絶対城先輩の妖怪学講座 補講 「鍛冶屋の婆」(1)

 う……おおおおおおおおん!


 どこからともなく聞こえた遠吠えに、いぬはハッと息を呑んだ。


 まただ。また──あの声だ。


 時刻は夜の十時過ぎ。共働きの両親は、いつものように帰りが遅く、この家にいるのは久美だけだ。もう中学二年生なのだから身の回りのことは自分でできるし、両親の不在に不満を感じることもない。少し前まではそう思えていたのに、ここ最近は、がらんとしたリビングに一人でいるのが不安だった。原因はもちろん、夜になると響いてくる、あの獣じみた鳴き声だ。

 

 最初は聞き間違いかと思ったのだが、こう毎晩毎晩続くと、さすがに気味が悪くなる。住宅街のど真ん中に野生の大型動物がいるとは思えないし、あんな風に鳴く犬を飼っている人は近所にはいないことも知っている。


 でも、だったら、あの声は、どこから……? その疑問を心の中に浮かべた瞬間、思い出したくもない声が、久美の脳裏に蘇った。


 ──呪い、じゃないかな。


 ──だから僕はずっと言ってるじゃないか。久美ちゃんがあれ・・を手放さないから、こんなことになったんだ、って。


 ──お祖母さんから受け継いだお札を大事にしたいというのは、そりゃあ立派なことだと思うさ。でも、あれはどう見たって不吉だよ。狼を描いたお札なんて聞いたことがあるかい? 


 ──悪いことは言わないから、お札を手放すか、せめてお祓いを受けるべきだ。僕は君のためを思って言っているんだから……。


 あの弁護士の、聞きわけの悪い子どもをあやすようなおっとりした声が、自動的にリピート再生される。久美は思わず声を発していた。


「狼の呪いなんてあるわけないし!」


 誰に言うともなく声に出しつつ、見たくもないのに点けておいたバラエティの音量を上げる。まあ、呪いじゃないなら原因は何だと聞かれると困るけど、どうせ毎晩遠吠えが聞こえるだけだ。別に狼に襲われたわけでもないんだし、怖がることなんて何もない。


 そんな適当な言い訳を心の中に浮かべつつ、明るい色に染めた髪を掻き上げた──その時。


 ──ワオオオオオオオオオオン! 


「え」


 唐突に、大音量の咆哮が轟いた。


 今までの遠吠えとは違う、明らかに発生源が近いその声に、背筋がぞくりと冷えていく。さあっと青ざめていくのを自覚しながら、久美は慌てて立ち上がった。


 聞き間違いでないのなら、今のは、すぐそこから──カーテンと大きな窓の向こうの、小さな庭から──響いていた。まさかそんな、有り得ない。自分で自分に言い聞かせつつ、小刻みに震える手でカーテンを掴む。そのまま一気に引き開ければ、そこには──。


「……っ!」


 低く唸りながらまっすぐこちらを見つめる、大人ほどの体長の犬のような獣があった。その姿を目の当たりにした瞬間、ひきつったような呼吸音が、喉の奥から微かに漏れる。

 

 驚きすぎると声が出ないということを、久美は初めて知った。



【次回更新は、2020年1月10日(金)予定!】


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