下げるな』だった。


 己が知るルールを守って銃を構えたまま、ゆっくりとソファを回り込む。


 倒れているのは女性だ、長い髪が顔を隠して生死の判断がつかなかった。彼女から50cmほどの位置に落ちているナイフに気づき、刃を踏んで武器を封じる。


「生きているなら、両手を頭の後ろに組め」


 頭を狙うと的が小さく外れる確立が高いので、一番的が大きい胸部を狙って撃った。生きている可能性は高い。


 たいした時間待つことなく、彼女の手が緩やかに動いて長い髪の上で組まれる。その左手薬指に指輪が輝いていた。大きな宝石のついた指輪は、結婚指輪ではなく婚約指輪だろう。


 ブロンドの髪は月光を弾いて輝き、とても闇夜の強盗に向いているとは思えなかった。通常なら髪を覆うスカーフなどを被るだろうに、彼女はボディラインを強調したワンピースという非常識な姿で侵入している。


「あの……私、別にあなたに危害を加える気はないの」


 鈴がなるような声と表現するに相応しい、高い音域の声に女の年齢を推測する。30歳代だろう彼女は、スカートの裾がわずかに捲れているのを気にするように身じろいだ。


 銃弾は僅かに彼女の腕を掠めただけらしい。二の腕に赤が滲んでいるが、たいしたケガではなかった。


「不法侵入だ」


 危害を加える気がなかったという彼女の発言は、傍らに落ちているナイフが裏切っている。媚を売るようにさらりと嘘を吐いた女に同情するコウキではなかった。切るように吐き捨て、机の上に放置していた携帯電話を手に取る。


 コールの間も女から銃口を外さず、淡々と上司に状況を報告して捜査員の派遣を依頼した。






 駆けつけた捜査官に彼女を引き渡し、玄関で見上げた空は泣き出す寸前だった。


 部屋の灯りをつけ、白熱球のオレンジ色の明るさにほっと息をつく。紅茶を淹れ直すためにカップを手に取り、キッチンで足を止めた。


 何か違和感がある。


 見回したキッチンの細かな物の配置が違う? 紅茶の缶が置かれている場所はもっと左側だったし、手前の布巾は畳んで片付けた筈だ。ケトルの位置も違う気がした。


 まさか!? 


 手元のカップを見つめ、そっと人工大理石の台に置いた。これ以上証拠をふき取らないよう、注意しながらカップをラップに包んで鑑識に回すために再び電話を手に取る。


 キッチン自体、どこに証拠が残っているか。新しい紅茶を諦め、コウキはソファに腰を下ろして溜め息を吐いた。


 自分の部屋なのに、他人の部屋のような居心地の悪さがまたひとつ溜め息を生む。パタパタと雨が窓を叩く音がして、その中に人の足音が混じった。思ったより早かった鑑識の派遣に、複雑な心境を混ぜた深呼吸をして立ち上がる。


 開いた扉の向こうは、ほんの僅かの雨がもうやんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る