10.最愛の犠牲者

 目の前に薄暗い路上が過ぎる。


 適度な酔いに上機嫌の男性が歩いている後ろから近付き、声をかけた。


「あの……落とし物されませんでしたか?」


 白いハンカチを差し出せば、男は目を見開き……「いえ」と答えた。しかし彼の視線は自分の胸元に釘付けだ。


 整った顔も美しいと評されるプロポーションも、過激な衣装すら武器の一つ。愚かな者を粛清する為の、ささやかで美しい爪だった。


 孔雀がその外見を誇りながら、毒蛇を喰らい、鋭い爪で獲物を狩るように。


「こんな夜中に、女性一人では心配です。近所ですか? 送らせていただきますよ」


 舐めるような視線に頭から爪先まで晒されながら、気づかないフリで頷く。


「ありがとうございます。すぐそこなのですが、暗くて……」


 僅かに目を伏せて相手の顔を窺う。


 にやにやと締まりのない表情は、いい獲物が転がり込んだと喜んでいるのだろう。


 歩いて数百メートルの路地を曲がり、ふと足を止めた。


 ゆっくりと白い手を伸ばす。触れた男が興奮した様子で抱き締めてくるのを許しながら、指輪の裏側に仕込んだ針を男の首筋に突きたてた。


 長さは僅か1cm程度……しかし猛毒が塗られた針は簡単にターゲットの命を奪う。


 呻いて苦しみ踠く姿を見下ろす口元は、三日月に歪められていた。





「犯人は女、単独犯か」


 突然呟いたコウキに視線が集中する。


「さすがはコウキ、答えが見えたようだ」


 マジックの種明かしをするように、ロビンは笑顔と大げさなジェスチャーで話し始めた。


「彼女はとても純粋なのだよ。だから裏切りを許さない。僅かのけがれも許せない。神に誓った愛を汚して肉欲に走る者を片付ける事を、当たり前だと思っているのさ。嫉妬と傲慢、彼女の罪はもっとも人間らしい原罪で――オレはそういう子をみると、助けてあげたくなる」


 奇妙な言い回しに引っ掛かったのは、コウキだけだった。他の人間は会話についていけず、呆然と2人を見比べている。


 眉を顰めたコウキが、唸るように声を絞り出した。


「まさか、お前が…っ」


「ああ、オレは彼女に知恵を貸した。目立たずにターゲットを誘う方法、獲物の見抜き方、死体をばらす為の人や道具も紹介したよ。あれはこの独房から出てすぐに出会った、久しぶりに興味を引く『玩具』だからな。壊さないように遊ぶのは当然だろう?」


 この男は見抜いていたのではなく、最初からすべてを知っていたのだ。自ら仕掛け、その結果を見つめて満足そうに微笑んでいた。


 もしかしたら彼女は……誰も殺さず済んだのかも知れない。


 焚き付け、種火を煽るような真似をするロビンに見出されたことが、本当の意味で彼女の不幸の始まり。


「稀有なる羊、おまえも分かっただろう? 誰もが狂気を抱え、いつでも野に放たれる獣でしかない――清廉潔白な顔をした彼女が赤く血に塗れて笑う姿は、本当に美しかった」


 うっとりと告げるロビンの言葉に、最初の殺人はロビンが捕獲される前だったことに思い至る。最初から手のひらの上で踊らされていた事実に、コウキは言葉を失った。



 俺がいなければ……この事件は起きなかったのか?



「貴様っ!?」


 状況が掴めたのか、口を挟んだ所長がヒッと引き攣った顔で息を飲んだ。


 睨み付けるロビンの表情は物騒で、その眼差しは切りつけるように鋭い。だが口元に浮かんだ三日月の笑みが、どこか歪んだ愉悦を滲ませていた。


「やめろっ、ロビン!」


「1回目はコウキに免じて無粋な家畜を許したが……2度目はない」


 すっと手を水平に掲げ、肩の高さで横にぐ仕草をした。


 3人の看守の1人が腰から銃を抜き、所長の背後から頭部を撃ち抜く。軽い銃声と血に驚いた同僚2人を次々と撃ち、彼は陶然とした表情でロビンを見つめた。


 まるで主の褒め言葉を待つ忠臣のような男へ、ロビンはねぎらいの言葉を掛ける。


「ご苦労、次の所長は君だね」


「はい」


 目の前で起きた惨劇に目を見開くコウキは、全身に絡みつくような血の臭いに俯く。吐き気が襲ってきて、口元を押さえて座りこんだ。



「稀有なる羊、まだ答え合わせの途中だ」


 先を促して、何もなかったようにロビンは椅子を引き寄せて腰掛ける。


「13人目の夜が暗かった理由に気づいたかい?」


「……顔見知りだった」


「そう、予想外の相手だ。彼女が最も信じていた自らの夫がターゲットになった。そして穢れを許さない純粋さで、彼女は夫の命を奪う決断をする。ああ……なんて美しい信仰だろう。彼女はオレにとって最上の玩具だ」


 満足そうなロビンの微笑みは、慈悲深い神職者に似て……神の愛を説くように柔らかい声音だった。


「知っていてっ、すべて仕組んだのか!?」


 激昂したコウキの忌々しげな言葉に、ロビンは軽く小首を傾げて不思議そうな眼差しを向ける。


「何もかも知っていたワケじゃないさ。事実、彼女にターゲットの探し方は教授したが……殺す日時や相手を指定していない。コウキが渡した資料と写真で、彼女を思い出して行動をプロファイリングした。操ったと思われるのは心外だな……彼女の崇高な意思と信仰を尊重した結果なのだから」


 責められる謂れはない。平然と放たれた言葉に反省や贖罪の色は感じられなかった。


 椅子から立ち上がったロビンが、軽く目を伏せて溜め息を吐く。


「彼女の指輪は、爪がない特殊なデザインだった。哀れな子羊の仕事は宝飾デザイナーであり、13番目の生贄は宝石店を営む製作者で子羊の夫だ。彼女がターゲットに目をつけるとしたら、それは生活の大半を占める仕事場での出会いが中心となる。つまり、彼女のデザインした指輪をする者――ピンクゴールドの意味は」


「愛情」


 カルティエが広めたひとつの考え方だ。


 愛情のピンク、友情のイエロー、忠誠のホワイト……それぞれのゴールドに意味を持たせた。トリニティ・リングと呼ばれる指輪になぞらえ、彼女は常にピンクゴールドを好んで使用する。


「……この犯行に意味がないとなじったのを覚えているか?」


 コウキはゆっくり頷いた。


『神を信じていないくせに』


『当然だろう。こんな意味のない……そう、美しさの欠片もない下品な事件を赦す神など信仰に値しない…っ』


 直後に殺された看守。あの時のロビンは何か続けようとしていた。


「死体を並べた意味を考えてご覧。両手両脚を丁寧に平行にならべ、中央に頭を置く……何かに似ていないか?」


「祭壇、いや宝座だ」


 敬虔なキリスト教徒である彼女にとって、祭壇を再現する為に正方形を描くように手足を並べた。


 中央に燭台に見立てた頭を置き、蝋燭に火を灯す……悪魔崇拝の儀式に似た…気味悪い光景の理由は狂った信仰心か。


「彼女は己を崇高なる信仰の守り手だと思っている。哀れなことだ……モーセの十戒で殺人は戒められている」


「彼女に、何をした?」


「何も……ただ教えて上げただけさ。『神が何を望んでおられるか』をね」


 くすくす笑うロビンが会話の中で使う、暗示に似た人心操作に長けているのは看守の例を見てもわかる。


 言霊の力を最大限に利用する彼にとって、信仰心厚い女性から殺人の禁忌を消し去るなど容易だった筈。


「これだけ奪われ踏み躙られる羊を救おうとしない神ならば、天に座す価値はない、違うか? オレはね……ただ証明し続けるだけでいい、神という幻の罪を」


 くるりと踵を返し、ロビンは余韻から醒めたように口元の笑みを消した。


「コウキ……早くしないと、犯人が14番目の死体になる」


 オレは別に構わないけれど……嘯いた男の声は、冷たい鉄格子に乱反射して散る。


 立ち尽くす『最愛の犠牲者』――コウキは今回の観客に選ばれた事実を、畏れに近い感覚で受け止めた。

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