04.ロトの娘
シェークスピアの劇のように、彼は優雅に一礼して椅子を勧めた。
素直に椅子に腰掛けたコウキの前に、看守が無言でカップを差し出す。白磁に青い花が描かれたカップは、アールグレイの香り高い琥珀色の紅茶に満たされていた。
「毒などない」
最初の出会いを
適度な広さがある室内も、歩き回ると狭く感じられる。毛足の長い濃青の絨毯が足音を吸収していく。
「まずは事件を整理しよう。哀れな犠牲者達は『供物』だ、犠牲に必然性が存在する。それは犯人にとっての、絶対的な信念に基づいたものだった…オレはそこに価値を見出さないが『彼女』には必要だ」
紅茶を口元に運んだコウキが、はっと顔を上げた。
「彼女?」
「ああ、犯人は彼女だね。女性だと意外か?」
大量殺人犯ともなれば、男性が犯人であることが多い。理由は簡単で、体力の問題だった。殺人の間が短いほど男性が犯人の確立が高くなる。逆に女性が犯人の場合、室内での殺害が多かった。
今回のように屋外で、短期間に殺されている事件は『犯人が男性』というプロファイリングが有力なのだ。それをあっさり覆すロビンの言葉は、コウキにとって常識を否定されるのと同じだった。
「だが…っ」
「人の話は最後まで聞くものだよ、稀有なる羊」
「黒人白人問わず、黄色人種も混じる供物は、彼女が選んだ『黒髪』と『ひとつの条件』に当てはまる者たちだ。実験用マウスを選ぶのと同じくらいの気軽さで選ばれた獲物。屋外で殺したのは、その方が彼女にとって有利だったから。ビルの谷間や暗い場所へ誘導しようとしても相手に警戒心を抱かせてしまう。月光が降り注ぐ開けた芝の上は、皆が油断しただろう」
ロビンは足を止めてコウキに向き直った。
椅子に腰掛け、足を組んで資料をサイドテーブルに置く。空調の風が数枚捲ろうとするのを、彼は左手で拾い上げた聖書を乗せて押さえた。
「つまり供物は自ら歩いて舞台に立った。なのに抵抗の痕がない。なぜだろうね」
答えをコウキに譲るように口元に笑みを浮かべて小首を傾げる。
「顔見知りか、意識を奪うか」
どちらとも断定せずに呟けば、ゆったり頷いたロビンが右手の平を上に向けて何かを受けるような仕草を見せた。
「検死結果に記載されている結果で判断するなら、顔見知りだ。しかし実際は違う。もう一度検死をするといい。供物の右手のひらに針の痕跡が残っている筈だ」
見落とした共通点の提示に、コウキは「わかった」と了承を返す。
満足そうなロビンが足を組みなおした。
「意識のない獲物を前に、彼女は黒い布を被る。漆黒より赤みかかった色だな、ワインレッドかも知れない……全身を覆う大きさで、保管に困らない形状なら心当たりもある。普段は人目に触れる場所に平然と放置されている筈だ。殺害を儀式と考える彼女にとって、黒と赤は正装だから他の色を纏うことはしない。全身同じような色で統一している」
録音メモを録るコウキの手元にちらりと視線を向け、ロビンは一度言葉を切って紅茶を口に運んだ。
「遺体から盗まれたものはない―――この資料は間違いだらけだな」
くつくつ喉を震わせて嘲うと、ロビンは指先で資料をぱちんと弾いてみせた。
「奪われたのは少量の血、そして命と魂……抽象的な意味ではない。性的な嫌悪感から切り裂き突き刺す彼女が、顔に刃を向けない理由がそこにある。首の後ろ、うなじの髪を切り取った。顔に飛び散った血は、丁寧に布で拭き清めた跡も残っているだろうね」
現場を見ていたように語る連続殺人犯は「羨ましい」と小さく零した。
「これだけ見事な『儀式』は久しぶりだ。近年稀にみる大物だよ、『彼女』には逃げ切って欲しいが」
逃がす気はないとロビンの表情が告げる。狩りを楽しむ猫科の猛獣のように、男は獲物の抵抗を待っているようだった。
「ロビン、次のターゲットは?」
「コウキ自身が出向くのでなければ教えてもいい」
もったいぶった言い方をしながらも、ペンを手に取ると資料の裏にさらさらと2行ほど書き記して看守へ渡した。管理用に写真撮影を終えた資料がコウキの手元に届き、文字を食い入るように見つめる。
そこに記されていたのは、『公園の名称』と『白人男性』の文字のみ。
「急いで手配するといい。おそらく今頃殺されてしまっているだろうから」
慌てて立ち上がる看守とコウキを見送り、ロビンは笑みを深めて呟いた。
「もう手遅れだ」
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