02.うんざりする呼び出し

 真っ赤に染まった両手――固まった血がぱりぱりと音を立てて剥がれ落ちる。下から覗く肌はほどよく日に焼けているが、日系人と考えれば白い方だった。


 数えるのも嫌になる回数の溜め息が口を吐く。


「それで? もう一度状況を説明してくれるかね?」


 偉そうな上から目線の口調は慣れているが、現状では苛立ちの原因にしかならない。



 目が覚めたら死体が転がっていた、それ以外の事実を知らない人間に何度説明させても答えは変わらない。


 この話をさせられるのは4回目だった。


「何度説明しても同じだ。部屋の鍵を開けて、いつも通り研究室へ入った。直後に後ろから殴られ倒れた。頭痛に目を覚ませば死体が転がっている。救急車より先にFBIへ連絡した。以上だ」


 だんだんと簡潔になっていく説明には「うんざりだ」の意思表示が込められている。


 真っ赤に濡れたハンカチをゴミ箱へ放り込み、研究器具を拭く為のタオルを掴んで側頭部に押し当てた。じわじわと滲む血は大量ではないが、貧血による目眩を起こす程度の量には達する。


 手当てを後回しに状況を説明し続け、コウキは珍しく苛立って舌打ちした。


 FBIが俺を疑うのは結構だが、まず動機がない。知らない人間を殺すほど暇ではないし、そんな趣味も興味もなかった。


 第一、細身のコウキは見るからに非力で……逞しい大柄な被害者達の殺害は難しい。


 自らが被害者を装うにしても、頭に怪我を負うリスクを考えれば、足や肩を銃で撃ち抜いた方が後遺症の心配もないだろう。


 考えれば考えるほど、犯人には不向きだった。


 なのに肝心の科学捜査もそっちのけで質問ばかり繰り返す連中の、手際の悪さがコウキの感情を逆撫でする。


「……俺が殺したと?」


 何か言いたそうな捜査官へ「無能者」と嫌味を込めた眼差しで、抑揚のない声で淡々と尋ねた。


「いや……まさか、有名大学の博士号もお持ちの先生にそのような」


「Dr.タカシナ、こちらへ」


 捜査官との不毛なやり取りが深くなる前に、外から声がかけられた。


 振り返った先で手招くのは、FBIでもかなりの地位にいる男だ。研究対象であるロビンへの橋渡しをした彼は、普段デスクワーク中心で外へ出ることは少なかった。


 呼ばれるままに後をついて歩き出す。


 ようやく血腥い部屋から出られたことで、大きく深呼吸して気分を入れ替えた。


 大学の中でも研究部門しかない棟は生徒もなく、しんと静まり返っている。20時を過ぎた構内はひどく寂しい場所だった。


 カツン……靴音が硬質で耳障りに響く。


「すまなかったね、彼は優秀なのだが」


「優秀?」


 眉を顰めて繰り返す。その末尾が疑問符だったことで、男は苦笑して肩を竦めた。


「君らと比べれば、誰でも愚鈍だろう」


 皮肉かと思う余地もないほど、淡々と冷めた口調だった。


 さっとコウキの頭から血が下がる。冷静さを欠いていた己に気づけば、あの捜査官への態度が罪悪感すら伴う苦痛を齎した。


「科学捜査も含め、すべて私の指示で行う。これ以上の不手際は防げると思う」


 国家機関直属の男はFBIという組織を凌駕する権限を有している。その地位に見合うだけの実力もあるだろう。


 ほっとする反面、疑問がわいた。


 なぜこの男が自ら出てきたのか。情がうつるような付き合いはない上、感情に流されて現場へ出向くほど暇でもない筈だ。


 なにか思惑がある。

 



 研究棟を出た先に、黒塗りの乗用車が止まっていた。滑るようにこちらへ近づき、運転手が後部座席のドアを開いて一礼する。


「話の前に、治療した方がよさそうだな」


 黙り込んだコウキを振り返った彼の灰色の瞳に、コウキは「やっぱり…」と気を引き締める。


「いや」


 断ったコウキに、手のひらを向けて車に乗るよう促す。しかたなく運転席側を背に下座へ落ち着いたコウキは、向かいに座った男の手入れの行き届いたひげを睨みつけた。


 視線を合わせなくても、相手からは目を見ているように見える場所が口元だった。


 以前からコウキは相手の口元を見て話す癖がある。……あの殺人犯相手の時は別だが。


「これを使いたまえ」


 座席に置かれていた救急箱を渡され、中をざっと確認して消毒液をガーゼに振り掛けて側頭部の傷に押し当てた。


「…っ」


 痛みをかみ殺し、続いてネット包帯で簡単にガーゼを固定する。


 髪の血を洗い流した後で再度の治療は必要だが、当面はこれで問題ないと判断して、ガーゼにしみこませた消毒薬で手の血を拭った。チリリと痛みが走るが、無視して作業を終える。


 コウキの手が止まるのを待っていたように、男は静かに切り出した。


「『アレ』が君を呼んでいる」


 アメリカ史上最悪、最凶の連続猟奇殺人犯、ロビン・マスカウェル。公式記録では処刑された死人だが、類稀なる才能を買われて政府直属機関に隔離されている。


 その『管理人』という立場を与えられたコウキは、ゆっくり肩の力を抜いた。


 よりかかったクッションに疲れた身体が沈みこむ。


「……わかりました」


 そう答える以外、コウキに残された選択肢はなかった。

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