第34話
魔精霊にまたがり、通りを下に、宙を行く。
ルシーは険しい顔で魔精霊を操る。
「このあたり……にあったら苦労しないか」
ーー自分で魔法は使うけど
ルシーには魔力の気配なんてものはよくわからない。
それに、
「こううるさいと……」
壊れ行く建物に、あちこちに回る火の手。
悲鳴が木霊しあい、人々はまさに大混乱といった有様。
これではわかるものもわかるまい。
「ダメ、言い訳なんかしてる場合じゃない」
音も気配もわからないならば考えるしかない。
ーー『頼む』
グロストにはいつも頼ってばかりだ。
今も、きっと頑張っている。
これは私がはじめた戦いだ。
こんなことくらい頑張らないでどうする。
「早く見つけなきゃっ」
魔精霊に意思を伝え、少し高い所へと上がる。
国を見下ろし、全体を眺めるようにしてルシーは思考する。
おそらくだが、ただの民家やそこらの店などの建物の中にある可能性は少ない。
そんなものがあれば情報を集めているときに何かしらの話を耳にするはず。
魔力結晶。
その名の通り、魔力をため込んでおける結晶のことだがよほど純度の良いもの出ない限り、その大きさは貯め込める魔力に比例する。
あれだけの魔道兵器を動かすのに使っているのだとしたら、きっとその大きさはかなりのものになるはず。
そんなものが置ける場所なんて。
ぐるりと国を一望する。
「あそこ、くらいだよね」
ルシーが見る先はこの国で一番豪奢な建物。
王居以外に考えられない。
あそこはあの王が棲み処としている場所だ。
特大の魔力結晶を置く場所だってあるだろうし、
それこそ管理についてはどこよりもしやすいだろう。
目的地は決まった。
「行こうっ」
再び魔精霊へと意思を送り、急降下する。
きっと王居の中には何人も衛兵が警備しているだろう。
王の護衛のため、魔法使いが側にいる可能性も高い。
突破は難しい、でもなんとか魔力結晶だけは砕いて見せる。
ルシーがそう覚悟を決め、きっと表情を引き締めた時、
『鳴り響く雷光をここに』
魔法を唱える声と共に眩い稲光が鋭く走る。
「キキッ!」
雷は魔精霊の左足を捉え、根元から焼き焦がした。
悲痛な魔精霊の鳴き声が響く。
「っ」
落下した魔精霊が地面へと激突する。
背中にまたがっていたルシーはただ、振り落とされないようにしがみ付く他なかった。
衝撃に顔を歪め、魔法が飛んできた方向を睨む。
「女だ。化物の背に女が乗っている! ひっ捕らえろ!」
口角が歪み、笑っているかのような表情をする男
が周りの衛兵に指示を出した。
側には白いローブを着た魔法使いと思われる奴も二人いる。
「起き上がって!」
苦痛に悶えている魔精霊は左足の火傷に苦しんでいる。
ばたばたと身体をくねらせるばかりで、ルシーが命令しても動くことができない。
ダメだ。
このままじゃ捕まる。
即座にそう判断したルシーは魔精霊から飛び降りた。
ーー絡まれてる場合じゃないのにっ
ぐっと歯噛みして笛を咥える。
ーー澄んだ音が鳴り響く。
笛の力を使って、悶える魔精霊に強制的な命令を与える。
「キキ、キナ、ナナナイナイ!」
鋭く鳴き叫んだ魔精霊が魔法使い達に向かって突進する。
足が一つなくとも、器用に地を蹴り、泳ぐように疾走する。
「飛び込んでくるぞ!」
魔精霊は立ち塞がった衛兵達を次々に弾き飛ばした。
構えた槍が身体に突き刺さるのも構わずに力づくで衛兵達の壁を突破。
にやけ面の男がいる場所目掛けて一直線に突撃する。
「ちっ、食らわせろ!」
男の指示で魔法使い達が魔法を唱え始める。
黒い霧が魔精霊の胴を覆い、雷槍が飛ぶ。
「キキナ、ナァァァ」
自分の身も省みずに駆ける魔精霊は胴を溶かされ、胸に雷槍が刺さりながらも白ローブの一人に喰らい付いた。
「ひっ、助けーー」
べぎりと噛み砕かれ、血飛沫が舞う。
「なんで、この状態で生きてっ」
「お前ら! 早くこいつを殺せ!」
頭を振り、白ローブの身体を食いちぎった魔精霊はさらに身体をばたつかせて暴れまわる。
場は大混乱に陥った。
槍を突き立てる度に大きく身体を振り回す魔精霊に近くにいた衛兵達は弾き飛ばされ、叩き潰される。
だが、それは魔精霊の最期の悪あがきだ。
衛兵達の攻撃が効いていないのではなく、笛の力によって強制的に攻撃の命令が下っているが為の行動。
溶けた胴はぼとりぼとりと地面へ落ち、突き立てられた槍は肉を崩す。
ぐちゃぐちゃになっていく魔精霊を見て、ルシーはぐっと口を結びながら
ーー今しかないっ
踵を返してその場を離れた。
大きく回るようにルシーは走る。
衛兵の数が多いさっきの道は使えない。
笛を咥え、大きく息を吸い込んで吹く。
近くに別の魔精霊がいればと思ったが、
ーー反応は、ない
「仕方ないか……」
気を取り直し、ルシーは再び走り出す。
瓦礫が崩れる砂塵と、火の粉の舞う国の中を必死の形相で走り抜ける。
ーー熱いっ
辺りにはばら撒いておいた油に引火したのか、激しい炎が回りはじめている。
幸い今、風はない。
壁を破壊した時に一度大きく吹いたきりだ。
だが、またいつ吹くかはわからない。
もたもたするわけにはいかなかった。
「はっ、はっ」
息を上げながら、ルシーはひた走る。
ーーっ、あそこにも
正面に槍を握る衛兵の姿。
駆け回る人々の他に、衛兵達も必死な顔をしてあたりを走り回っている。
少しでも火の手が回るのを防ごうとしているのだろう。
今は魔精霊に乗っていないため、おそらくすぐにバレることはない。顔が割れていることはないはずだ。
だが、
ーー念のため……
万一を考えて逃げ回る人々に紛れ、衛兵の目を掻い潜って進む。
と、しばらく進んだところでまた一つ問題が発生した。
ーーこれ、どっちにいけば……
辺りの光景は瓦礫の山に燃え盛る炎で包まれて、通りの原型を留めていない。
どこもかしこも同じような場所が続き、今どこにいるかが分かりにくくなっていた。
「どうしよ」
ルシーは困惑した表情で視線の先の道を見る。
何か見覚えのる部分はないか、必死に記憶の中を探る。
ーーこんなことなら、もう少し油の量減らしておけばよかった……!
大いに嘆きたかったが、しかしそんなことを後悔していても仕方ない。
「えーと、確か……」
先程上からみた光景を頭の中に浮かべ、思い出しながら走る。
ーーこっち……いや、あっち?
しかし。
ーーダメだ、こっちじゃない。ならあっちか
道を引き返し、
ーー全然違う。どこ?
いくら走ろうと、どこまで行こうと、見覚えのある場所にでない。
ーーまずい、はやくしないといけないのにっ
きょろきょろと辺りを見渡し、汗を流しながら必死に走る。
もたもたしている時間はないというのに……。
焦りが、鎌首をもたげて身体へと巡ろうとする。
と、
一つ、あるものが目に入った。
急いで駆け寄る。
「この跡……」
瓦礫の山から何かが通り過ぎた跡が伸びていた。
見覚えがある。
これは、滑り石の跡だ。
「っ!」
そしてピンと来た。
「滑り石の特徴って確か……」
ーー魔力に反応し、転がっていく
「そうだ、魔力に向かって。ということは」
ルシーは跡の伸びる先を視線で追う。
「こっちは壁……」
壁があった場所は今どこにいるか分からなくても、目で見える。
滑り石は壁の向こうから中へと進んでいる。
つまり、それと逆の方向の跡を辿れば……。
「こっちだ!」
滑り石の転がっていった跡を頼りにルシーはひた走る。
一直線に引かれた跡は迷いなくどこかへ向かい、進んでいる。
跡を辿る途中、いくつかの建物が破壊され、瓦礫に帰していた。
きっと滑り石が転がってきて、崩れたのだろう。
余程強くぶつかったらしい。
その先にあるのはことごとくが破壊され尽くした瓦礫の山だった。
崩壊した建物の残骸を乗り越えながら、ルシーは跡を追う。
少し開けた場所に出ると、辿ってきた跡の他に、どこか別の方向からやってきた跡と重なり合っていた。
「跡が、こんなに……」
いくつもの滑り石の跡がこの場所に集中している。
「入ってきた場所はバラバラなのに」
ルシーがその重なり合った跡の向かう先を目で辿る。
「あ」
それは、どれもが同じ方向へと向かっていた。
否。正確にはいくつかは別の方向だが概ねほとんどの跡が皆同じ場所を目指して進んでいた。
この数の滑り石が向かうということはよほど大きな反応が先にあったということ。
「きっとこっちに魔力結晶が……」
息巻くルシー。
さらに、ルシーが顔を上げると、
ーーあっ、ここって
一部みた事のある場所が目についた。
緑色の看板、その隣に並ぶ店。
いつのまにか見覚えのある場所までやってきていたのだ。
ということは……。
「あった……」
遠目に、豪奢な建物が見えた。
財を見せつけるかの如く、趣味悪く飾り付けられたあれは王居に他ならない。
ーーやっと見つけた
距離は少しあるが、目的地さえ分かればすぐに着く。
「ふぅ」
大きく息を吐いて、呼吸を整える。
あの中にはきっと大勢の敵がいる。
問題はそれをどうやって潜り抜けるか。
ーー違う
ぎゅっと目を閉じたルシーが頭を振った。
時間は既に大分経ってしまっている。
もうこれ以上じっくりやっている暇はない。
ーーはやく、グロストを助けるんだっ
ぎゅっと拳を握り、足を踏み出す。
迷う心配はもうなくなったが、万全を期して最後まで跡を辿る。
ーーどうせ、みんな同じ方向だし
だが、
「うん?」
走り出したその先、滑り石の跡を辿っているはずなのに、その跡は王居の方向とは微妙に違う方向へと進んでいる。
「え、なんで……」
しばらく進んで見ても、やはり跡はどれも王居へは伸びていない。
ルシーは足を止めた。
注意深く、跡の向かう方向を見る。
それは今ルシーが走ってきた方向。
厳密に言えば、魔導兵器のいた場所へと跡は続いている。
「もしかして」
これは、魔力結晶ではなく魔導兵器に反応していたのか。
そうだとすれば、この跡を辿ったところでその先にあるのは……。
ーー嘘、ここまできて……
茫然と、思考が止まる。
へこたれそうになったルシーが、肩を落としそうになる。
「……」
しかし、ルシーはぱんぱんと頰を叩きすぐに気を取り直す。
ーー落ち込んでる暇も、嘆いてる時間もない
はじめの予想通りに王居へと向かうか。
だがこれだけの量の滑り石が一つも王居へと向かっていないところを見ると、おそこではないような気がする。
ーーどれも同じ時間に転がってきたわけじゃないだろうし、もし魔力結晶が王居にあるなら一つが二つ、跡が残ってても良いような……
そこでふとルシーが固まる。
「そうだ、別の方に伸びてるのもあったんだ」
さっき見た光景をすぐに思い出す。
跡の密集している箇所は殆どがこの魔導兵器へと伸びる跡だったが、ごく僅かに別方向へと伸びている跡もあったのを見た。
慌てて戻り、
「この跡だ」
魔導兵器とは違う場所へと転がっていった跡を確かめた。
「でも、こっちって何があったっけ」
ルシーが跡の先に視線をやるも、負に落ちないと首を傾げる。
この方向には何があったか、目を閉じて考え込む。
しかし、思い当たるものは何もない。
そもそもはじめからそんな思いつくものがあるのならぱっと頭に浮かんでいるはずだ。
「しかもこの方向って外に出ちゃう――――」
目を見開く。
同時、ルシーは弾かれたように走り出した
「早く行けって!」
「逃げろ逃げろ、さっさとここから出るんだ!」
「おら、どけ!」
「この国は一体どうなってるんだ!」
門の傍には外へと逃げ出そうと騒ぐ人々が集まっていた。
おそらく記念祭につられたものたちだろう。
騒ぎに巻き込まれてはたまらないと気が立っているものが多く見られた。
「押すな! 落ち着け!」
「僕らにも事情は分からないんですよ!」
そして門兵たちは興奮している人々を落ち着かせようと奮闘している。
「あっ」
門の詰所。
その壁に滑り石はめり込んでいた。
国の中の瓦礫を吸着させて瞬く間に巨大化した滑り石。
「なんでここは……」
この程度の被害で済んでいるのかとルシーは首を傾げる。
これだけの大きさの滑り石が転がれば、詰所もろとも轢き潰してしまっても不思議ではないとルシーは思ったが
――――あれのせいか
詰所の傍に即席で作られたと見える落とし穴のようなものがあった。
慌てて作られたことがうかがえるその穴の深さは滑り石を落とすには浅かったようだ。
だが、詰所が未だ形を保っているところを見るに勢いを殺すことには成功したらしい
誰かが滑り石の接近にいち早く気づいていなければここも他の建物と同様に瓦礫の山と化していただろう。
「……」
じっとルシーはその穴を見つめる。
――――随分と対応が早い……、早すぎるくらい
何故こんなにも対応が早いのか。
滑り石が転がってくるなんて、あらかじめ想定しているわけはない。
なら何故……。
「きっとあるんだ」
それはここを潰すわけにはいかなかったから。
何か壊されると不味い理由があったから
だから門兵たちは素早くこの穴を掘れた。
警戒していたのだ。
危険を。
ルシーは確信していた。
直感がここだと、叫んでいた。
「入り口は……」
ルシーは手に持った槌をぎゅっと握り、入り口を捜す。
門兵たちは怒鳴り散らす人々の対応でてんやわんやだ。
消え水はないが、どさくさに紛れて中に入れれば……。
めり込んだ滑り石は完全に停止してしまっているため、びくともしない。
衛兵の宿舎のように、わかりやすい場所に扉があるというわけでもない。
「どこから出入りしてるんだろ」
何処かで隠れ、門兵たちが出入りするのを待ち伏せしようかとも思ったが、それでは時間がかかりすぎる。
――――いっそのことこの槌で
無理やり壁を壊して入ろうか、そう思った時、
「痛っ!」
急に腕を取られ、背中にくっつけるようにして押し倒された。
受け身も取れず、地面に顎が擦れる。
「誰!?」
ルシーが顔を向けると、そこには一人の門兵がいた。
「お前、今何をしようとしていた! ん? その顔は……」
「っ、あの時の……」
その門兵には見覚えがあった。
入国審査の時の、態度の悪い門兵と一緒にいた若い門兵だ。
「何もしてないって、離して!」
大声で叫ぶが、
「そんなわけないでしょう。ここが門兵の詰所であることくらい誰でもわかります」
がっちりと腕がきめられていて身動きが取れない。
「ふむ……」
青年門兵が思案気な顔をする。
「っ!」
ルシーの背なかにぞくりと寒気が走った。
男の顔が気味の悪い笑顔に変化する。
「この非常事態に、こんな場所でこそこそと」
青年門兵がぐっと顔を近づけてくる。
「何をしていたんでしょうかね」
男の手がいやらしくルシーの身体をまさぐる。
「っこの!」
その手から逃れようとルシーが身体をよじった。
「ちっ、暴れないでくださいよ」
「うぁっ!」
強引に抑えつけられたルシーが痛みに呻き、掴まれた腕が背なかにぐいと食い込んだ。
「所詮お前も、この国の人間か……!」
人畜無害そうな面の下、そこには吐き気のするような欲望が詰まっている。
「おぉ、怖い顔。そんなに睨まなくてもいいじゃないですか」
ルシーが鋭く睨みつけるのにも構わず、青年門兵がルシーの耳元で囁く。
「この騒ぎ、もしかして貴方がやらかしたんですか?」
「知らなっ――――」
ぎゅっと掴まれた腕が痛む。
「白を切ろうが、やることは変わりません」
そう言って青年門兵がさらに腕をきつくきめる。
「たとえ無実だろうが、今ここで怪しい行動をとっていたということが罰を与える理由になるんです」
「罰……?」
「ええ、そうです」
青年門兵の手が、ルシーの太ももを撫でさする。
「っ!」
「さっきから逃げてきた連中がギャーギャーうるさくて、いらいらしてたんですよ」
言葉とは裏腹に、男の顔にはにたにたと不快な笑みが張り付いている。
「いやーでも、真面目に働いておくものですねぇ。勝手にごちそうが転がり込んできた」
撫でさする指が腹のあたりまでのぼってきて、
「この裏にいい場所があるんですよ、話はそこでゆっくりと聞かせてもらいます」
不快な男の声に、ルシーが暴れる。
「おっと」
しかし、体格さゆえに力づくで抑えつけられてしまっては抵抗はできない。
「この、クソ野郎」
何が罰だ。
苦悶の表情を浮かべながら、ルシーは必死に身体をねじる。
いくら外面を取り繕っていたところで、仮面が剥がれればそこには醜悪な本性が隠れている。
適当な事を口実にして、これまでにもこの屑男は同じような事をしているのだろう。
――――この国の奴らは、結局皆一緒だ
噛み砕かんとするほどに強く、歯を食いしばるルシー。
「ははは、往生際が悪い。ちなみに助けを呼んでも意味ないですよ。今はみんな自分のことで必死ですから」
助け。
あの時もそうだ。
五年前もこうして、捕まって。
でもあの時はお姉ちゃんがいた。
私を助けるために、命を懸けて助けてくれた。
「ぐぅ、ぅぅ!」
腹のあたりに思い切り力を込める。
「本当に元気がいい……。あまり暴れると骨の一つか二つ折ってしまいますよ? それともその方が静かにしてくれますかね」
また、こうして。
組み敷かれて何もできずに。
こんな男にいいようにされて。
終わるのか。
――――『ルシー』
ふと脳裏によぎった。
「ぁぁぁぁあ!」
そんなの、許せない。
「だから、無駄だとっ」
あの時とは違う。
五年前のあの日、お姉ちゃんに助けてもらってから。
ずっと頑張ってきた。
「あああぁぁぁぁ!」
ずっと。
「っ、何を! 腕が折れてもいいのか!?」
ずっと。
めきめきと骨が軋んでいく。
全身に走る痛みが、身体の力を押さえようとしているかのよう。
だが、私は構わず力を込め続ける。
――――お姉ちゃん……!
ばき、と嫌な音が鳴る。
「っく!」
そして同時に、拘束がわずかに緩む。
――――私は、この時のために命を懸けてきたっ
足を思い切り曲げ、身体の上にまたがる男の腹を蹴りつけた。
「ごぉっ」
鳩尾に入ったのか、男の口から苦しそうな息が漏れる。
――――腕の一本位でっ
解放された左手で腰のナイフをを掴む。
「ま、待てっ」
前かがみでせき込む男に向かって、腰だめにナイフを構えたまま突撃。
「止められると、思うなぁぁぁぁ!」
深々と肉に刃が埋もれていく感触が手に伝わる。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
男がつんざくような悲鳴を上げて倒れ込んだ。
だくだくと流れ出る血は見る見るうちにその場を赤く染めていく。
「かっ、こん、こんな」
浅い息を繰り返す男を見下ろしながら、
「っ、変態野郎。悶え死ね」
脂汗をにじませ、吐き捨てた。
「なんだ、なんの声だ」
「外から聞こえたぞ」
――――気づかれたっ
今の悲鳴が聞こえたのだろう。
詰所の中がざわつくのが聞こえる。
「もう、この際しょうがないよね」
ルシーはぶらん、と右腕を垂らしながら改めて左手に槌を握る。
「強行突破だ!」
ぐるぐると身体を回し、その勢いを利用して力強く、ヒビの入った壁へと槌を叩きつけた。
詰所の外壁が崩れる。
「な、なんだ壁が……!」
「女!?」
「お前、何をした!」
顔を覗かせた門兵達が崩壊した壁の外で槌を握りしめたルシーを見て声を上げる。
ーーここにはない
魔力結晶は、見えない。
「っ、あの扉か!」
しかし奥にそれらしき扉が開いているのを見つける。
「こいつまさかっ」
「早くあいつを捕らえろ!」
ルシーの視線に気付いた門兵達が、慌ててこちらへ詰め寄ってこようとする。
ルシーはそれを見て、首に下げた笛を咥えた。
そして思い切り、息を吐き出す。
魔力は殆ど残っていない。
「何をしてるっ!?」
「なんだ? 何も聞こえないぞ」
ただ空気のなけるような間抜けな音が鳴る。
ーー絞りつくせっ
それでも僅かな魔力、全てを注ぎ込む。
足りない分はなんでもいい。
身体の何を持ってかれようと構わない。
ーー限界までっ!
だから今ここで。
ーー笛の音が、鳴った。
身体から何かよくわからないものが抜けていく感覚。
ーー構うもんか
限界を超えて、自分の全てを絞りつくせ。
「この、黒いのは……」
「で、でかい……!」
笛の音が黒い、魔力の粒子のようなものを呼び、どんどんと形を作る。
それは笛の音に反応して大きくなり、巨大な化物の姿となった。
「キキ、キキナ、ナ?」
これまでよりも一回り大きな魔精霊がぐるりと首を半回転させて鳴き声を上げる。
「暴れて!」
ルシーが命令を下す。
短く、単純な命令を。
「キキキキ、キナ!」
しかし、それで充分。
「やめろ! こんな場所でっ!」
「お、おい、暴れるんじゃーー」
「ど、どうすりゃ、どうすりゃいいんだこんなの!」
悲鳴を上げる門兵達を蹂躙しながら、魔精霊は命令通りに暴れ回る。
ルシーは扉の前から門兵が消えた瞬間に走った。
身体に残る力は後わずか。
半ば気力のみで動く彼女はそれでも必死に前へと進む。
「……!」
扉の先にあったのは巨大な空間。
天井は人を四人程縦に重ねてもまだ余裕があるほどの高さ。
横幅は軽く走り回れるほどの広さだ。
そして、その中央にそれはあった。
「魔力結晶……、これが!」
部屋の半分以上を占める巨大な魔力結晶が地面に突き刺さる杭によって固定されていた。
ずんと、側にいるだけで呼吸がしにくくなる程の圧。
緑龍をはじめて目にした時と同じような重厚な存在感を放っている。
「あれは… …!」
魔力結晶の側に落ちているもの。
見覚えのある魔導具だ。
入国の際に荷物を検査すると門兵達が扱っていたあの魔導具。
「誰だ!」
魔力結晶の後ろに誰か立っている。
のそりと姿を表したのは白ローブを被った男。
その手にはあの魔導具が握られ、反対の手は魔力結晶へぴたりとくっついている。
「そうやって魔力を注ぎ込んでいる、てわけ」
入国審査と嘘をつき、入国者の魔力を魔導具で吸い取り、あの魔力結晶へと注ぐ。
ーーだから国に入る度、妙な気怠くなって……
ルシーはゆっくりと魔力結晶に近づいていく。
「お、おい! やめろ近づくんじゃない!」
それを見た白ローブがひどか慌てたように叫ぶ。
だが、奴は叫ぶだけで何もしてこない。
ーーあの右手……
もしかして、あいつがこの魔力結晶を起動させているのか。
「来るな! おい、聞いてるのか!」
ルシーはぐっと、左手の槌を強く握った。
「ふぅ……っ!」
大きく息を吐き出し、身体全体を思い切り動かして駆ける。
「やめろ、やめろ! 私は陛下から、命を承っているんだぞ!」
しかし、白ローブの声はすでにルシーには届いていない。
視線は真っ直ぐ、魔力結晶だけを捉えている。
「来るなぁ!」
ーー重心は、低く
思い出せ。
あの時と同じように。
『身体の使い方が大事だ』
グロストの教えの通りに。
ルシーは駆ける。
「頼む、頼むからっ」
ーー身体のバランスを保って
加速。
ーー腕を伸ばしすぎないように
ぶらりと垂れ下がる右腕を揺らしながら、鮮やかに回転。
「やめてくれぇぇぇ!」
ーー焦点を狙い定めてっ
振りかぶった槌を全ての力を乗せたまま勢いよく、
「叩きつけるっ!!!」
振り抜かれた。
渾身の一撃は吸い込まれるように魔力結晶へと吸い込まれ、
ーー硬い音を立てて、魔力結晶は崩壊した
「ああぁぁぁぁ!」
白ローブの叫び声が部屋に反響するなか、全ての力を出し切ったルシーは地面へと倒れ込んだ。
「はっ、はっ、ふふ。私出来たよ、グロスト」
達成感に包まれながら、ルシーは魔力結晶が崩れ落ちていく様を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます