コネクト

桜咲つな

第1話

 超大型オンラインTPSRPG『エルダー・グラウンド・オンライン』

 通称、EGO。プレイヤーは皆、エゴと呼ぶ。

 そのゲームは、世界中で人気を集め、総プレイヤー数は一億を超えている。


 海山カイトは帰宅していた。

 この時期になると、日が沈むのが早く感じる。

 夕焼けが、駐車禁止の標識で隠れた。

 だがすぐに顔を出し、目を焼いた。

 夕日から目を背け、アスファルトを眺める。

 下を向くと涙がこぼれると言うが、最近は涙を流さなくなったので、その時も涙はこぼれなかった。

 ただ、憂鬱で、退屈で。言ってしまえば、人生に疲れていた。飽きていた。

 呼吸も浅くなり、気づいたら呼吸をしていない時がある。そんな気がする。

 吸ってない息が吐き出た。

 今度は息を吸ってから、吐き出す。

 ため息をつくと幸せが逃げるのであれば、ため息をつく前は幸せということになるのだろうが、それは日ごろから不幸せな人間への冒涜ではないだろうか。

 ブレザーのポケットに突っ込んだ手は、気持ちが悪いように湿っていた。

 右手だけ、外に出す。

 冷たい空気が指の間を通り抜ける。

 歩く速度を上げた。


 玄関を抜けると、リビングのドアは閉まっていた。

 電気はついているが、音はしない。

 気にせず、いつものように、そのまま階段を昇る。

 ぬいぐるみやほこりを避けながら登る。慣れたものだ。

 階段を昇ってもまだ汚い。

 そんなものに見向きもせず、横の扉に入る。

 中は整理されている。

 扉の横のスイッチを入れ、部屋の照明を点ける。

 別につけないで、そのままベッドに横になってもよかったんだ。

 荷物を部屋の隅に置き、机の上のパソコンの電源を点ける。

 黒い、てかてかとした、ノートパソコンだ。

 中学の頃、パソコンを買ってもらったときは、とてもうれしかった。もちろん今も親には感謝している。だが、日ごろ使っていると、良いことに慣れてしまい、見えなくなっていく。

 CPUもグラボも低スペックでろくなゲームは出来ない。

 おまけに、てかてかしていて、よく指紋が付く。持ち運べることが利点だが、そのたびに毎回毎回指紋を拭くのはさすがにだるくなってきた。

 学校指定の制服を脱ぎ、間違って買った大きいサイズのデニムと、薄いパーカーを着る。

 ローラー付きの椅子に座り、パソコンにパスワードを打ち、ホーム画面に移る。

 デスクトップにはゴミ箱とゲームのアイコンだけ。

 ゲームには「EGO」の文字。

 EGOのアイコンをダブルクリックし、起動する。

 パソコンが静かにうなりだした。

 青かった画面にノイズは走り、黒く染め上げられてゆく。

 これはEGOの仕様だ。毎回こうなる。最初は驚いだが、今ではすっかり慣れ、現実とゲームを切り替えるスイッチになってくれている。

 壁に掛けてあったヘッドホンを取り、装着する。


 ―カイ がログインしました―

 カイ こんばんは

 シロ こんばんは

 カイ 今日は早いんだね

 シロ 仕事が早く終わったからね

 カイ そりゃあいいや

    今日は素材周回するの?

 シロ その予定かな

    もしよければ、一緒に回らない?

 カイ よろこんで

 シロ ありがとう


 シロさんはかなりランクが高く、毎回イベントの上位にいる。

 だが、ログイン時間はかなり少なめ。カイの方が百時間は上回っていた。

 プレイスキルではない。それはいつも一緒にクエストを周回しているからわかる。ただ、効率がいいのだ。

 素材を回収するとき、敵を倒すとき、チャットをしているとき。どれもこれも丁寧なんだ。

 シロさんとプレイしていると、ほかの人とできなくなる。

 それは、どれもこれも遅いんだ。素材を回収するときも、敵を倒すときも、チャットをしているときも。どれも遅いんだ。

 シロさんとプレイしていると、とにかく楽で、とにかく楽しい。

 そのせいもあり、一緒に遊ぶ人がシロさんぐらいしかいなくなったのだが。

 かく言うシロさんも、なぜかほかのプレイヤーとはゲームをしない。

 理由は聞いたことはない。

 噂では、招待を片っ端から断っているらしい。

 あくまで噂で聞いただけだから、本当かどうかは知らない。

 聞く気もない。

 ただ、一緒にプレイしているという事実だけ。それだけでいい。

 今が楽しいんだ。

 こんなこと、ほかの人には言えない。シロさんにも言えないな。

 これは恋愛感情なんかではない。

 ゲーム内の関係っていうのは、実際そういうものなのだろう。

 シロさんの声は聞いたことないし、顔も見たことがない。本名だって知らないんだ。

 知っている情報といえば、隣の県に住んでいる女性で、一人暮らし。背は高めだが、カイトよりは低い。年齢は五個上。会社勤めで、その会社内に年上の彼氏がいる。EGOのプレイはあとひと月で二年になる。

 それぐらいだ。思っているより知っていたが、これが本当かは分からない。

 なにせ、声も知らない相手だ。中身がおじさんという可能性も無きにしもあらず。

 だが、言っていることはどこか信用できた。

 きっと、ゲームのプレイスタイルからもわかってしまうのだろう。


 シロ レアドロップ入手!

 カイ おめでとう!

 シロ ありがとう

    これいくらになるかな?

 カイ コレクションしないんだw

 シロ これ相場25万マネーだって!

 カイ たか!

 シロ さすがレアドロップ!

 カイ 俺も初めて見たよ

 シロ 私もだよ

 カイ 何か買うの?

 シロ ううん

    貯金しようかな

 カイ 今度なにか奢ってよw

 シロ 仕方ないなー

    今度オススメのレストラン連れてくよ

 カイ やったー!


 シロさんと話していると、時間が過ぎるのがあっという間で、気づいたら深夜になっていたっていうこともしばしば。

 シロさんも社会人で、次の日会社に遅れてしまうことが何度かあったそうだ。


 カイ 母さんにご飯呼ばれた

 シロ 行ってらっしゃい

 カイ さっきご飯食べたんだけどな

 シロ それはゲームの中ででしょw

 カイ あれ、そうだっけ?w

 シロ 冷めないうちに行ってきな

    私は一人で回ってるよ

 カイ 了解

    じゃあまた戻ってきたら

 シロ いってらっしゃい


 ヘッドホンを外し、壁に掛けた。

 吸っていない息を吐いた。

 すっかり外は真っ暗。カーテンを閉める。

 足の指先が冷えていた。

 スリッパを履き、部屋を出る。

 部屋の電気は消さなかった。どうせすぐに戻るんだ。

 階段の向こうでは、リビングの光が漏れている。

 テレビの音が聞こえてくる。

 階段の電気をつけて、降りて行った。


 ダイニングテーブルの上に置かれたご飯。湯気は立っていない。

 隣のリビングに、母がいる。

 父と姉は自分の部屋にいるのだろう。

 カイトは一人、椅子に座り、食事を摂った。


 カイ ただいま

 シロ お帰り

 カイ シロさんはご飯食べたの?

 シロ 食べたよ

    いつも通りコンビニ弁当をね

 カイ そろそろ体調崩すぞ?

 シロ 大丈夫大丈夫w

    いつものことだよ

 カイ 転職とか考えないの?

 シロ そうだね

    何度か考えたことがあるけどやめらんないね

 カイ そっか

    彼氏さんいるし、そうだよね

 シロ うん

 カイ あんまり無理しないでね

 シロ ありがとう


 会社の中に恋人がいるということの経験がないからあんまり言えないが、正直、シロさんは仕事が大変そうに見える。

 少し前も三日間もEGOにログインしてこなかった。

 それは珍しいことではないと思うけれども、毎日ログインして、ずっとプレイしているシロさんにしては、とても珍しかった。

 SNSで呼びかければいいだろうと思うが、生憎、連絡先は交換していない。

 お互いに深く干渉はしない。それが暗黙の了解になっていた。


 カイ それじゃあ明日も学校あるし落ちるね

 シロ はーい

 カイ 明日もやる?

 シロ 出来たらね

 カイ それじゃ、おつかれ

 シロ おつかれー

 ―カイ がログアウトしました―

 

 このやり取りはいつものことだ。

 いつも、明日もやるか聞く。それで、出来たらねって答える。

 慣れたものだ。お疲れ。


 ヘッドホンを取る。

 EGOのウィンドウを閉じ、パソコンをシャットダウンする。

 このパソコンは、きっとEGOをプレイするためだけに生まれ、買われたのだろう。

 そんなノートパソコンを閉じた。

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