狐火の市

はなまる

其ノ一 お山の灯り

「ばぁちゃん、ばぁちゃん」

「なんや? たぁ坊」


「お山に火ぃがついてんで。火事ちゃう? しょうぼうしゃ、よんだ方がええんやろか?」


「ああ。ありゃあ、狐火やなぁ。尻尾がたんと増えた狐が、こないに、尻尾をわしゃわしゃーっとすると、ポワーッと火ぃがともるんや」


 ばぁちゃんが、両手をわちゃわちゃと動かしながら言うた。ばぁちゃんはすぐにそういうことを言いよる。ぼくがこわがる思うて、わざと言いよる。


 そんでぼくが、夜ひとりで寝れんくなったり、おしっこに行けんくなったりすると『たぁ坊は甘えたやなぁ』て嬉しそうに笑うんや。


 きっとぼくに甘えて欲しいんや。そういうことするばぁちゃんのが、甘えっ子やとぼくは思うで。


 それにお化けならこわいけど、キツネなんかこわいことあらへん。だってどうぶつや! しっぽこすったかて火がつかへんことくらい、ぼくかて知っとる!


 あ、でもしっぽの増えたキツネは妖怪かも知れん。


 ぼくがブルブルッと背中をゆすったら、ばぁちゃんが顔をシワだらけにして『ヒョッヒョッヒョ』と笑った。


 そないな笑い方をすると、ばぁちゃんこそ妖怪みたいや!


「行ってみぃひんか?」

「えっ?」


「ほら見てみぃ。灯りが二つに増えたやろ? あれが三つになると、狐火の市が立つんや。おもろいもんが売っとるかも知れへんで」


「いちってなんや? ばぁちゃん」


「ふりーまーけっとやな。時々役場前の広場でやるやろ? みんなで布の上にいらんもん並べて、安う売っとる。あれやで」


「こんな夜にか? もう十時や」

「そやから人間さまの市やあらへん」


「じゃあなんやねん! ぼくはいかへんぞ!」


 ぼくはこわぁなって、つい大きい声を出してしもうた。ばぁちゃんはちっこい目を、ちょっとだけ大きゅうして、それからにんまりと笑うた。


「そうやなぁ。たぁ坊はまだ、ちんまいさかいな。もうちょい、大きなったら連れてったるわ」


「ばぁちゃん、行ったことあるんか?」


 ぼくは、今日は行かへんでも良うなって、少しホッとした。ホッとしたらむくむくきょうみが湧いてきた。


「何が売っとるんや? お金使えるんか?」


「ばぁちゃんも行ったことあらへんのや。狐火が二つまでしかともらん。今夜はどないやろうなぁ」


 なんや、ばぁちゃんも行った事あらへんのか。せやったら、知らへんのか? 


「ばぁちゃんのお母ちゃんが、行ったことある言うててな。作法も教えてもろうたで」


 ばぁちゃんのお母ちゃんやて? 大昔の人やん!


「さほうってなんや?」


「秘密の市やけんの。作法を守らんと入れてもらえへんのや。ばぁちゃんのお母ちゃんは、妹のせきの薬、買うた言うてたな」


 ばぁちゃんはそない言うて、よっこらせと立ち上がって『作法にひつようなもの』を取りに行った。




 ▽△▽



 あの時の事は、今でもよう覚えとる。


 ばぁちゃんが納戸に行ってしまって、一人で茶の間で待っていた時、柱の振り子時計がボーンと一回鳴った。


 びっくりして飛び上がってしまった事や、そのあと身じろぎすら出来なくなった事。涙目で『ばぁちゃん、はよもどってや!』と、心の中で繰り返した事……。全部はっきりと思い出せる。


 せやけど、全部が夢の中の事やったような気もするんや。


 縁側えんがわ網戸あみどの脇で蚊取り線香の煙が白う立ち昇っていて、時折り風に揺れて鳴る風鈴の音が、どこか違う世界から聞こえてくるみたいやった。


 チリーン、チリーンと鳴るたんびに、ばぁちゃんの家の茶の間が、どんどん現実から離れていくような、そないな気ぃがしたんや。

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