ひとときの犬との初交流

メインエピソード

 犬ってすごく怖かった。


 大きな声で吠えるし、下手に近づいたら噛みついてきそうで。

 だから、犬が苦手だという人の気持ちは、よーく分かる。




 大学が春休みの三月に、東京に住んでいる僕は山梨県に住んでいる祖父母の家に遊びに来ていた。まとまった休みがある時など、毎年数回訪れるんだ。


 そんな祖父母の家の真向かいにある家では、一匹の犬が放し飼いにされている。名前はモモといって、歳もそこそことっているらしく、人間だともうすぐおばあちゃんだ。

 モモを飼っている家の人は、平日も休日も基本的に家を留守にしている。そんなわけで、日中モモはひとりぼっちになる。そんなモモが可哀そうだからか、近所に住んでいる人たちがモモにおやつをあげたり、撫でに来たりする光景をたびたび目にしていた。

 うちのじいちゃんも、モモの所に行くのが日々の楽しみになっていた。じいちゃんが、モモにおやつをあげて撫でているのも何度か目にしたことがあった。

 そしたらある日じいちゃんが、「おめーも触ってみりゃいいじゃー」と方言交じりに僕に言ってきた。


 ――絶対に嫌だった


 冗談じゃない。

 モモは雑種の中型犬だ。ポメラニアンとかマルチーズみたいな小さい犬ならまだしも、なんでモモに触んなくちゃいけないんだ!

 

 本当に気が乗らなかった。

 確かに、よく吠えるモモもその時は比較的大人しかったような気もする。ただ、結局どうして触るに至ったのかは、正直自分でもよく分からない。


 おそるおそるモモのそばまで近づき、ゆっくりと手を伸ばす。犬特有のハァハァという息づかいにびくびくしながらも、モモの頭に優しく手を置くことができた......!

 

 ――すっごいモフモフでフサフサだった!!


 犬って予想していたよりも触り心地が良く、触っている間も暴れたり、吠えたり、噛みついてくるようなそぶりは一切見せなかった。

 今までの犬に対するイメージは、みるみるうちに塗り替わっていった。

 

 いやー、ほんとに犬って愛らしい! 触り心地以外にも、頭をなでるときに耳を垂らすところとか、たまにこちらのにおいを嗅いでくるところとか!

 動物と触れ合うって癒しだなあ......


 どのくらい撫でていたかな。

 母親に夕食の手伝いで呼ばれたから、少しだけ名残惜しいけどモモに「じゃあね」と呟いて立ち上がり、モモに背を向け数歩進んだ。

 ――すると、どうしたのか、今までずっと大人しかったモモが急に吠え出した。


 嫌われちゃったかな、もしかしたら嫌がってたのかな、

 そんなことを考えながらも、吠え続けるモモを背中に、祖父母の家の中へと足早に入っていった。


 夕食の時に、そのことをじいちゃんやばあちゃんに話してみた。すると、それは「もっと遊んで」って意味の場合が多いとじいちゃんが教えてくれて、ばあちゃんも、「モモは近所の人にも同じように吠えているよ」と話していた。

 もしそうだとしたら、とても嬉しい。なんだかモモが認めてくれてるというか、求めてくれてるというか。


 翌日の昼間も、モモに会いに行くために家の玄関を出た。すると、モモと目が合うやいなや、モモが尻尾をパタパタさせながら僕に向かって吠えはじめた。

 そばまで近づき、モモの背中にそっと手を置いてみる。今日は抵抗なくモモに触れることができた。さっきまでは吠えていたモモも大人しくなり、昨日と同様、非常に幸せな時間が流れた。ここ最近で一番の癒しかもしれない。


 ――そうだ、今日はモモにおやつをあげてみようと思っていたのだ!

 モモに「ちょっと待ってて」と声をかけ、吠え始めたモモから一旦離れ、じいちゃんに犬用のおやつをもらいに戻った。じいちゃんは、まだ今日は近所の人もモモに何もあげていないはずだと、サラミみたいな小さな棒状のおやつを3本くれて、僕はそれを持って再びモモのところに向かった。おやつのあげ過ぎはモモの体にもよくないからと、近所の人たちも配慮をしているのだ。


 モモは僕がおやつを持って近づくと、より盛んに吠えたり、その場で飛び跳ねるような仕草をみせたりした。嬉しそうだ。

 犬や、奈良公園にいる鹿なんかでもそうだが、えさをあげるときに下手にじらすと噛まれたり攻撃されるおそれがあることは知っていたので、静かに2本を地面に置いてやると、モモは夢中で食べだした。残りの1本は、直接手から食べてもらいたかったので、手のひらにその1本を載せ、モモの口元に近づけた。正直、噛みつかれやしないかとは心配したが、モモは手のひらからおやつをゆっくりと口に咥えてから、くちゃくちゃと食べていた。


 モモが食べ終えるのを静かに見守っていると、食べ終えたモモがゆっくりとこちらに寄ってきて、クンクンとにおいを嗅いできた。

 もう、とにかくかわいい!

 もう無いよ、ごめんね、という気持ちもこめて、またゆっくりと撫でてあげた。近所の人の中には、ぐしゃぐしゃって感じで撫でる人もいて、僕はそれとは対照的に優しく丁寧に撫でるようにしている。どっちの方がモモにとっては気持ちいいのかな。


 明日はもう東京に帰らなくちゃいけない。

 元々、祖父母の家に遊びに行くのは好きだった。東京の喧騒から離れてゆっくりできるから。でも今回のモモとの交流がきっかけで、よりいっそう楽しみになった気がする!

 同じ日の夕方、モモの家の人がまだ帰ってこない時間にまたモモの所へ行った。明日は早朝には祖父母の家を出なくちゃいけないので、モモと触れ合えるのは今回はこれで最後かな。次来れるのは、GWかなぁ。また来るからねモモ。そう思いながらその日は家に戻った。


 翌朝5時頃、祖父母の家の玄関付近に停めてある父の車に荷物を詰め込みながら、モモの方に目をやった。帰る前にもう一撫でしたいなと思っていたが、どうやらモモは犬小屋の中で寝ているみたいだ。

 すごく名残惜しいけど、2カ月もしたらまた会える......! そう思ったので、モモに心の中でバイバイをして、車に乗り込んだ。


 犬が怖かった頃の自分の気持ちもわかる。

 大きくて、吠えてきて、歯も鋭い。

 でも、モモのおかげで、犬の魅力や愛らしさに気づくことができた。

 あの懐いてくれる感じと、モフモフでフサフサな触り心地......。犬っていいなぁ。動物っていいなぁ。


 東京に戻ってからも、スマホで撮ったモモの写真を見るたびに、また会いたいなという気持ちになる。早くGWにならないかなあ。

 それからというもの、次にまたモモと会った時のことを想定して、ネットで犬に関することを色々と調べるようになった。

 ――そっか。犬は首が疲れやすいから、首まわりをマッサージしてあげると喜ぶ犬は多いんだな。次会った時やってみようかな! あー待ち遠しい!




 しかし、三月が終わり、四月も半ばを過ぎた頃、祖父母の家から電話があり、モモが家の中で飼われるようになってしまったと伝えられた。


 田舎は都会よりも、近所づきあいが密接だというイメージがあり、じいちゃんばあちゃんも近所の人たちとよく立ち話をしている。ただ、モモの家の人は、しょっちゅう家を留守にしている上に、全くと言っていいほど近所づきあいをせず、そういったやり取りを拒んでいるようにもみえる。


 つまりだ。家の中で飼われるようになってしまっては、もうモモを撫でることも、モモにおやつをあげることもできない。


 もうすぐ待ち焦がれていたGWで、ずっとずっと楽しみにしていたことが、あまりに呆気なく消え去った虚無感と、どういう理由で家の中で飼うことにしたかは知らないが、どうせ昼間いつもいないんだったら、その間、近所の人でかまってあげればモモも寂しくないんじゃないかという、やるせない腹立ちを覚えた。

 ただ、モモをまた放し飼いにできませんかと言うわけにもいかないし、そんなことを頼めるだけの人間関係が構築されていない。そもそも、モモをどこで飼うかなんて飼い主の決めることだ。そう思い至ると、急に自分が子供っぽく思えてきた。


 こんなことなら、あの時モモと触れ合わなければこんな思いはしなかったなあとか、もっと早い内からモモと―― でも、そしたら寂しい思いもその分大きくなるなあとか、あれこれ考えてしまうけど、もうどうしようもない。“潔く諦める”が正解だろう。



 GWになり、僕はまた山梨の祖父母の家に来た。家の玄関からモモがいた場所に目を向けるが、やはりモモはいない。

 でも、モモの飼い主が夜帰宅し玄関の戸を開けると、ワンワンとモモの吠える声が聞こえる時がある。元気なのだろうか、それならいいんだけど......


 祖父母の家に3泊し、帰る日になった。この日はお昼前くらいに家を出ることになっていて、父の車に乗り込もうとしたその時だった――

 ――モモの飼い主が、モモをつれて玄関から出てきた!

 モモをリードでつないだ飼い主は20代から30代くらいの男性で、モモを散歩につれていくんだと思うが、僕の方には一目もくれず、イヤホンをしてスマホをいじりながらモモを引っ張ってさっさと出掛けていってしまった。


 僕も間もなく、父の車に乗り込み、東京へ戻っていった。


 モモを撫でることは多分もうないだろうなあ。

 ......でも、いいんだ!

 モモが散歩につれていかれる時、モモは僕のことを見て、数回吠えてくれたんだ。

 この前の三月の時と同じように。


 モモと心が通い合ってる気がして、それが何よりうれしかったんだ。

 

 


  


 

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